第172話 お腹が痛いときに祈る神様 お腹が痛いときに祈る神様に祈っている。 私が祈っているのは――一体何処の神様に対してなのだろうか。 三位一体たる唯一神は魂を救ってくれると仰っているが、私が救って欲しいのは魂ではなく猛烈な胃痛からであり、そのような大層なことは望んではいない。 お腹が痛いときに祈る神様に仮の名前を付け、例えばポンポンペイン神とする。 ポンポンペイン神はお腹が痛い現象を司る神であり、愚か者が暴飲暴食や寝不足により正しい生活を送らなかったり、悪い物を食べたり、自分の能力限界を超えたやらかしをしたときに何処からともなく現れて、お腹が痛くなる罰をくだすのだ。 もうしませんから、もうしませんからと涙目で心の底からポンポンペイン神に謝罪して祈りを捧げたときのみ、痛みを気持ち僅かだけ軽減してくれる権能をお持ちである。 此の世に産まれ落ちた以上、一生に一度は誰もがポンポンペイン神に祈る機会があるだろう。 善人悪人問わず、哀れなる衆生を今もそっと陰から見つめておられるのだ。 そのようなインチキ宗教を考えている。 もちろん現実逃避であった。 「……」 どうやら、あまりの胃痛に少しばかり気が触れていたようだった。 というか、ほんの数秒だが気絶していたようである。 椅子に座り、力を込めた際に強烈な胃痛で意識が落ちたのだ。 もう限界が近い。 私は首を振って意識を奮い立たせ、なんとか立ち上がる。 この旅団内では一番立派な自分の陣幕にて、周囲を見渡した。 陣幕には私以外にザビーネとベルリヒンゲン卿がおり、私は少し迷ったが――ベルリヒンゲン卿もある程度は私の本性を把握しているので、気にせず愚痴を吐き出すことにした。 「私、今朝のオシッコがピンク色だったんだけど」 血の小便が出たのだ。 鮮血のような真っ赤ではなかったし、血の塊を吐き出したわけでもないが。 なにか強烈なストレスによる炎症が私の身体に変調をもたらしていた。 ザビーネが口を開いた。 「私はヴァリ様のオシッコなら飲めます」 「誰がそんな言葉を聞きたいと言ったの? 頭大丈夫なの?」 ぶち殺すぞザビーネ。 質が悪いことにザビーネの目は本気であったし、このサイコパスにはからかい等の意図は全くなく、私は貴女のオシッコが血に染まっていても飲めますという。 変態性と忠誠心のコラボレーションからくる告白であった。 すでに口にしたが、別にそんな言葉を聞きたいわけではない。 ていうか飲ませないわアホタレが。 「なんでこんなことになってるの? なんでこんなことになってるの?」 二度、困惑を呟く。 現状はどう考えてもおかしかった。 整理しよう。 私の目的はザビーネを帝都に連れていくことであり、他に何の目的もない。 当初はそれ以外、何の目的もないはずだったのだ。 だが、当のザビーネがもうなんか帝都だとヤバイ事になってるのが簡単に想像できるから1000人ぐらい連れて行った方が良くね? と進言して、結果的になんか社会的に市民権すらない貧乏商人や馬借、山賊なのか傭兵なのか、なんだかよくわかんない傭兵団ども、法衣貴族の三女四女のスペアども、あともう何がしたいのかすらよくわかんないケルン派の聖職者たち。 そんな色々な方面で可哀そうな人たちを、ポンポンペイン神に縋る胃痛持ちの可哀そうな私たるヴァリエール・フォン・アンハルトが旅団長になる形にて引き連れ、帝都に向かって進撃している。 それがまあ最初のアンハルト王都から出発するにあたっての状況であったのだ。 そこまではよい。 そこまでなら、私だって何とかまあアンハルト選帝侯の第二子女として、状況を回せたかもしれない。 ザビーネを基本とする親衛隊に多くを任せることになるだろうが、なんとか切りまわせた。 しかしだ。 「ザビーネ! 今の旅団員数を言ってみなさい!」 「えーと、まあ。純粋な戦闘兵員と言う意味でなら1200程ですね。最初にいた傭兵団と法衣貴族の三女四女が600でしたが、それに新規追加でフリーランサーの黒騎士や傭兵団が押しかけてきまして、あっさりと倍増しました。それに酒保や交易商として、元からいる商人300に旅商人が100ほど加わって400。ケルン派聖職者も町々へ立ち寄るたびに増えまして50。それに商機到来とばかりに旅芸人なども大量に加わった上、ケルン派に……」 ひいふうみい、と指折りザビーネが数えているが。 そんな細かな数字を聞いてもお腹が痛くなるだけなので、私は大雑把な返答を求める。 「軍隊的な意味で旅団の人数を聞いてるんじゃないのよ。私が引きつれている人たちは何人いるの?」 「まあ2000は超えていますね。領主へのフェーデ(合法的掠奪)に成功して、路銀に余裕ができたことを聞きつけて、欲深き者が集まってきています」 眩暈がした。 出発の際の1000人ですら頭がおかしいと思ったのに、数はすでに倍を超えている。 ハッキリ言えば、私にはこの規模の指揮などできない。 今、旅団内の規律や治安が守られている状況が異常と言っても良いのだ。 私は今の現状をどうにも理解できていない。 「問題はまだ発生しておりませんので、このままいきます」 ザビーネは言い張った。 何一つ気になどしていないといった風情である。 この時ばかりは、主君たる私や同僚たる第二王女親衛隊、そしてファウスト以外の事など心の底からどうでもよいと考えているザビーネが羨ましかった。 多分、問題が起きたら起きたで、私を守るための肉盾が少し減ったぐらいの感覚で終わらせるつもりなのだ。 まあどうでもよいか、と私も同様に考えられるなら、ここまで胃など痛めていない。 「ザビーネ、尋ねるわ。この状況をどこまで予想していた?」 「本音を申しますと、私の想像をすでに上回っております」 そりゃそうだろう。 ザビーネとて、最初の1000人を基本として帝都まで突っ走るつもりであったし、だからこそ最短ルートにおいて必須である危険札を掴もうとした。 危険札とは、ちょうど横にいるベルリヒンゲン卿である。 帝都までの街道を知り尽くした道先案内人であり、道行きの路銀を稼ぐためのフェーデ(合法的掠奪)を極限まで簡略化するための危険札にして鬼札である。 伝説的強盗騎士である彼女が私の補佐を務めている以上、彼女を手中にするための試練を乗り越えた後は、このヴァリエールがやるべきことなど領主から金を悪どく毟り取るだけのルーチンワークにすぎなかったはずなのだ。 だが。 だが、しかしだ。 当のベルリヒンゲン卿が言うのだ。 「いや、ハッキリ言わせてもらえればヴァリエール殿下が全部悪い」 言いやがったコイツ。 言われたくない言葉をハッキリと言いやがった。 「あのさあ。私の言葉に従っていれば、まあ想定外の人員増加はあっても極力最低限で済ませられたぞ。本当に最短ルートぶっちぎりで帝都に掠奪騎行をさせてあげられたよ」 なのに、と。 ベルリヒンゲン卿がくるり、と私に突きつけた人差し指を回した。 蜻蛉の瞳を回転させるようにして、まるで昆虫風情と馬鹿にしたような口調であった。 「殿下は変な情けをかけてやった。今から路銀を略奪する相手に対して、もう追い詰められて自分が蛇に睨まれた蛙風情に過ぎぬと覚悟した領主どもに対して情けをかけた」 そうだ、私は情けをかけた。 そもそも、私は確かに金が欲しかったが、それは私が私腹を肥やすためではない。 自分の配下がくうくうお腹を空かせながらに帝都まで歩くなど嫌であったし、これからアンハルトに仕える騎士になるであろう元傭兵団の団長、市民権を得る兵士たちに、活躍の褒美となる見栄えの良い装備一つ与えてやれないなど悲しくてしかたなかった。 パンの一切れを少しづつ千切っては大切そうに口に含む、本当に自分の全財産を投げうって交易品をしこたま買い入れているロバ二匹を連れた馬借を見た。 金だ。 金さえあれば、私は彼女たち全てを幸せにしてやれた。 だけど、その金を用意するためには、どうしても人から奪う必要があった。 その金を持っているのは、帝都までの街道を支配している封建領主騎士達であった。 それでも、それでもだ。 「彼女たちだってお金が必要なのよ。別に、自分たちが贅沢するために蓄財しているわけじゃないのよ。飢饉のとき、軍役のとき、祭事のとき、頑張っているけれど不幸にして救われない領民を救済してあげるために。そういう時のためにお金を蓄えているのよ。婚約者たるファウストがどれだけ頑張って、自分の領民のために心を砕いて領主騎士をやっているのか、知っているのよ」 彼女たち領主から金を奪うということは。 とてつもない悪徳であると私は理解していた。 単純にそれを行使することに、私の良心が耐えられなかった。 「だから、譲歩すべき点を見つけられないかと思った。考えに考えて、そもそも酒保商人や馬借たちが何を目的に旅に同行しているかを考えて。これしかないと思いついた」 どうせ帝都に出向くのならば、交易にて儲ければよいのである。 最初は良いアイデアだと思ったのだ。 私も、領主も金が必要ならば、もっとも余裕がある帝都から回収すれば誰もが幸せであった。 別に帝都の商人とはちゃんと商売をするつもりであるから、たとえ千剣の暴力を背景に交渉したとしても罪悪感は薄い。 ちゃんと金銭価値のある交易品を領主から買い取って、配下の騎士や兵にも褒美の品を与え、旅商人や馬借も元々が運搬業であるのだから、それを運ぶための給金を与えることができる。 もう、なんか、この凡庸なる私にしてはマトモなアイデアだと思ったのだ。 最初だけ。 最初だけはそう思ったのだが。 「……私がフェーデした封建領主が旅に付いてきて、旅団規模が拡大したけど」 封建領主のほぼ全員が、旅への同行を申し出てきたのだ 私への臣従礼(オマージュ)を衆目の前にて誓った後、最低限に抑えた陪臣騎士や兵士を率いて旅団の尻に付いてきており、沢山の交易商を引きつれている。 ベルリヒンゲン卿はまた、くるり、と人差し指を回した。 そうして心の底から阿呆を見るような表情で、私に答えた。 「殿下がやろうとしていることの真似をしているだけだよ」 封建領主だって馬鹿じゃないんだよ。 今回のヴァリエール殿下の旅に同行することで、明確なメリットがあるんだよ。 私はヴァリエール殿下こそが我が主君であると主従関係を結んだ騎士であり、殿下が無事帝都ウィンドボナに到着するまでを見届ける義務がある。 そうであるから、当然として帝国における街道関所の関所税など払う気など無い。 関所税を払わずに、他領主の許可など得ずに街道を通る権利があるのだと。 そう言い張るつもりなのだと、ベルリヒンゲン卿は答えた。 私はその言葉を受け取り、解答を為す。 「……私たちが山賊を皆殺しにしながら進むから旅の安全は保障されており、軍役などを強いて領民から兵力を集める必要は無く。ただ交易をするに当たっての最低限の軍備だけ整えて、私たちと一緒に帝都まで乗り込んで、商人に交易品を売りつけると?」 いや、うん。 確かに、私が実行しようとしている事をなぞる様な最適解ではある。 逞しいな連中。 「そうだよ。帝都までの街道を支配するような封建領主たちを甘く見過ぎなんだよ。殿下に払った礼金を一部補填するどころか、最終的に利鞘を稼げるかもなんて変な妄想してる奴もいるぞ」 これなら、もっと分捕れたかもしれない。 ベルリヒンゲン卿はそう呟いて、少しだけ悔しそうに吐き捨てた後。 「まあいいさ。結果的にはこれでもよい。殿下は別に損をしていない。ただ、先に言った通り、旅団規模が拡大したのは何もかもヴァリエール殿下の自業自得だ。それぞれの面子を懸けて殺し合いを始めようが、統制が取れなくなって街への掠奪を始めようが」 もはや私との会話に価値を見出していないようにして。 鉄靴を踏み鳴らし、私に背を向けた。 「何もかも殿下の自業自得だ。殿下が血の小便を流すのは、そこの変態(ザビーネ卿)のせいだけではなかろう。覚悟して帝都まで道中を歩まれると良い」 ベルリヒンゲン卿の、単刀直入に事実を告げる言葉だけが陣幕に響いて。 私はまた、胃が痛くなった。 「助けてポンポンペイン神」 そのように呟く。 当たり前だが、私の妄想上の神様は何もしてくれなかった。