第151話 市民ケーン アンハルトの安酒場にて、複数の商人が集まっている。 一つの疑問が、商人たちに提示されていた。 誰もがそれを解こうと試みる。 「ヴァリエール第二王女殿下は凡庸――いや、失礼。どうにも選帝侯の子女としては器量が劣ると聞いていたのだが。違うのだろうか」 ヴァリエール・フォン・アンハルト殿下は姉たるアナスタシア殿下に何一つ勝るところのない凡庸なる姫君である。 市民はおろか交易商とも呼べぬ、単なる村々の中継を保つための輸送業者に過ぎぬ我ら馬借ですら知っていることだ。 疑問に対し、別な商人が答えた。 「……凡庸とは聞いていたが、同時に無能と聞いた覚えもない。それに、初陣は相談役たるポリドロ卿を引き連れて見事な戦果を挙げている。さして欠点たるエピソードなど聞いた覚えはないな。せいぜいが、王夫なるロベルト様に引っ付いて離れなかったところが覇気に欠けるとされるぐらいで」 「凡庸を装っていたのでは?」 「何のために?」 いくつかの声が飛び交う。 酒が混じっていれば、雑言が飛び交うなど珍しくもない。 商人が複数いれば、その中でそれなりの結論を見出すこともできるだろうが。 私個人として、すでに結論付けられているものを提示してやる。 「ヴァリエール殿下が有能さを示し始めたのは、もはやアナスタシア第一王女殿下が無事選帝侯を継承することが確定になってからだ。それまでは勇猛なる鷹が凡庸なる鳩を装っていただけのこと。玉座に野心がなく、無事に後継者レースから外れることが決定し、今後は一貴族として生きていくとなればだ。大いに翼を広げようというものではないか」 要するに、今までは姉たるアナスタシア殿下に敬意を払っていただけの事。 スペアとしての役目を終えたならば、そこから先は自分だけの人生だ。 ヴァリエール殿下はそうお考えになられた。 自分が長じる能力に足る何かを得ようとした。 そう結論付けられる。 ヴァリエール殿下の実績とあれば、そもそもが輝かしい経歴である。 初陣にて数で勝る「青い血崩れ」相手に、そのカリスマにて民兵を志願させて僅かなる犠牲にて勝利。 蛮族ヴィレンドルフ選帝侯相手の和平交渉に正使として出向き、見事に成立させる。 この間など、女王陛下やアナスタシア殿下が政務を休む際、頑迷なる地方領主へのあいさつ回りのために数世紀前の移動宮廷のようにして親衛隊と走り回っておられた。 武でも政でも、一人前とはいえ14歳の騎士が為した経歴である。 これを見てヴァリエール様の能力を疑うなどできようか。 「今までの経歴を鑑みて、凡庸だと思う方が愚かなのだ」 「しかし、相談役たるポリドロ卿に助けられたところがあるではないか」 「なるほど、確かにポリドロ卿は有能な騎士であろう。では今まで、ヴァリエール様以外の誰が彼の助けとなり、その直属の上役となり得たのか。それくらいは誰でも知っていよう」 ヴァリエール様は自らポリドロ卿を自分の相談役として選んだのだ。 そうだ、ちょうどこの酒場の宿だ。 かつてポリドロ卿はこの安酒場の宿屋に在していたのだ。 そのころは領主騎士とは言え、正直領民を食わせることに必死な貧乏騎士にすぎなかったのだ。 「ヴァリエール様は12歳にして誰の力も借りずに『気狂いマリアンヌ』の息子たる評判悪きポリドロ卿を見つけ、自らがこの安酒場まで赴き、自分の相談役として見事迎え入れたのだ。この事実だけで無能や凡庸とは程遠いとしか言えぬ。それが運が良かったなどの一言で片付けられる出来事か?」 今ならば、誰もがポリドロ卿とならば縁つなぎになりたいと思うであろう。 あのように強力無比な忠誠厚き騎士と、誰が敵対したいなどと思うのか。 だが、あの時本当に卿は孤立していたのだ。 それに声をかけ、下屋敷を与え、自分の相談役としたのがヴァリエール殿下である。 「その有能さなど、もはやどこも疑いようがないわ。それくらい誰でも気づくし理解できる」 「つまり、そんなことも見抜けぬ我らが愚かということか」 「そうとしか言いようがない。考えを全くもって改めるべきだ」 ヴァリエール・フォン・アンハルト第二王女殿下の有能さはもはや疑いようがない。 そう結論が下され、誰もがそれを呑み込んだ。 その結果として。 「参加するのだ。ヴァリエール殿下による帝都までの御親征に我らも参加するのだ。それ以外の結論は有り得ぬ」 貧しい馬借たる私が、イングリット商会による人足として参加しようと。 そう彼女たちに勧誘をかけた。 それを一人の商人が嘲笑った。 「この安酒場で酒を飲むのが精々の楽しみである我ら馬借風情が。市民権すら持たず、商業ギルドに上納金を納め、ただ輸送することが精々の私たちに何を求める」 「その馬により、馬車により、物資を輸送することのみを求める。それでお前の馬が死んでも、お前の馬車が壊れても、お前が物資を失っても、お前が命を失っても、お前らの責任だ」 殿下が、そう求めておられるのは間違いない。 笑いが起こった。 「誰がそんなものに参加するか!」 「別に殿下は強要しておられぬ。やりたい奴だけやれば良いのだと仰っておられよう」 余りにも酷い条件だ。 殿下は商人たちに対して、何の責任もとってはくれぬ。 だが、そのメリットは多分に存在する。 「ヴァリエール様の隊列に加われば、その交易における税はいらぬと知っているだろう?」 「聞いた。聞いたさ」 「都市における入場税はいらぬ。関所における通過税はいらぬ。そう仰っておられるのだ」 ヴァリエール殿下は商人に対して何の責任もとらぬ代わりに、お前らは自由に税を払わずにアンハルト王都からウィンドボナ帝都までを通過して良い。 そう告げている。 「普段は税を払って輸送している我ら商人が、完全に無税にて取引を行うことが出来るのだ。王都から帝都まで物資を運ぶことに成功すれば、その利益は莫大なものになる」 「だが、我らが旅の途中で倒れても置き去り。見捨ててゆくのであろう?」 「そうだ。これはヴァリエール殿下の御指示ではない。イングリット商会からの条件提示に過ぎぬゆえに。つまり、そういうことだ」 ヴァリエール殿下は酒保商人たるイングリット商会の被害補填はある程度行うが、本当に、何一つ、一切、それ以外の商人のことなど知らぬと。 それを繰り返し、残酷なまでに告げていた。 「私などは人頭税も払いたくないから家を出された三女の……商店への奉公すら叶わぬから、街から街への馬借をやっているようなものだ。だから」 馬すらおらず、こんな私に懐いてくれている二頭の可愛いロバと荷馬車だけが財産で。 交易品を買う金すらないから、ロバと荷馬車を担保にして。 イングリット商会から、もし旅に倒れた時はそれを全て譲渡する契約で多額の金を借りて、交易品を買い入れるのだ。 それを王都から帝都まで運ぶ。 失敗したら、その場で死んだ方がマシだろう。 病気になっても、強行軍で歩けなくなっても、森の小道で狼の大群に襲われても、運悪く隊列の端で盗賊に襲われても。 ヴァリエール殿下は何も補償してくれぬ。 飢えて死ぬだけなのだから。 「そうさ、私は一か八かに賭けてみようと思う」 木製コップに満ち満ちたエールを見つめながら。 今まで大いに語っていた馬借たる私が、他人を説得するわけでもなく、全ての本心を詳らかにして。 最後に一言ポツリと呟いた。 そうだ、一か八かだ。 人生をヴァリエール殿下に全賭けするのだ。 のるかそるかだ。 すでに述べた通り、失敗したら何もかもが終わってしまうだろう。 だが、それでも。 「成功したら全てが手に入るんだ」 何もかも見返せる。 お前など人頭税がかかるからいらぬと見捨てた親姉妹も。 マトモに奉公すらできぬと私を解雇した勤め先も。 全てを見返すことができるだろう。 アンハルト王都の市民権を手に入れるには、金だけでは済まぬ。 自分の身分を保証してくれる人物が必要であり、「これこれはどういう人物です」と何かあった時に説明してくれる親類や縁故の者がいなければ話にすらならぬのだ。 いくら金を積めど、市民の権利すらもらえぬ。 だが、もし今回の交易を成功させれば、イングリット商会当主たるイングリットが背景を作ってくれるというのだ。 ヴァリエール殿下の御親征にイングリット商会と付き合って富を得た商人であり、立場も経歴もしっかりしております。 まさかそれが市民となることを、税を払い、居を構え、市民として尽くすということを王都として拒むということはありますまいな。 これがヴァリエール殿下の耳に届きましたら、このヴァリエール殿下御用商人たるイングリットが口にしましたならばですが。 はて、忠誠を果たした彼女が市民となることを拒みました役人様がどうなるかわかっておいでですか? わかってるならば市民登録証に直ちにサインを。 そう『説得』してくれるというのだ。 それは。 この上なく自分の存在を肯定してくれる立身譚と言えた。 私だって、この単なる馬借であり、木皿のスープを舐めるように飲む惨めな私だって。 「私を見下してきた奴らを見返すことが出来る」 そうだ、私は今はっきりと自覚したぞ。 こんな人生なら死んだ方がマシだ。 懐いてくれる二頭のロバを自分の運命の巻き添えにするのが可哀そうなだけで、私にはもう他に何もないじゃないか。 のるかそるかだ。 こんな博打なら打たない方が損だぞ。 私の目の前には、ヴァリエール様の麗しく艶やかなる幸運の赤髪は長い。 幸運の男神は前髪しかないなどと噂されるが、ヴァリエール殿下はさにあらず。 勇猛果敢にして忠実なるポリドロ卿を拾い上げる事を世に示した。 初陣にて、見事なる戦果を成し遂げた。 政治にて、蛮族相手の和平交渉を勝ち取った。 移動宮廷を行って、地方領主に権を示した。 もうそれだけで十分ではないか。 ヴァリエール殿下の能力は世に示されている。 ならば、後は殿下がのるかそるかではないのだ。 殿下は成功するのだから、後は私が成功するかどうかにすぎない。 私が殿下の足跡を踏んで歩くだけの能力があるかどうかを問われるのだ。 私は、私は。 「ヴァリエール殿下に全てを賭けるのだ。それが駄目なら、そんな私なら死ねばよい」 そう覚悟を決めたのだ。 ならば恐れをなすことは何一つなかった。 ヴァリエール殿下の麗しい幸運の赤髪すら掴めぬ私ならば、死ねばよいのだ。 私は理論的に狂気的に、そう決めている。 商人としてのるかそるかを決断してしまったのだ。 「貴女たちはどうするかね?」 別に、私が掴んだからもう他人に譲らぬという話ではない。 むしろ、人は多ければ多いほどによいと、今回は酷く特殊な商機であるのだ。 だから、問いかける。 「全てを賭けて全てを手に入れるか。そのまま惨めにくたばるか。運悪くして旅路にて倒れるか。全て呑み込んだうえで倒れたならば、私を恨むことすら筋違いと事前に仰られたヴァリエール殿下の提案を受け入れるか」 今回はそれだけの話だ。 それだけの話だった。 莫大な財産と、市民という権利と、それを手に入れるには死を覚悟せねばならぬと。 それだけの話なのだ。 私はゆるやかに笑い、同じような立場の商人たち。 自分と同じ惨めな私たちを眺めた。 誰もが、誰もが。 自分の立場を考えて、自分の惨めな立場を考えて。 そうして、爆発したように叫んだ。 「ヴァリエール殿下様に、そして我ら哀れな馬借たちに、商人に栄光あれ!!」 木製のコップに満ち満ちたエールを飲み干し、安酒場から抜け出した。 もはや正気ではおられぬ。 イングリット商会に出向いて、全財産全てを担保にして借りれるだけの金を借り入れて、ありったけの交易品を仕入れるのだ。 それしかないし、それしかできない。 「勝つぞ、勝つぞ」 そうして、全てを見返してやる。 私は自分のコップに入ったエールを飲み干して、空になったそれを天高く掲げた。 私はかつてこの安酒場からヴァリエール殿下に拾われたポリドロ卿にまでなりたいとは言わぬ。 それでも、それでも。 命を賭けるのだから、どうか。 「ヴァリエール殿下と私に栄光あれ。幸運の赤髪に幸あれ。私に市民権あれ。全てを誇る人間たる権利あれ!!」 そう叫んで、私は次のエールを注文する権利を自分に許した。