第139話 時には昔の馬鹿話を この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば そのような詩を『サムライ』より聞いたことがある。 『この世で自分の思う通りにならぬことなどない。満月のように、欠けた所など無く全てが足りている』 人によって解釈は異なるが、サムライはそう認識しているらしい。 「かつては、私もそうだと思っていた」 私はその酷く美しい詩を読んだ者に共感していたのだ。 強力なテメレール領の領主騎士として産まれた。 我が身は超人であり、どのような者にも負けたことはない。 部下にも恵まれ、誰もが私を崇めた。 ああ、そうだ。 きっと、私は騎士物語の主人公であると思っていたのだ。 苦労に喘ぐ、くだらぬ者達が好む貴種流離譚の主人公などではない。 血統も、実力も、地位も、名誉も、配下さえ。 何もかもが生まれつき揃っている。 苦労など、苦難など、全ては何もかもがこの私の物語を引き立てるための些事に過ぎぬ。 そのように思って、今までずっと生きてきた。 7年前まではずっと。 そうだ。 「クラウディア・フォン・レッケンベル」 特徴的な糸目。 本当に細い目で、瞳の色すら定かでないほどであった。 大柄で、地面に水が染みわたるように声が良く通り、平時はもちろん戦場でこそ狂ったように明るく輝く存在。 ヴィレンドルフ選帝侯国が生み出した最高の誉れ。 彼女に褒められたとならば、それだけで永代の名誉が約束されヴァルハラへの道が開かれたと兵や騎士が狂喜して、戦場にて命を喜んで投げ捨てる最悪の化物。 あの悪魔に出会うまでは、そう思っていたのだ。 初めて出会ったのは、戦場だった。 私が神聖グステン帝国の皇帝位を簒奪するために、帝都に侵攻するレッケンベルに勝負を挑んだのだ。 私には強力な兵がいた。 我が領地から上がる莫大な収益を用いて雇った傭兵であり。 訓練を行い、十分な給金を与え、兵役にて嫌々徴用されたわけではない常備兵である。 複雑な諸兵科連合と野戦砲を組み合わせ、強力な軍団を用意したのだ。 兵数は一万を超えている。 ランツクネヒトが何ほどのものか、甲冑を着た乞食どもが。 結局のところ、奴らはどこまでいっても農奴兵に過ぎぬ。 いかに残虐であろうと無秩序では天に唾を吐く山賊にはなれても、兵士には成り得ぬ。 まして、このテメレールには当然のことながら、いつの間にか私に惹かれて付いてきてしまった犬どもがおる。 「狂える猪の騎士団」という名の超人部隊であった。 そうだ、その犬どもが。 「テメレール様! テメレール様! お逃げください!」 私と一緒に殺されかけている。 戦場であるというのに『勘当者』の泣き声が響いている。 「カーッカッカッカ!!」 酷く上擦った悪魔の声。 一種の奇声を高らかに叫んでいるレッケンベルが、必死に抵抗していた勘当者をハルバードで薙ぎ払った。 殴打される轟音とともに、勘当者は右腕をおかしな方向に折り曲げながら、地面を転がっていく。 すでに狂える猪の騎士団の半数が、レッケンベル一人に半殺しにされている。 逃げて、逃げてとばかり赤子のように泣き叫ぶ犬どもを無視する。 ここでお前らを見捨てて逃げるようなれば、猪突公の名が泣くわ! 「シャルロット・ル・テメレールである! レッケンベル卿、尋常に一騎打ちにて勝負を!!」 「よかろう!!」 レッケンベルと初めての会話。 彼女はまた奇声を上げながら、右手にハルバードを、左手に勘当者から奪い取ったモーニングスターを用いて、頭の上でその柄を重ねて打ち鳴らした。 肌どころか脳すら痺れるような轟音が鳴る。 最初の一騎打ちは――実のところ、あまりよく覚えていない。 一撃目にして頭上からの鋭い一撃、ハルバードで頭を殴られて兜をかち割られ昏倒したのだ。 「日陰者」がレッケンベルに何度も殺されかけながら、必死で私を担いで逃げたと聞く。 「狂える猪の騎士団における半数がレッケンベルに捕らえられました」 「アイツなんなんだよ!!」 割られた兜を床に投げつけると、かーん、という小気味よい音が鳴った。 いかに超人と言えど、人である。 人の腕は二本しかなく、処理できる行動には限界がある。 であるのに、何故あのレッケンベルたった一人に超人部隊が半壊しているのか。 腕が六本あるのではないかと疑うほどに機敏かつ精密に、レッケンベルの技は戦場で煌めいた。 「右腕痛いです。右腕が痛いんです」 勘当者が右腕を複雑骨折したらしく、わんわんと泣いている。 超人騎士が泣くものではないわ! ともかくも、捕らえられた私の配下を救出せねばならぬ。 というか、だ。 「なんで戦闘のプロである傭兵どもが、私の常備兵どもが、剣槍を握るのも初めてであろう農兵混じりに負けてるんだよ!!」 これが数年も経過した後の傭兵団というのであるならば、不思議ではない。 だが、あの農奴兵は――ランツクネヒトと言われる者どもは、レッケンベルが集めてまだ一年も経過してないヒヨッコどもであるというのにだ。 会戦にて明確に押されているのはこちら側である。 「レッケンベルのせいです。敵はただの狂暴粗悪な掠奪兵ですが、どうしようもない者達にも使い道はあるということでしょう」 あの悪魔のせいであると「忠義者」が呟いた。 未だ全容は分からぬし、そもそも具体的な指揮内容や戦略などは戦後にようやく知り得るようなものだ。 ともあれ、あの悪魔のせいである。 「どうせいというのだ!」 「テメレール様。領地に帰りましょう。帝都にも工作員を潜らせておりますが、状況が怪しい。マキシーン一世が帝都ウィンドボナを乗っ取る気配を見せつつあります」 「小娘風情が!!」 判断に困る。 あまり時間が無いのだ。 時間が経過すれば、帝都はいずれレッケンベルとマキシーンにより奪われてしまう。 そして、それを見過ごすべきであった。 この時点で最適な手段は、領地に帰って適当な言い訳をすることだ。 選帝侯達の玩具に過ぎぬマキシーンは私を処罰する武力など持たぬし、レッケンベルも適当に策略の種を蒔いて、ヴィレンドルフに帰るであろう。 ひとまず、引くべきであった。 皇位の簒奪など、この先の人生で何度でも機会はある。 忠義者の進言が正しいのであるが、その前にたった一つだけやることが。 「私の犬どもは! 超人騎士や、我が領地の兵士どもは! 取り返さぬままでは領地に帰れるか!!」 「身代金による交渉を試みておりますが、レッケンベルが応じませぬ」 「なんでだよ!!」 金ならある。 金ならあるんだ。 私の領地は領民誰一人として飢えに困らぬほどに裕福であるのだから、金を払って済むなら、ここは引いてよい。 生きていれば勝ちなのだから、ここは一時引くべきであった。 なれど。 「正直助かった。もう一度かかってこい。しばらくやることないから付き合え、だそうです」 「嘘だろお前! 助かったってなんだよ!!」 レッケンベルは何を考えているのだろうか。 私の灰色の猪脳を巡らせれば、いささか思い当たる点はあった。 このままレッケンベルが帝都を占領するのはどうにも拙い。 彼女が率いるランツクネヒトは残虐で無秩序で、農民の舌をナイフで突き刺して、農民から切り取った髪の毛を通して、奴隷市まで引っ張る遊びを考案したり。 貧乏な農民が住んでいる藁葺の家に火をつけては、酒の肴が出来たと大爆笑して手を叩いて喜び。 金が手に入るとあれば、市民でも貴族でも八つ裂きに文字通り刻んで、それを豚肉ですと肉屋に売るような連中であった。 甲冑を着ただけの乞食であるのだ。 そうだ。 レッケンベルがこのまま帝都を支配すれば、ランツクネヒトによる帝都市民への無茶苦茶な掠奪と虐殺が起こる。 下手しなくても、帝都が中枢都市としての機能を数年は麻痺させてしまう。 レッケンベルも非難を受けるであろう。 要するに、レッケンベルは今までの勝利のための手段こそ選ばない悪魔ではあるものの、勝利が見えた時点で何もかもが無茶苦茶になることを不安視している。 ヴィレンドルフ選帝侯から命じられた将軍の戦略目標としては、皇帝から勝利報酬を毟り取れればそれでよかった。 だから、帝都に辿り着いても意味のない包囲をすることしかレッケンベルにはできぬ。 大人しくマキシーンの小娘が帝都を掌握するのを待とう。 だが、表向き何かしていないと「レッケンベル卿は何をしているのか?」と後で言われてしまうので、しばらくお前と戦っていることを停滞の理由にするから付き合え。 誰にも言えぬが、政治上必要になる遊び相手だ。 そのような大上段からの命令であった。 「調子に乗りやがって!!」 「テメレール様、我ら狂える猪の騎士団、すでに捕まっている者達も気持ちは同じでありましょう。領地までお逃げください」 「そんなことが出来るか! 私を侮辱しているのか!!」 死んだら終わりなんだぞ! ここで逃げると、身代金にすら応じぬレッケンベルが、私の犬どもをランツクネヒトに放り投げる可能性が少しある。 人の名誉を慮ると聞くレッケンベルであればそのような事はしないと期待しているが、それは私の勝手な期待に過ぎず、何の保証もない。 何の才能もない、何の実力もない、雑兵どもに私の兵が殺される。 何の抵抗もできず、何の名誉も与えられず、玩具のように拷問されて、ただ苦しめられて殺される。 「受け入れられるか! 私の犬どもを救出する! 私の犬どもを救出するんだ!!」 「あの化け物にどうやって勝つと言うんですか!!」 忠義者の顎をぶん殴る。 彼女は平衡感覚を失って、床に倒れこんだ。 「あの化け物が調子に乗っているなら、それをわからせてやるのみよ! 死にたい奴だけついて来い!」 私と、足元おぼつかない忠義者を含めた犬ども全員が従う。 再戦だ。 私の二回目の一騎打ちである。 私は全身が動かなくなるくらいに何度も何度もハルバードで殴りつけられ、全身に痣と腫れと骨のヒビを抱えたまま、日陰者により抱きかかえられて逃げた。 「死なないでください!」という日陰者やサムライの何度も励ます声は、今でも耳に残っている。 私は気絶したまま、寝台の中に放り込まれた。 優しい羽毛に包まれた私の元に、泣きそうな顔の忠義者がやってきた。 「お逃げください」 逃げろというセリフであった。 嗚呼、話は聞いているとも。 レッケンベル指揮下のランツクネヒトが皇帝を――厳密には皇帝の僭称者を七つ刻みにしてしまって、これはレッケンベル様も大喜びするぞとばかりに届けに来たと聞く。 レッケンベルは表向き大爆笑しながら、彼女たちに褒美を与えたと思う。 そいつ私が殺すんじゃなくて、皇帝陛下に引き渡す奴だよと、寝台では泣いていたと思うが。 このままでは、レッケンベルが勝利してしまう。 このままではレッケンベルが帝都を滅ぼして大勝利してしまうのだ。 超人ですらない、自分の娘を救い出そうと必死になっている現皇帝たるマキシーン一世の母には皇帝たる資質など欠片も無い。 ランツクネヒトも、レッケンベルの部下も、誰一人として彼女が皇帝などと認めない。 誰もが必死に帝都を雑草すら残らぬほど掠奪して『帝都を滅ぼしたレッケンベル卿こそ神聖グステン帝国皇帝にふさわしい』と言い張る可能性があった。 人どころか犬一匹いなくなった掠奪された帝都の支配者、レッケンベル皇帝陛下の誕生である。 「レッケンベルは何と言ってきた」 「助けて」 「助けてじゃねえよボケ! お前この間は調子こいて、気持ち悪い奇声上げながら私たちをぶん殴ってたじゃねえか!!」 レッケンベルは私と違い、皇帝になんぞなりたくないのであろう。 ヴィレンドルフ選帝侯、彼女が忠誠を誓っており、相談役として仕えているカタリナとか言う小娘を至高の地位に就けるならば全力を出したのかもしれないが。 法衣貴族たるレッケンベルが、武力ゴリ押しで皇帝陛下になり、各選帝侯が認めたところで得られる名誉などなかった。 簒奪者の汚名すら受け、後は何もない。 色々流れてきた話を聞くに、彼女が大切にしているというカタリナの立場すら怪しくなるだろう。 「この戦に何の意味があるんだ!」 「だから、逃げましょう」 「逃げたら私の犬どもが、大切な配下がどうなるかわからんだろうが!」 私は悲鳴を上げた。 私は勝てる戦が好きなんだ。 負ける戦はしたくない。 生きてたら勝ちだぞ! なればこそ、無意味に部下を殺すわけにはいかなかった。 配下を人質に取られているのだ。 我が兵を巻き込まず、雇い入れた傭兵たちすら巻き込まず、なんとか私たちだけで戦に始末をつけることを必死に考える。 「付き合ってやる! 付き合ってやるよ! あの勝ち過ぎた阿呆の常勝将軍様に付き合ってやるとも! くたばれレッケンベル!!」 正式に超人のみでの一騎打ち、三回目を挑んだ。 全身ズタボロの超人騎士団「狂える猪の騎士団」は、未だ無傷のレッケンベルに必死に挑んだのだ。 結果は眼を閉じても、明らかに見えておる。 誰もが地に伏し、私などは本気でレッケンベルを殺す気で挑んだが、届かなかった。 甲冑に傷をつけることすらできなかったのだ。 レッケンベルは裏事情を何一つ配下に説明せず、何一つ手加減どころか、私を見逃すことすらせず追いかけてすら来た。 勘当者は二回目でとっくに捕らえられていた。 サムライが殴り倒されて、血だまりに伏しているのを最後に見た気がする。 敗北者と日陰者、忠義者はまだ残っている。 他は全員捕まった。 「レッケンベル卿から四回目の一騎打ち要求が来ました」 「私の大事な部下を返してくれないのか? もちろん兵隊ゆえ、誰もが死にゆく覚悟はできているだろう。なれど、下らぬ理由で殺されるのは余りに可哀そうではないか」 私の心はすでに折れていた。 死んだら終わりなんだぞと思う。 このテメレールが、このシャルロット・ル・テメレールが、敗北という結論すら受け入れようとしているのだ。 忠義者は、嫌そうに口を開く。 「このままでは帝都が滅んじゃうから助けてくれ。お前の命は多分保証する。そうレッケンベル卿は仰っています」 「多分とは何ぞや」 最優先ではないのだ。 レッケンベルにとって、この私の、テメレールの命は最優先ではなかった。 大切なのはレッケンベル自身の名誉と、娘のように可愛がっているカタリナという少女と、帝都市民の財産と命であった。 嗚呼。 本当に。 本当に、酷い目にあった。 なれど、本当に自分が惨めに感じたのはあの時か? 違うな。 レッケンベルが死んだと聞いた時であったな。 懐かしい。 嗚呼。 嘆息を繰り返す。 天に、その光を掲げていた太陽は落ちつつある。 すでに夕焼けである。 テメレールは、今しばしの昔の回想を続けようとしている。 一つだけ、確かな事がある。 自分は騎士物語の主人公ではなかったのだ。 ――でも、主人公の相棒にはなれたかもしれない。 そのような事を、昔の馬鹿話に口端を笑わせながら考えている。 「松明を灯せ」 もっと、明かりを。 そう配下に告げて、私は瞑目して、回想を続けた。