第138話 忠義者 一つだけ明確な事は、あのパン屋の娘が身分について詐称しているということだ。 平民生まれでも超人は存在する。 確かに存在するが、超人とて位というものが存在する。 私が知り得る二人の化け物超人、レッケンベル卿やポリドロ卿らは平民の出身ではない。 法衣騎士と領主騎士という違いこそあれ、両者とも明確な青い血である。 血統は力なのだ。 祖先が必死に何代もかけて紡いできた血が、その者に力を与えているのだ。 あの日陰者は、本当に王朝の末裔である可能性が高かった。 「どこまで無茶苦茶をしている」 テメレール公の目的が、荒唐無稽な夢の果て、神聖グステン帝国の皇帝として西の島国すら征服するための正統性を得ることなのか。 単純に「日陰者」という強力な超人を手にしたかっただけなのか。 それはわからないが、何にせよ酷い。 「そうは思いませんか。テメレール公側近の御方」 「まあ、あのテメレール様はそういうお人ですので」 眼前に佇む「狂える猪の騎士団」6人目の超人、テメレール公に辿り着く前の最後の門番が呟いた。 神経質な顔であり、今までの超人の中で、この顔だけは知っている。 なにせ、テメレール公の傍についている側近であり。 「狂える猪の騎士団副団長『忠義者』であります。まずは、ポリドロ卿に此度の事、何もかもお詫びせねばなりませぬ」 ――今回の騒動のきっかけである、ポリドロ卿を侮辱して鼻を毟られた美少年。 その配偶者であるテメレール公の陪臣が彼女であった。 「すでにご存じかと思いますが、全ては私の失敗でありました。申し訳ありません。本来ならば、死んで詫びねばならぬところですが、もはやそういう話でありません」 「そうですね」 ポリドロ卿が短く答えた。 この物語は、ポリドロ卿が眼前の「忠義者」の夫に侮辱された。 ポリドロ卿が侮辱に報復して鼻を毟った。 殺せば終わりだったところを、ポリドロ卿が貴族の常識を知らなかったせいで物語は続いてしまい、テメレール公が謝罪しなければならない事態に陥る。 テメレール公は、あの猪突公はポリドロ卿に謝罪するどころか侮辱してきた。 もう殺し合うしかない。 まあ色々あったが、端的にいえば、それだけ。 すでに決闘に至っており、誰かがどうかすれば取り返しがつく話でもない。 「それはそれとして、重なる無礼をお詫びします。それでも、貴方に言っておかねばならないことが」 「何か?」 ポリドロ卿は優し気な声で答えた。 忠義者は、意を決して口を開いた。 「我が主君、シャルロット・ル・テメレールを見事討ち果たしていただきたい。もちろん殺さずに、ですが」 自分の主君を倒してくれないか。 そのような事を告げている。 はて。 「テメレール公がお嫌いか?」 私の抱いた疑問に対して、ポリドロ卿がそのまま口に出した。 「まさか。私はテメレール公に悪心を抱いたことなど一度もありませんよ。貴方は、我が『狂える猪の騎士団』の5名を打ち破ってここまで来られた。私は副団長などと名乗っておりますが、強さだけならば「日陰者」の方がよっぽど強い。戦っても私がポリドロ卿に勝つなど有りえぬから、先にお願いをしております」 日陰者は身体こそ頑健であるものの、それに頼り切りでいささか技量が足りませんけどね。 そのような欠点をあげつらいながらも、忠義者の言葉は止まらぬ。 「この堡塁にはテメレール様を含め7名ですが。テメレール様は30余名の超人を集められた。異邦人がおり、肌の色が違い、出自が違い、王朝の末裔から乞食の子までいる。ですがね。テメレール様が死ぬくらいならば自分が死んでもよいだろうと、そのような覚悟で仕えているのが殆どです」 超人兵団。 確かに作れれば理想であるが、夢物語としか思えない兵種である。 だが、テメレール公は見事に完成させていた。 それだけは認めても良い。 「まあ、大いなる暴力は更なる大いなる暴力に敗北します。我ら狂える猪の騎士団は、物の見事にレッケンベル卿一人にあしらわれてしまったんですが」 レッケンベル卿はレッケンベル卿で無茶苦茶である。 超人一人で超人兵団を打ちのめしてしまっている。 よくもまあポリドロ卿が勝てたものだと感心する。 ポリドロ卿の唇が、少し動いたのが兜のスリットから見えた。 「今しがた、テメレール公を倒してくれないかと仰いましたか?」 「ええ、言いました。まあ、対戦相手の私などに、このような事を言われても困るとは思いますが」 事情があるのですよ。 小さな声で、忠義者が呟く。 「我が主君テメレール様はすっかり変わってしまいました。昔のあの人は、あのような方ではなかった」 というか病気であろう。 視野狭窄で、もう性格など小者中の小者と切って捨ててすら良い。 死ななきゃ安いなどという精神などを評価してしまうと、命より名誉を守るべき貴族とは扱えない。 私の主君であるアナスタシア様などは、毎晩寝ぼけ眼で墓場をうろついては屍を墓から掘り出して死肉を齧ってそうな目つきをしているが、人格者にして素晴らしい貴族である。 私はこれでもアナスタシア様を敬愛しているのだ。 「昔は、あのような人ではなかったと?」 ポリドロ卿が興味深げに尋ねている。 何らかの事情がテメレール公にもあるのか? 「幼少のみぎりから、視野狭窄で、慢心しがちで、性格など小者中の小者と言ってよい御方でした。自分より価値のある人間はこの世にいないと本気で信じておりましたし、それを肯定するように強力で裕福な領主騎士として産まれついたせいで、悪い方向にそれがどんどん進んでいきました。28歳にもなって人に謝れないのです。もう自己愛が肥大した汚物そのものです。侮辱されるのが嫌いというより、人に否定されること自体が許せないのです」 駄目じゃないか。 忠義者は、ひたすらにテメレール公について語り続けるが、良いところは一つもない。 というか今、汚物とか言わなかったか。 「ポリドロ卿、貴方はここまでに5人の超人と戦いました。その出自と今の境遇を聞いて、どう思われましたか?」 「む」 ポリドロ卿は一つ唸った後に、単直に答えた。 「誰もが見事な武人であったと」 「本当に? 少しでも彼女たちを哀れと思うところはありませんでしたか?」 言外を問う。 ポリドロ卿は困っている。 悲惨な出自など世にはありふれていて、人には事情がある。 だけど、優しいポリドロ卿であるならば、色々と思うところはあったであろう。 「貴方は優しい人なのでしょう。ですが、その優しさで救えない人もいるのですよ。テメレール様ならば、彼女たちを哀れに思うことなど欠片もありません。そのような価値観の者にしかついていかぬ者も世にはいるのです。テメレール様が彼女たちを救った理由が何かわかりますか?」 「……彼女たちから見たテメレール公の姿は伺いました。なれど、当人のこととなると」 正直、このアレクサンドラとて、わからなくなっている。 テメレール公は何を考えているのか。 おそらくは、それなりの計算が――あるようには思えない。 「結論を言えば、何も考えていないのですよ。テメレール様は」 忠義者が、笑って回答を出す。 「勘当者は確かに殺したはずなのに、何故か生き残っていたから拾いました。サムライは優柔不断だったことにイラっときたから、奴隷商人を殺すようにそそのかしました。ケルン騎士はテメレール様より彼女の方が狂っている。敗北者は死んだ目をしているのが気に食わないので、その時の気分で励ましました。日陰者は死んだら負けなのに、自殺しようとしているのが気に食わない。それだけで無理やり引きずってきました」 「確かに、何も考えていませんね」 「もちろん、超人兵団という兵種を作りたいという思惑があったから勧誘を行ったのですが」 別に、彼女たちを懐柔して自分の配下にしようなどと考えての行動ではないのです。 そもそも自分の配下に勧誘なんぞしなくても、お前らの方から来て当然だろと。 そのようにすら考えている御方なので。 ぺらぺらと言いつのった後に。 「まあ、頭が悪いんでしょうね」 忠義者は憐れみのような、それでいて優し気な声で呟いた。 明確な侮辱の言葉である。 それと同時に忠義者の言葉は、死をも厭わぬ忠誠を含んだ声色に満ちている。 「ああ、つまらぬことを色々と話してしまいました。別に、どうでもよいことを。大事なのは、レッケンベル卿に敗北してからのことです。敗北したところで変わらなかった。5回殺されかけても、あの御方は変わらなかった」 それでよかった。 別に、私たち側近たちが補佐さえしていれば、領地経営に問題はないし。 そもそも、テメレール様が皇帝陛下に向いているなどと、領地の誰一人として思っていない。 多分くたばるまで、あのまんま有力諸侯の一人として子も作らぬまま死ぬだろう。 それでもよかったのだ。 なのに。 また、ぺらぺらと忠義者がしゃべり続ける。 どうにも口が回る女だ。 「レッケンベル卿を貴方が殺してしまってから、何もかもがおかしくなってしまいました」 悩みなど知らない自己愛肥大の大馬鹿者が、陰に籠もるようになった。 おかしなことを口走るようになった。 レッケンベル卿の死を、色に溺れて死んだ間抜けと嘲笑う日があった。 その次の日は、レッケンベルは必ず生き残っているのだと叫ぶことがあった。 レッケンベルはこのテメレールを謀っているのだ、私を試しているなど叫ぶ日もある。 繰り返し繰り返し呟いては、たまに「どうしたらいいんだ」と嘆く。 そんな日が続く。 忠義者は、悲し気な目で呟いた。 要するに、テメレール公は少しずつ狂っていったのだと。 「勿論、私とてテメレール様を宥めましたし、事実であると認めさせようとしましたが――どうにもなりません。原因がわからないからです」 「原因がわからない?」 原因は先ほどお前が言ったではないか。 ポリドロ卿が、私が思ったことそのままを諳んじて呟く。 「テメレール公は、そもそも最初からレッケンベル卿に対してだけは負けを認めていたのではなかろうか。自分が本音では認めていた好敵手が、自分のあずかり知らぬところで負けてしまった。それがどうしても認められなくて、困惑している」 結局は、テメレール公も人であったのだろう。 それ以上の理由など、どこにもなかった。 「確かにそれはあるんでしょう。ですが、それだけならば、ああはならない」 忠義者は静かにそれを否定した。 言葉では聞けても、テメレール公がどこまで狂ってしまったのか。 元々頭がおかしい人物なので、具合がわからぬ。 「突然に喚いたり、泣きだすような人ではなかったのです。急に明るくなったり、急に落ち込んだりするような人ではなかったのです。本当にあの人は「狂える猪」になってしまった」 話を聞く限りでは、貴族としての責任に耐えかねて押しつぶされて、二度と立ち上がれなくなってしまった。 修道院にて静かに人生を終えることが出来れば、むしろ幸せと言える人。 たまに目にする心の病を引き起こしているように思えるのだが。 「いくら馬鹿とはいえ、側近の側近たる私に対してだけとはいえ、憎悪に満ちた目で皇帝も教皇も殺してやるなどと放言する人ではなかったのです」 どうも、雰囲気がおかしい。 テメレール公は元々頭がおかしいし、そのまま本当に病気になってしまったのだろう。 それだけと断じて良いが、忠義者から見てそうではない。 「私は何故そのような事を仰るのですか、事情をお聞かせくださいと尋ねたのです。幼い頃から私を従者として引き立ててくれた御方の剣になれぬなど、わが身を恥じて死んでしまいます。全てを話してくださいと。なれど、テメレール様は酷く何かに怯えた様子で、こう仰られたのです」 忠義者は悲し気な声で、ぽつりと呟いた。 「全ての情報を聞き終えた後は、お前も私を裏切るのか? と」 身を切られそうな寂しい声である。 忠義者の顔は悲痛に満ちている。 「テメレール様が直属の部下を疑うことなど絶対にありえないのです。あの人は愚かでありますが、それゆえに、そのようなことはなさらないのです。愚かゆえに身内だけは切れないのです。そんな御方が、それだけのことを口にする事情が何かあるのです」 嗚呼、と。 嘆くような、愛おしいような、何かを失ってしまったような。 喘ぎ声に近い何かを、忠義者は口にした。 「レッケンベル卿が死んでから、何か全てがおかしくなってしまっています。テメレール様をお助けするには、あの人の望み通りに皇帝位を簒奪すること。それが最も良い方法と考えておりましたが、もはやテメレール様がポリドロ卿に勝てるなどとは、露程も考えておりませぬ」 負けるのであれば。 どうせ、負けてしまうのであるならば。 「ポリドロ卿にテメレール様へ何か心安らぐ言葉を掛けて欲しいなどと言いませぬ。貴方は王に侍る道化師などではなく、何もかもを破壊するだけの憤怒の騎士であるがゆえに。ですが、どうせならば、本当に一切合切を破壊していただきたいのです。テメレール様の地位や名誉、肥大化した自己愛だけでなく、その隠している懊悩の全ても」 全てを破壊して、テメレール様が何を隠しておられるのか。 どうしてああなってしまったのか。 テメレール様を倒して、その全てを明らかにしてください。 それだけを嘆願して、忠義者は剣を抜いた。 剣戟が始まり、轟音が鳴り響く。 勝負は五合目にて決着する。 粉々に砕け散るような轟音が忠義者の身体から鳴り響き、何も語らぬポリドロ卿が全てを終わらせた。 ――残すは、テメレール公のみである。