第148話 序章閉幕 基本的に、テメレール公が起こした事件は落着したのであろうと考える。 基本的にはだ。 問題は、むしろこれからであろうな。 そう人心地をつく。 「ポリドロ卿。油断をするな。何もかもこれから始まるのだと思え」 そうテメレール公に、念押しされているのだ。 「お前は私を倒した。そして、それだけだ。この神聖グステン帝国における問題は何一つ解決しておらぬ。私はお前を信頼した。マルティナに一つの輝きを見た。なれど、お前がレッケンベルのカリスマに至らぬ存在であり、今は罪人の娘に過ぎぬマルティナに発言権が無いこと。これに何ら変わりはないのだ」 苦言である。 このような事を私が言える立場ではないのかもしれないが。 そう前置きをして、テメレール公は言い募るのだ。 「単純化せねばならぬ。たとえどれだけの役割を砲兵が見せようとも、銃が一定の発展を見せようとも。マスケット銃を渡されただけの農奴兵が、モンゴルにおいて人馬一体となるべく訓練された優秀なる弓騎兵に勝つなど、此の世に決して有り得ぬのだ。世の理を理解せよ」 思えば、酷く魅力的な風貌をしている。 今は私が割った頭を縫うために短髪となり、鼻の骨がへし折れて、ぺっちゃりとなり。 それでいて美麗なる風貌に、水晶の伊達眼鏡に知性ある輝きを爛爛としているテメレール公には酷く男として惹きつけられるのだが。 まあ、彼女を半殺しどころか出血死する寸前まで追い込んだ私が、好意など口にしていい立場ではない。 「お前は先頃、アンハルト王国にてゲッシュを誓った。再度同じことをせよとは求めておらぬ。軍権の統一など、そもそも本来は選帝侯や皇帝が為すべき仕事である。お前がやるべきことは、マルティナが導き出した『銃・砲・騎士』の内容を神聖グステン帝国の組織に行き渡らせることにある。わかるな」 私がすべきことは、テメレール公が必死に嘆願することである。 今の彼女は、あの発狂状態から解き放たれ。 私――このファウストよりも、私が騎士として誓いを立てるアナスタシア様、そしてヴィレンドルフ選帝侯カタリナ以上に。 明確に未来が見えているように思えた。 「アナスタシアは若い。能力自体は申し分ないが、どうにも経験不足だ。何もかもを任せるには足らぬ。蛮勇を嫌い、何であれ一度留保してから片付ける癖がついている。数年後はともかく、彼女の母たるリーゼンロッテ選帝侯にさえ今は劣るだろう。カタリナは一言で評すれば――レッケンベルの乳母日傘で育った餓鬼だな。これは侮蔑と同時に誉め言葉である。レッケンベルが忠誠を果たした、それだけの価値はあるのだろう。なれど、どうも見当違いの方向に突っ走ることがある。同時に、思い切りが良いともいえるが。嗚呼、案外組んでみれば良いコンビなのかもしれぬ」 結局、足りないのだ。 我々は、アナスタシア様は、カタリナは、不足しているように思える。 ならば、補う必要があった。 「まあ、無様な暴走をしていた私などが言えた台詞ではないのだが」 私はその充填剤が、テメレール公の発言にあると考えていた。 だから、黙って彼女の言葉を聞くのだ。 「ファウスト・フォン・ポリドロ。問うぞ。お前はこれから何をする」 テメレール公の問い。 私は静かに決意を答えた。 「私はアンハルト王家に忠誠を誓う領主騎士であり、粉骨砕身を以て、何もかもに応えるのみであります」 何一つ嘘ではない。 アナスタシア様に誓ったこの決意は、何一つ嘘ではない。 なれど。 「それだけで良いとはお前も思っていないだろう」 テメレール公が物憂げに切り捨てた。 ――そうだ。 もはや、それだけで片付く状況ではない。 「ファウスト。お前はもはや単なる辺境の、領民300名の領主騎士であるなどと言い訳をして行動することは許されぬ。お前は頑迷なる私の頭を叩き割った。肉体も心も打ち砕いた。お前は、行動で全てを示した。だが、お前の仕事はまだ終わっておらぬ」 テメレール公が、一冊の本を返した。 装丁もままならぬ写本であり、『銃・砲・騎士』と題名が殴り書きされている。 「お前はマルティナならば、彼女の理論が、レッケンベル以上の存在であると。これだけでモンゴルに勝てるとは思えないが、私の計画よりは可能性があると言い放ったのだ。私に一つの輝きを見せつけたのだ。ならば、それを実現させねばならぬ。私は協力する。全てを果たそうではないか。だが、お前が自ら動かぬのならば話にならぬだろう」 マルティナと一緒に作った大事な本。 私が死んでも、ずっと持っているだろう。 それを手に持ったまま、まんじりと動かずにテメレール公の話を聞く。 「アナスタシアの命令を聞く。カタリナの命令を聞く。それは別に良い。お前は騎士としてあればよい。なれど、お前は私に告げたことを守らねばならぬ。これは――」 やや、不安そうな声。 疑っているわけではないが、お前を疑っているわけではないが。 違うと言われたならば死んでしまおう。 そのように不安げな、双極性障害の患者じみた告白であった。 「お前と私があの決闘にて誓った約束ではないだろうか。返事をしてくれないか、ポリドロ卿」 私はそれを否定する気など無いし、あの時吐いた言葉に何一つ嘘など無い。 「問う必要すらあらず」 私はテメレール公の問いを否定して。 「私はアナスタシア様の命令に従い、カタリナの言葉を聞き、テメレール公との約束を達成しよう。そのような、私が騎士として当たり前のようにすべきこと。その約束をこの場で誓えばよいか。テメレール公」 私は真っ直ぐにテメレール公の瞳を見た。 「よろしい。何もかもが」 テメレール公は、その視線を受け止めて静かに答えた。 「この状況に及んですら、お前を疑ったことを許せポリドロ卿。私はお前が騎士として生きるというならば、全ての約束を果たしてくれるというならば、私は全てを実行しよう。お前がすべきこと、その全てを支える為に」 静かな、語りであった。 一つの告白のような言葉が、テメレール公の私室に響いている。 「この身を犬畜生にすら落とそう」 テメレール公は確実に、今言った言葉を果たすであろう。 それは確信できた。 「……ファウスト。すまないが、多分お前は頭が悪いと思える」 事実である。 私の頭が悪いことは、私が一番理解している。 私はテメレール公との約束全てを果たすつもりである。 なれど、果たすための手段はよくわからなかった。 私の知能レベルは悲しいぐらいに愚かなのだ。 「承知しております」 「ゆえに、お前が神聖グステン帝国にて今からすべきことの全てを教えよう。よく聞け」 その全てを察して、何もかもを教えてくれるテメレール公の存在は有り難かった。 彼女の存在をして、ようやく私が帝国にて為すべきことが理解できるのだ。 「一つ目。ケルン派の存在。おそらく、マルティナが予想した展望の全て。銃や砲兵に関わる開発状況の全てを握っている。絶対に胸襟を開かせ、モンゴル戦のために必要な全ての知識を手にせねばならぬ。私もケルン騎士を通して、その手筈を整えよう。お前もケルン派の信徒として行動してくれ。必要があれば仲介役として呼び寄せるつもりだ」 私の行動の全てを補佐してくれたケルン派。 アンハルトのゲッシュにおいては騙すようなやり口ではあったが、司祭様は答えてくれた。 我が領地の神母様は、マルティナの心を助けてやりたいから罪人の死骸を墓に埋めてくれという、普通ならば通らぬ祈りすら聞き届けてくれた。 なれど、この帝都においてはそれが叶うかは、まだわからぬ。 祈りあれば全てが通じるなどと単純な話ではない。 「二つ目。教皇の存在。裏切っている。お前らが私の情報を照査するのは良いが、確実に裏切っている。モンゴルと連絡を取ろうとしている。おそらく今頃、アナスタシアとカタリナは単純に殺せばよいなどと考えているだろう。その発想自体は何一つ間違っておらぬが、簡単に殺せるならば私がとうの昔に殺している。そう単純ではないのだ。相手は弓矢を放てば射貫かれてくれる止まった的のような存在ではない。宗教という巨大組織の長なのだ。それを心得ておけ」 神聖グステン帝国教皇。 どのような御方かは全く知らぬ。 私が知る情報は、王権神授説を否定する現皇帝マキシーン一世陛下とは相容れないこと。 テメレール公の情報が真実ならば、裏切って何とするのか。 単純に宗教的地位の保全が目的なのか。 教皇の本心が知りたいところであった。 「三つ目。皇帝の存在。裏切っている。元より、あの小娘にとっては神聖グステン帝国など自分の父を見殺しにした、何一つ愛情など抱けぬ存在でしかなかった。彼女が愛するのは、愛しい父親の血を受け継いだ自分と、死に物狂いで自分を助け出すために足掻いた母と、裏切らなかった一族全てだ。その血統さえ保障されれば、別に帝国がモンゴルに奪われて支配されてしまい帝都市民が塗炭の苦しみに喘ごうが、心の底からどうでもよいのだ。気持ちが全く分からないとまでは言わぬが、彼女がその才の全てを売国に費やした場合、強力な障害となるだろう」 皇帝マキシーン一世陛下。 私としては、その経歴から憐みの感情をどうしても寄せてしまうのであるが。 ――割り切るべきであろう。 必要があれば殺す。 願わくば、裏切っていないことを祈るが。 「三点だ。この三点の障害を乗り越えられなければ、まずモンゴルとの戦に臨むことすらできぬ。戦う前から負けが確定している。そして――先ほども言ったが、相手は弓矢を放てば射貫かれてくれる止まった的のような存在ではない。今後の生存戦略がために、誰もが死に物狂いの覚悟で挑んでいるのだ。私たちが相手を殺そうとするより先んじて、相手の方から我々を殺しにかかってくることさえあるだろう」 テメレール公が、手を伸ばす。 それは私に向かって伸び、顔の少し前で止まった。 「この三点だけを覚えておけ。そうすればお前の軸がぶれることはない。後はお前の信じる騎士道を歩けばよい」 「わかりました」 私は素直に頷いた。 テメレール公は、未だ本調子ではない。 興奮した感情を少し収めるために息を吸い、やがてまだ喋りだした。 「さしあたっての、短期的な予想を語ろう」 テメレール公は、知性的な輝きを眼鏡の奥に見せている。 その瞳の色に、決闘の時のような狂人めいたものは残っておらず。 力強い意志と経験からくる強烈な自負を見せていた。 「お前に殴られたことで目が覚めて、よくよく検討して理解したのだが。ケルン派はおそらく教皇の裏切りに気づいている。教皇もケルン派を以前から異端視しており、ケルン司教枢機卿を目の仇にしている節がある。おそらくはアンハルト選帝侯継承式よりも、この両者の争いが先に起きるだろう」 テメレールの頭脳は回転しており、脈拍が上がっているのだろう。 その頬は紅潮している。 「私の予想になるが、おそらく先に動くのは教皇側だ。教皇側が、自らの裏切りに気づかれたと知ったなら、どのような手段を使っても口を塞がねばならぬゆえに。そして、その手段とは――異端審問だ」 一度、言葉が途切れた。 テメレール公は静かに結論を導き出す。 「ケルン派を異端認定し、その教会組織による異端信仰を破却するための破門宣告。聖職者信徒への改宗要求を行うだろう。論争する暇すら与えまいと、すぐさまに帝都に滞在しておられるケルン枢機卿猊下を火刑台送りにする。そうだな、私ならばそうするだろうな」 私は立ち上がり、部屋をすぐに出ようとする。 ケルン騎士と話し合って同心し、今すぐ教皇を殺害せしめる手段を見つけねばならぬ。 「ポリドロ卿。話はまだ終わっておらぬ。今語ったことは、私の短期的予想であり、同時に今日明日に起きるという話ではない」 「ですが」 「おそらく先手を打つのは教皇だ。なれど、じゃあ後手に回った側が負けるという話でもない。静かに準備をしよう。そうだ。世間じゃ猪公なんて呼ばれているが、私は元々こういう手練手管の方が得意であるのだ。私は今まで発狂して、私自身のやり口さえ忘れていたよ」 テメレール公は笑みを深くして。 瞳の奥で、静かに目を細くした。 かつての彼女の友人たる、レッケンベル卿のような糸目になるようにして。 「静かに、静かに。教皇を殺すための準備を進めようじゃないか。危難のケルン枢機卿猊下を救った暁には、ケルン派も自らの知識を私たちに明かしてくれるだろう。何事も上手くいけば、全てが丸くおさまるはずだ。まあ、残念ながら。このテメレールは酷く運が悪いのだ。予想通りに、そう簡単には上手くいかないだろうがね」 テメレール公は、本当に楽しそうに笑った。 最初に「これからであろう」と考えたことは何一つ間違っていなかった。 テメレール公との決闘は、プロローグにすぎない。 ようやくにして、この帝国においてやるべき物語の本編が始まったのだ。 私はそれを理解して手に力を籠め、大きな握りこぶしを作った。 第七章 完 第8章は2022/5/1より開始となります ご了承ください