第197話 ヴァリ様は忙しい 「そんな事を私に話されたところで、どうしようもないわよ?」  ヴァリエール殿下の戸惑うような台詞を耳にして。  この私は、マリーナ・フォン・ヴェスパーマンは頭を床に擦り付けた。 「お願いします! お願いします!! ヴェスパーマン家を救ってください!!」  もうこれしかないのだ。  アナスタシア殿下が私との謁見を拒んで、教皇暗殺計画に対してヴェスパーマン家の不参加を決定したのだ。  全てが終わるまで、お前は私を訪ねてくるな。  お前個人の爵位は保証してやるが、それは私の個人的な紋章官としてである。  諜報機関としてのヴェスパーマン家を維持するだけの経費を払ってやる気などは、今後一切ないと。  そうアスターテ公爵を通して告げられ、尻を蹴とばされて追い出された以上は他に方法はない。  最近はめっきり姉妹の仲が改善されたヴァリエール殿下にお縋りするしかないのだ。  彼女に懇願し、どうかアナスタシア殿下への再度の仲介をお願いする。  膝を地につけて、ただ頭を床に擦りつけて懇願する。  四本足の獣のようにして這いつくばって頼むのだ。 「このままでは、長年諜報機関として王家に仕えてきたヴェスパーマン家は崩壊します! 我が血族が完全に離散してしまうんです!!」 「いや……そんなこと言われても。姉上がもう駄目っつったら、それで全部終わりでしょう。私が口添えしたからって、どうにかなるもんでもないわよ。何があってそこまで嫌われたのか知らないけどさあ。マリーナ個人の能力が見限られたわけじゃないなら、もう実家は見捨てたら?」 「そんな惨いことを!」  この世で一番配下を見捨てられなさそうな御方に、お前の家は正直もう駄目だよと言われた。  正直私も駄目なんじゃないかなという気はしているのだが、貴女にだけはそう言われたくなかった。  どこまでも配下に優しいヴァリエール殿下は、少し困ったように首を傾げて。  横にいるベルリヒンゲン卿や、プレティヒャ卿を見つめる。 「アメリア。この件についてはどう思う?」 「ヴァリエール様、こちらを見つめられても困りますな。アンハルト王宮の事情なんて何も知らんのに。私は契約的な話に限ってならば、皇帝陛下と主従契約を結んだ領主騎士なのだから。何の関係もなければ興味もないアンハルト選帝侯家内部についてなど、何のアドバイスができようか」  まあ、皇帝とは仮初めの仲に過ぎぬし、もう私にとっての主君は生涯貴方一人だけなのですが。  そうベルリヒンゲン卿は呟き捨てて、そして薔薇が花開いたように笑って、殿下をただ見つめている。 「プレティヒャ卿は?」 「一応私はベルリヒンゲン卿と違い、アンハルト選帝侯家に仕える一代騎士の立場なのですが。成り上がったばかりで日が浅く、状況がわかりかねます。彼女の姉であるザビーネ・フォン・ヴェスパーマン卿とは友誼を結んでおりますが……」  はて、正直言いまして、ザビーネ卿はヴェスパーマン家に関わると損をするから無視しろと口にしていたような。  彼女も私同様、あの実家を飛び出たようなものなのだと笑っておられた気も。  新米の一代騎士はそう呟いて、胡乱げにこちらを見ている。  状況は悪く、味方はいない。  そもそもが、彼女らはヴァリエール殿下にとっての損得にしか興味がなさそうに見えた。  私に対しては「ヴァリエール様の迷惑になるならば叩きだすぞ?」などと冷たい視線をくれるばかりである。 「ヴァリエール第二王女殿下。私たちの価値をお話しします。我々ヴェスパーマン家は、王家に対して常に忠実であり、それこそアンハルト選帝侯家の開祖からお仕えしてきました。他国から情報を抜くことも、自国の情報を護ることも。王家の敵を殺めるための毒薬や短剣として務めを果たしてまいりました。近年の失敗続きはもちろん恥じ入るばかりであります。ですが、必ずや今回の教皇暗殺計画には役立って見せます。殿下にお口添え頂けるならば、ポリドロ卿の当主になられた後も恩義を忘れるつもりはありません。どうか、教皇暗殺計画への参加をアナスタシア様にお口添え願います」  私はもう言い募るしかないのだ。  ヴェスパーマン家の価値を訴えて、なんとか参加をねじ込まなければ本当に家が消えてなくなる。  リーゼンロッテ女王陛下がおらず、またアナスタシア殿下への謁見も拒まれた今となっては。  私がお縋りできるのは、ヴァリエール殿下ただ一人であった。 「いや、そんなこと言われても……私は忙しいし。変なことをして、姉上の不興を買ったりしたら不味い状況だし。最近は優しいけどさ。別に姉上の性格が変わったとかそういう話じゃなくて、私がちゃんと王族としての務めを果たすようになったからこそ、相応の扱いをしてくれているだけだし……」  ヴァリエール殿下は右手の人差し指で、左手の甲を掻いたりしながらに。  正直言えば面倒くさいしと、我が家の先行きなどは心底どうでもよさそうに呟いた。  彼女は手の甲を掻くのを途中でやめて、右手を開いて三本の指を立てる。 「いや、言い訳みたいなこと言ったけど。私は今凄い忙しいのよ。一応の戦時叙勲というか、まあ帝都までの行軍において全員に対する報酬は支払い終えてるけど、別にそれで解散する流れじゃないから。ポリドロ領への移民希望者名簿をこれから作らないといけないし、移民をするならするで、ポリドロ領で生活を安定させるまでに今回稼いだお金を使い果たさないよう貯蓄を預かってあげないと。酒保商人であるイングリット商会が銀行業をやってくれるらしいけど、私が立ち合いの上で預金契約を保証して欲しいって人が沢山いるし」  まあ私は作られた預金証書の内容を確認して、印章を押すだけなんだけどね。  これが一つ目と言わんばかりに、ヴァリエール殿下は人差し指を折った。 「二つ目は、これからアンハルト選帝侯家に一代騎士として仕える事になった者たちに、礼儀作法やアンハルト王都における振る舞いを教えてあげないといけない。せっかく騎士になれたのに、些細な事で山出しの田舎者だなんて馬鹿にされたり、恥をかいたりすることになったら私が嫌なのよ。第二王女親衛隊もちょっとそこら辺はあれだから人に教えられる立場じゃないし、姉上に紋章官の一人でも借りて、なんとかしないと」    そう呟いて、中指を折る。 「三つ目は、一番大事な商売について。私は行軍途中に大量の交易品を買い上げてきたけど、それを帝都の交易ギルドに全て買い上げさせる形で清算するつもりだった。その資金を元手に、ポリドロ領での開拓を成功させるつもりなのよ。姉上も、アスターテ公爵も手助けを約束したけれど、それだけじゃまだ足りない。暴力を背景にした力業で交渉を何とかしたいとは考えていたけれど。少しややこしい話になっているわ」 「話は伺っております」  腐ったとてヴェスパーマン家は諜報機関であり、帝都の事情は知っている。  帝都の交易ギルドがヴァリエール殿下率いる軍集団に怯えて、対抗策として帝都に滞在するランツクネヒトを大量に雇ったのだ。  ランツクネヒトは皇帝に雇われている立場であり、またヴィレンドルフのレッケンベル家に縁を繋いでいる状況ではあるが。  別に、皇帝以外の他者に雇われてはいけないなんて契約は結んでいない。  皇帝やレッケンベル家に刃を向ける行為でさえなければ、基本的にはどんな殺し合いをしようと自由だった。 「一応聞いておくけど、貴女が、ヴェスパーマン家がランツクネヒトを何とかできるって言うなら協力してあげてもいいけど。何か役に立てる?」 「……」  ヴァリエール殿下は、薬指をぷらぷらと浮かせている。  沈黙する。  できるわけがないし、そんなことはヴァリエール殿下も判っている。  ようするに、無理難題を口にして話を断ろうとしているのだ。  ヴァリエール殿下が帝都までの行軍にて率いて、未だ解散していない軍集団に対抗できるのがランツクネヒトどもであるのだ。  ヴェスパーマン家はおろか、選帝侯でさえも難儀する問題である。   「諜報面での協力ならば、お任せくだされば。相手側の中核人物の暗殺なども」  苦悶の声で呟く。  胃が重たく、胸が苦しい。  嘘を吐いているからだ。  もうヴェスパーマン家に、その能力はない。 「……悪いけれど。私にとっての諜報はザビーネだけで間に合っているのよ。暗殺については聞かなかったことにするわ。ともあれ、姉上への口添えは出来ない」 「ヴァリエール殿下! 我が家に出来ることならなんでも致します!!」 「そもそも、暗殺計画に参加したければ、私に頼むこと自体が根本的に間違っているのよ。私のアンハルト王家としての仕事は、この帝都にザビーネを送り届けた時点で終わっている。頼むのならば、それこそ――」  口にしてもらいたくないことを、ヴァリエール殿下は口にしようとしている。  耳を塞ぎたくなるが、それは出来ない。  眼前でそんなことをすれば、本当に殿下からの不興を買うだろう。 「教皇暗殺計画の現場指揮官である、ザビーネに頼みなさいよ。貴女の姉でしょうが」  そうだ、ヴァリエール殿下の仰っていることは正しい。  筋としてはそうすべきなのだが。 「……姉は、もう私の話を聞いてくれないでしょう。少なくとも、実家のことに関してだけは」  あの人は、本当に心底から実家の事が、ヴェスパーマン家の事が大嫌いなのだ。  別に意図的に何かを妨害するなんてことはしないが、まあ落ちぶれるならさっさと落ちぶれてくれと。  消えてなくなれと本気で思っている。 「だからと言って、私が聞く理由もなければ、応じるメリットもない。最初に言った通り、姉上に何か口添えをするなんて無駄な事はしたくない。ザビーネに、ほんの少しだけ話を聞いてあげなさいと私からお願いしておくわ。私がしてあげられるのは、そこまでよ。というわけで――」  ヴァリエール殿下が薬指を完全に折って、その手を左手で撫でた。  そして呆れた顔をして、ため息を吐きつつ呟く。 「今ここでお願いをするんだけど、どう考えてるの? ザビーネ」 「妹が恥ずかしい真似をしました。まずは謝罪を」  背筋がぞっとして、背後を振り返る。  姉が、ザビーネ・フォン・ヴェスパーマンが背後に立っていた。  折り目正しく体を折り、ヴァリ様への敬意を示している。 「ザビ姉!?」 「お前とろいんだよ。話の途中から背後に立っていたのに、全然気づかないのは駄目だろ」  いや、足音はおろか、人の気配なんか少しも感じなかったもの!  言い訳をしたいが、唇を噛んで堪える。  私とて、ザビ姉のような暗殺者教育とまではいかないが、諜報機関の一員として教育は受けていた。  顔を赤らめて恥じる。  やっぱり私はボンクラで、姉は超人だった。  人の心を持っていない以外には、何の欠点もないのだ。 「……さて、ヴァリ様のお達しなれば従わねばなりません。妹を連れて行きます。ベルリヒンゲン卿、プレティヒャ卿、すまないが教皇暗殺計画が終わるまではヴァリ様をよろしく頼むよ」  襟首をつかまれて、無理やりに体を引き起こされる。  ザビ姉はヴァリ様と、その二人の側近にひらひらと手を振って、にこやかに微笑んだ後に。 「ヴェスパーマン家が雇っている暗殺者を全員連れてこい。ヴェスパーマン家が辛うじて生き残るか、完全に使い潰されるか、それともその価値すらもないのか。話はそれを見極めてからだ」  心底嫌であるという感情を隠そうとすらせずに、冷たい瞳で私を睨んだ。