第167話 ケルン派の鶏鳴 旅は続いている。 最初30名の従軍神母の群れに過ぎなかった我らは今や50名に達している。 ヴァリエール様の旅団に混ざり、街から街へと移動するにあたってケルン派の教会へと立ち寄りて、その教会の神母に司祭様からの手紙を渡す。 すると神母は感動に打ち奮えて泣き、修道女の中から帝都までの優れた巡礼者を募ってくれる。 それを何度も繰り返すにつれ、我々は着実に数を増やしていた。 腰にはメイスとピストルをぶら下げ、マスケット銃を背に負って。 清貧の中で貯めた浄財を費やしては、旅すがらにロバと荷車の数を増やして、教会にある塩樽と火薬樽を荷台に積み上げ、ひたすらに行軍する。 傭兵たちに火薬と鉛玉を売りて路銀を稼ぎ、塩を旅団内に配給しては集まった皆にケルン派の説話を語り、興味を持つ者がいればケルン派の聖書たる『新世紀贖罪主伝説』についても教える。 今日も二頭のロバを連れた貧しい馬借にせがまれて、説教をしてきたばかりである。 「今日の説教は本当に良い出来でした」 今日の説教は――贖罪主が全身全霊の抵抗虚しく、弾丸が尽きたがゆえに捕らわれてしまった際に、ある臆病者の弟子が自分も一緒に捕まることを恐れて「あんな人は知らない」などと三度も否認してしまったこと。 その弱さに対する優しさについての教えであった。 ケルン派の神聖なる儀式たる『心臓殴りの儀』にて贖罪主が示された限りでは、三度目までならば神は疑っても優しく信徒を御赦しになられ、主は悔い改めて生き返った信徒を受け止め、再び立ち上がらせてくださるとあるのだが。 弟子は自分の弱さゆえに、許される限度たる三度を破ってしまったのだ。 贖罪主と一緒に闘うどころか、自分が連座で処刑されることさえ恐れて、贖罪主と自らの信仰を裏切ってしまったのだ。 その臆病がどれだけ惨めなものか、自分の意思と自分の愛する者を裏切ることがどれだけ虚しいかは、誰よりも本人である弟子が一番理解している。 もはや、生涯において弟子の心が安んじられることは二度とないだろうと思えた。 だが、その数日後にある者が現れた。 弟子のこめかみにピストルを突きつけながらに、にこやかに笑ってこう仰られたのだ。 『いいか、もう一度だけチャンスをやろう。私の名前を言ってみろ』と。 刑死したはずの贖罪主が、復活して自分の横に立っていた。 その声は弟子をからかうように優しかった。 弟子は狂喜して、ピストルを突きつけられている事すらも忘れて、自分が何より尊敬していた贖罪主の名前を目覚めた鶏のように叫んだ。 だが、その名を叫んだ瞬間に贖罪主の姿は朝露のように消えてしまった。 そこに残ったのは贖罪主が握っていたはずのピストルと、ケルン派の魂のみである。 弟子はピストルを握りしめて、激しく泣いた。 わかるだろう。 これ以上は言わずともわかるであろう。 臆病さゆえに贖罪主を見捨てても、信仰すら裏切ってしまっても、それでも贖罪主は弟子を見捨てなかったのだ。 臆病者の弟子の弱さを贖罪主は何もかも知っていたからこそ、愛ゆえに四度目の改悛の機会を与えて弟子の心を救済したのだ。 これこそが無限の愛(アガペー)である。 その後、弟子が再び立ち上がったものは言うまでもない。 この世界に存在する悪や悲惨や不幸や差別や貧困、理不尽な世界全てに立ち向かうために、ピストルを手に取りて立ち上がり、その命と身をもってケルン派へと再び加わったのだ。 これが『新世紀贖罪主伝説』の『鶏鳴の儀』に書かれている内容である。 熱く語り終えた私を、感動したように見つめて。 貧しい馬借が二頭のロバに身体を擦り付けられながら、ポツリと呟いた。 「私も、自分の悲惨や差別や貧困に立ち向かうために、今この旅に加わっております。ヴァリエール様がお与えくださったこの試練を勝ち抜いた暁には、全てを手に入れることが出来るはずなのです。その――助祭様がくださった説教に、深い感銘を抱いております」 馬借は涙を一滴流して、感動に打ち奮えた。 私は呟いた。 「ええ、貴女はケルン派の熱心な信徒であり、尊い御方であるヴァリエール・フォン・アンハルト殿下に誘われて、この旅に加わることとなりました。ですが、ヴァリエール様は厳しい御方です。旅に加わったのは全て貴女の意思ですよ」 明確なる事実を。 ヴァリエール殿下はケルン派への信仰厚き御方である。 同時に、ただ優しいだけの御方ではない。 こめかみにピストルを突きつけるまではしてくれても、鶏が鳴くように絶叫しなければ、自ら立ち上がらなければそれを見捨てるだろう。 だから――私も、ケルン派へ改宗しなさいなどと馬借にハッキリと口にはしない。 「……私は貧しい馬借で。その、えっと、学もなければ教養もありません。その……何か、自分の財産から浄財を寄付する余裕も。あ、でも、無理をすれば」 「いりません。貧しい方から何かを奪いて、何が信仰でありましょうか。日々を生きる一生懸命の者から銅貨をかすめ取るなど、聖職者として許される行為ではありません」 私は馬借を、優しい声で窘めた。 馬借は、何か困ったかのようにして、何か言いたいかのようにして私を見ている。 私は両手を小さく開き、誘うようにして言葉を促した。 これはこめかみにピストルを突きつける行為である。 「もし、私のような者でもよろしければ、改宗は許されるでしょうか」 「かまいません。貴女が永遠にケルン派の列に加わることを歓迎いたします」 ケルン派の改宗儀式には金などいらぬ。 自らケルン派に加わると叫べばよい。 これこそをケルン派で『鶏鳴の儀』と呼ぶ。 この世界に存在する悪や悲惨や不幸や差別や貧困に立ち向かう覚悟さえあればよい。 ――まあ、より深い改宗儀式ではもう少しばかり厳かになるので、多少は浄財が必要になるが、単に加わるだけならば必要は無い。 もちろん、彼女のような貧しい馬借たちも帝都までの行商を無事終えて資産を築いた後には、正式な改宗儀式を望むだろうが。 それはもう商人たちが自分から望むことであり、何の問題もない。 今日も一人、ケルン派信徒を増やした。 「やっぱり私の説教は本当に上手で――いかんな、それは傲慢だ」 少し、自分の傲慢を戒める。 アンハルトの教会で司祭様に窘められたことは、まだしっかり覚えている。 ともかくこのように、贖罪主の御心に沿う神聖なる行為を続けている。 旅を共にする間に、我々の説話や説教を面白がって聞く商人や傭兵なども増え、そもそもヴァリエール様がケルン派への信仰厚き御方であることから、単なる転向ではなく本格的な改宗儀式を執り行う機会も増えてきた。 もちろんそれはケルン派の熱心な信徒であるヴァリエール様に、自分も同じ信徒であるとアピールするための下心もあるのであろうが――それは徐々に正しき信仰の道へと導いてやればよい。 我々はケルン派として、誠に正しい道を歩んでいる。 『私たちは狂っている』。 その真実だけを真っ直ぐに見据えて、ただ歩き続けるのだ。 私たちには目的がある。 必ずや帝都に辿り着き、達しなければならない目的がある。 「ポリドロ領の助祭。我が姉妹よ」 決意を改めていると、横から声が飛んだ。 「何でしょうか、写本家の姉妹よ」 振り返れば、王都にて加わった修道女たる姉妹の一人が立っていた。 平素は『新世紀贖罪主伝説』の写本を務めているが、どうしても帝都への行軍に参加したいと。 新たなる聖書を『発見』するためのひらめき――思いつき。 いわゆるインスピレーションを得るために、経験値が必要なのだと嘆願して付いてきたのが彼女である。 写本を務める聖職者とくれば侮ってしまう者がいるやもしれないが、我々ケルン派を生半可な集団と一緒にしてもらってはこまる。 彼女とてケルン派の姉妹として修練を怠らず、気迫をこめての立木打ちなどは毎日行っている。 背にはよく整備されたマスケット銃を背負っている。 立派な聖職者の振る舞いとして、まことに何一つ恥ずかしくない姉妹であった。 「ヴァリエール様が呼んでおられます。用件はおわかりでしょう」 「はて」 何用であろうか。 などと惚けてしまいそうになるが、正直理解はしている。 さすがにヴァリエール様のような王族の高等教育を受けた御方には及ばぬが、我々とて聖職者である。 ケルン派聖職者の全てはスコラ学(哲学、神学)はもちろんのこと、優れた建築を織りなすための幾何学も常日頃から勉強している。 教養もあれば学もあった。 なれば、彼女が我々に求めているクエスティオネス(質疑)が何かは誰もが理解している。 彼女が答えを求めるならば、私たちは聖職者として問答の場を設け、確かな討議をせねばならなかった。 私は私の信仰において、それがケルン派への教義を揺るがすものでない限り、全てをヴァリエール様に対して詳らかにせねばならぬ。 それが聖職者として正しい在り方である。 「どうしますか姉妹。隠しますか」 「いえ――ヴァリエール様がお尋ねになるならば、もはや隠すことはしません」 「それがよろしいでしょう」 世の中には隠していた方が良いものもある。 一生知らなくてもよいならば、そのままそっとしておいてあげた方が幸せな事など、人の生を全うするにあたって珍しい事ではない。 だが、ケルン派への信仰厚きヴァリエール様に何を隠すことがあろうか。 むしろ、私たちの本意を知れば「素晴らしい考えと目的ね! 私も協力するわ!!」などと私の手を掴んでは鶏のように叫んでくれるであろう。 「全てをお話します。写本家の姉妹よ、今すぐ出向くとお伝えください」 「分かりました姉妹。ポリドロ家の当主、ファウスト・フォン・ポリドロ卿についての話をまたしてくださるのを楽しみにしています」 最近、写本家の姉妹はファウスト様のお話に首ったけである。 『これは良い発見につながりますよ!』などと叫んでは、私に話を強請ってくるのだ。 ヴァリエール様との話が終われば、また話をすることになるだろう。 まあよい。 私は説教も説話も好きだが、世間話をすることも大好きなのだ。 「さて、行きましょうか」 私はぽん、と腰を叩いた。 そこにはピストルと一緒に――司祭様から預かった柄の長い戦棍があった。