第203話 ザビーネの不調  緊張感が、室内を包んでいる。  暗殺計画の現場指揮官であるザビーネに相対する形にて、少し楽しそうにナヒドが腕組みをして立っている。  背が高く豊満な体つきのザビーネに対し、ナヒドは幼い少女の容姿にて色々と平たい体つきをしていた。  二人は沈黙して、ただ立っている。  室内には強烈に顔が引きつったマリーナ嬢がおり、私は彼女が何故この場にいるのかと訝しんだ。  ザビーネの性格であれば、すでに実家などは見捨てているかと思ったのだが。 「なるほど、我ら一族がアンハルトの紋章官にくれてやった男の子。その面影がお前の顔にはあるのう。ザビーネ・フォン・ヴェスパーマン。まるで先祖返りのようじゃの」  ナヒドは、確かにザビーネが一族の者であることを認めて。 「けっ。私は家を出た身だから、知ったことじゃないね」  分家であるヴェスパーマン家を飛び出したザビーネは、舌打ちをして、ただ知らぬことだと呟いた。  さて。  どうしたものかと考えている。  とりあえずは、私が取り持たねば話は進まぬと考えた。 「ザビーネ。現場指揮官としては人が足らず、ナヒドが率いる超人暗殺集団は喉から手が出るほどに欲しいのではないか? そして――」  マリーナ嬢をチラリと見る。  肩を震わせて、ビクリとしていた。  まあ、可哀想な思いはあるのだが。 「そうである以上、もはやヴェスパーマン家からの支援は不要ではないか? それとも違うのか?」  単刀直入に口にする。  これは結論ではなく、疑問であった。  別に、何か強力な暗殺者をヴェスパーマン家からも用意できるというのならば拒む必要はないし。 「違うというならば、私からリーゼンロッテ女王陛下やアナスタシア殿下に取り成しをしてもよい。まだ底力を見せられるというならば、ヴェスパーマン家を取り潰すようなことはせず。価値の見直しも有り得るだろう」  私が気を回しても良かった。  アナスタシア殿下から伺った限りでは、もうヴェスパーマン家には価値を見出していないようだが。  ヴェスパーマン家がどうなろうが知ったことではないが、ザビーネがどうしても気にするというならば――。 まあ、マリーナ一人ぐらいならば弁護をしてもよかった。 「有り難う。でも、これはファウストには関係ない話だ。ヴェスパーマン家が潰れるだの、潰れないだのは……そこにいるマリーナを。たかが妹一人を見限れない私だけの問題なんだ。そして、そこにいるババアを睨むのさえも、筋違いだと私は知っている」  冷たい声色で、断りの言葉を彼女が吐いた。  金髪の髪が、胸元で揺れている。 「道理はわきまえとるようじゃの。暗殺教団『宵の明星』は、傘下として加わったのではない。家臣となった覚えはない。アンハルトの軒先を借りただけのつもりじゃ。すでに縁遠い分家のヴェスパーマン家に何かしてやる理由なんて何もない」  褐色の口から飛び出た赤くて小さい舌。  それをちろちろと見せながら、ナヒドは口にした。 「ワシはモンゴル帝国に敗れ、この帝都にまで逃げ出してきた後に。そこでかつての分家が何をやっとるのか調べた。場合によっては分家の軒下を借りる必要があったかもしれんのでのう。だが、そこで知ったのは呆れた有様であった。そこにいる分家当主のマリーナの先代が、何もかもを滅茶苦茶にしてしまったこと。家を飛び出たザビーネとやらが、それなりに有能な人間であること。その二つだけ」  我が分家は、軒先を借りられるような状況ではないオンボロの家になり果てておった。  ナヒドは冷酷な口調で告げる。 「このワシから見ればじゃ。没落したヴェスパーマン家に力を貸してやる道理は何処にも存在せぬ。勝ち取った褒美を分けてやる理由もない。わかるな」 「わかるよ。宗家のババア。私が、このザビーネがアンタらを使って教皇の首を勝ち取ったところで、暗殺に成功したところでヴェスパーマン家とは何の関係もないって言いたいんだろう?」 「そうなるのう」  話が良く掴めない部分がある。  ヴェスパーマン家はそんなにもヤバイ状況なのか?  ともかく、まあ単純な論功行賞の面で言えば、ナヒドの暗殺部隊が叩き出した功績を何もしていないヴェスパーマン家に与えるのはおかしいだろう。  それはわかる。 「だが現場指揮官はワシではなく、変わらずザビーネ・フォン・ヴェスパーマンである。そして、その立場として本当はどうすべきかも理解しとるじゃろう。さっさと実家の妹など見捨てろ」  ナヒドはハッキリと通告した。  ザビーネもきっぱりと答えた。 「嫌だね」  何か、振り切れた表情でザビーネが呟く。 「何も知らなかったならば、それも出来た。きっと、以前に一人の騎士に出会う前の出来事であったならば。それができる人物だったと自分の事を理解しているよ。私はそういう人間だという自覚があるんだ。だけど」  そうだろう。  ザビーネはどこか狂っていた。  多分、彼女にとっては身内というカテゴリー以外の人間は家畜の価値しかない。  自分にとって必要な人物以外は、人として価値を認めていないのだ。  ヴァリエール殿下であり、親衛隊の同僚であり、おそらくはそこに私が加わる程度の小さな世界で生きている。  だから、彼女が何か。  いくら妹とはいえ、マリーナ嬢を庇うのは不思議に感じていた。 「……何の罪もない妹が親の連座でぶっ殺されるのは」  だからこそボソボソと、何か頼りなさげに呟くのは理解できなかった。  ふと、何か気になるところがある。  ザビーネが、何処か呆れたように、それでいて憧憬のような目で私を見たことが一度だけある。  何か尊いものを見つけたような瞳をしていた。  あれは。  初陣が終わり、安酒場で彼女の親友であるハンナを悼んでいた時のことではなかっただろうか。 「では、なんとする?」  ナヒドの言葉一つで、私の思考は遮られた。 「お前の結論が聞きたいのう。優秀なる我が血族の末裔、ザビーネ・フォン・ヴェスパーマン」 「まず、暗殺にはナヒドの一族に参加してもらう。アナスタシア殿下の指示であるし、テメレールのバアさんの賛意も得ている。これを拒否する権限は私にないし、そして現場指揮官としての私にも暗殺成功のためには拒否する理由がない」  滑らかな声。  ほうほう、とナヒドが小馬鹿にするように笑った。  何故だか、少し残念そうにさえ見える表情で―― まあ仕方ないじゃろうなとでも、口にしようとして。 「ヴェスパーマン家が暗殺の実行犯に参加する必要はない。有能な暗殺者の殆どは死に絶えており、参加できるだけの力量を備えていないことは把握済みである。だが、諜報員は僅かながらに残っており、また帝都に埋伏させることはできた。色々な情報を入手した。聖堂の衛兵配置も、教皇がどこにいるかも、相手側の警戒すべき超人がどれだけいるかも、ケルン枢機卿が捕らわれて幽閉される場所も。異端審問が行われる予定の場所も。テメレール公の協力も得たが、ヴェスパーマン家がすでに成果を上げたことは間違いない」  それを止めた。  代わりに、ほう、と再度呟いた。  今度は称賛が含まれていた。 「何というか、ザビーネ・フォン・ヴェスパーマン。お前はそこにいるマリーナから実権を奪い取って数日も経たぬ内に諜報員を埋伏させ、暗殺に必要な情報を得たと言うことだな。どうやった? さぞかし酷いことをしたんだろうな?」  称賛の声に、ザビーネは全く気分などを良くした様子は無い。  それどころか、何も言いたくないという顔をしているが。 「……お望みならば。私の先祖とか抜かす糞ロリババアが、暗殺計画でちゃんと言うことを聞くというならば、後で聞かせてやる。ファウストの前では口にもしたくない」    私にだけは聞かせたくないと告げて、それで終わらせた。  不思議に感じている。  ザビーネは、何処かが「らしくない」。  おかしくなっている気がするのだ。  いつもの彼女であれば、あまりにも酷い手練手管を愉快気にゲラゲラと笑いながら話すであろう。  このファウストは、彼女の身内のはずだから。 「ファウスト。お願いだからそんな目をしないでくれ。お前が聞く必要のない話なんだよ」  何故か、少しだけ悲しそうに言い訳をするザビーネを見て。  どこか彼女の不調を感じるのだ。 「よいな、よいぞ。ザビーネよ。確かにおぬしは我が一族の末裔であると認めよう。まあ、大体のやり口はわかる。ヴェスパーマン家は、家の起こりを忘れておった。異国からやってきたことを恥じてか、異教徒の出自であったことを恥じてか。それを意図的に忘却したかのように忘れておった。だが、暗殺者一族として、諜報のやり方だけは忘れていなかったではないか!」  ナヒドは絶賛している。  ザビーネは、唇をかみしめて、私の方を観ないようにしている。  どうも、何かが上手く?み合っていない気がする。  こんな様子で、本当に教皇が暗殺できるのだろうか。  私は不安を覚えている。  どこか、ごりごりとした腫瘍が、教皇暗殺という計画の骨子に張り付いているような気がした。 「……」  何か、口にしようとして。  そして止めた。  この不安が本当に、ザビーネの不調や、ナヒドの参加によるものか?  そう問われると、どうにも違うと直感が告げている。  何か、ミスをしていないだろうか。  何処かで重要な失敗を、誰でもない、このファウスト・フォン・ポリドロがしでかしているのではないか。  私が発言しておかねばならぬ危惧を、この曖昧な知能ゆえに導き出せていないだけではないのか。  どうにも頭が良くない。  何が悪いのか、何が駄目なのか、どうしてか喉に引っかかって口に出せぬ。  いっそ、見落としがないかをこの場にて相談しようか。  そう口に出そうとしたところに。  ノックの音が。 「ファウスト様、伝令です!」  ドアの向こうからは、マルティナの声。  私が顎をしゃくると同時に、ドア付近にいるマリーナがドアを開けて。  そこにいる私の腰ほどの背もないマルティナが、室内の全員に聞こえるように大声を張り上げた。 「ケルン枢機卿の身柄が、先ほど拘束されました! 正統信仰に反する教えを持つものとして、ケルン派に異端審問を行うと、各選帝侯の下に教皇勅書が送られてきております! ケルン派の聖書である『新世紀贖罪主伝説』に対して異端性がないかどうかを審議するとのことです!!」  私は、自らの信仰指導者であるケルン枢機卿が拘束されたと聞き。  だが、おそらくは大した抵抗もせずに自ら望まれて捕らわれたことを理解して。 「そうか」  一瞑りだけ目を閉じた後に、荒い息を吐いて立ち上がった。  今は、一切の危惧を忘れ去るとしよう。  失敗について気配りばかりをしていては、命取りとなる。 「マルティナ、枢機卿猊下が捕縛されたのは自らの意志である。ゆえに、今は何もすることはできぬが……」  それでも、やっておくべきことがある。 「教皇の顔を拝んでおくとしよう。近々殺す相手の顔ぐらいは覚えておかねばならぬ」  今からすぐに向かえば、大聖堂に連れていかれる枢機卿猊下を見守ることも。  それを指揮する教皇の顔も拝めるだろう。  私はすぐにマルティナを連れて、帝都の大通りに向かうことにした。