第124話 もういいや テメレール家応接室。 私とテメレール公は相対し、十分な装飾を凝らせた椅子に座っている。 それ以外の人員、私が連れてきたユエを含めたヴィレンドルフの超人達数名。 ――傍目では判らない程度に、ナイフ等で武装させている。 同様に、テメレール公の配下たち。 こちらも手抜かりは無く、服に膨らみなどが見て取れる。 私とテメレール公以外は全員が立ったまま、静かな睨み合いを始めている。 要するに、お互いを警戒していた。 「御託を並べるのはいいんだ」 トントン、と机を指先で叩く。 話の分からん奴だ、と。 テメレール公の言葉は実に明快ではなく、要領を得ないと告げる。 「私が知りたいのは、お前の願望じゃないんだ。皇帝陛下になりたい? お前の願望何ぞ言わずとも、誰もが知っている。好きにしろ。そんな事はどうでもいいんだ。ヴィレンドルフにとっては、誰が皇帝であろうがどうでも良いんだ。興味がない。協力こそしないが、見逃すだけならしてやる」 私が言いたい事とは、ずれている。 テメレール公の願望何ぞどうでも良い。 必要があればテメレール公もマキシーン皇帝陛下もぶち殺し、私が簒奪する。 十分な理由さえあれば、両方を相手どっても構わない。 ヴィレンドルフの武力を以てすれば、ランツクネヒトの動員さえ可能なれば、大した問題ではなかった。 「ヴィレンドルフ選帝侯。失礼ながら、先ほどから『お前』、『お前』と私の事を呼ばれるのは如何かと」 伊達眼鏡。 不愉快そうな面に、冷血の表情を以て応じる。 金銀で縁取り、水晶造りの下品な眼鏡をしたテメレール公に対し、私は吐き捨てた。 「お前なんぞ『お前』で十分だ。舐めているのか? 私が聞きたいのは、何故レッケンベルとの約束を破ったのかだ。確かに口約束に過ぎぬ。だが、お前が5回目に敗北した際、レッケンベルから逃げきれずに一つの約束をしたはずだ」 「私は敗北などしていない」 不愉快を前面に出した表情のまま、テメレール公は呟く。 「私はあの時はまだ、レッケンベルに勝てなかっただけだ。今なら勝てる。もうレッケンベルは死んだが」 「……」 私は冷血女王と呼ばれてきた。 レッケンベルが死んだ時、初めて泣いて哀しみを知った。 ファウストにバラの花を捧げられた時、初めて母の愛を知った。 それだけ。 私の感情とは、それだけだ。 なれど、私は少しばかり――そうだ。 なにか、霧のような、靄のような、そんな物を心に抱いている。 「約束はした。私は約束を守った。レッケンベルに対し、私個人の情報網から得られる全ての情報を渡した」 「2年前まではそうであっただろう。レッケンベルはお前から情報を得ていた。それは知っているし、認めてやる」 なにか、そう。 ああ、そうだ、テメレール公の顔を見て理解した。 私は『不愉快』なのだ。 「私が問題にしているのは、その後の事だ。2年前、ポリドロ卿にレッケンベルが討ち取られた後の話だ。お前は情報をヴィレンドルフに渡さなかった」 「……」 顔を合わせるのは初めてである。 そして、顔を合わせた最初から気に食わぬ。 何故か? 「お前は勘違いをしている。お前がレッケンベルと約束したのは、お前が死ぬまでヴィレンドルフに情報を渡す事である。レッケンベルが死んだら終わりなどという話ではない。今ならお前の罪を問わず、何もかも誤解であった。それで終わらせてやる」 私を舐めている。 その雰囲気が、テメレール公の心根が、私には読み取れるからだ。 ならば、私はヴィレンドルフ選帝侯として、この女の頭を掴まねばならぬ。 地面に引き倒し、顔面を足の裏で踏みつけねばならぬ。 私が上で、お前が下だ。 それを理解させなければならない。 それが貴族というものだ。 「終わらせてやる、と。そう仰るか」 だが、それは容易ではない事も理解している。 テメレール公の口端が引きつり、凶暴的に歪む。 屈辱に耐えかねるという表情だ。 何か、口にしようとしたが。 こちらの目ではっきり分かるぐらいに必死に歯を食いしばって、堪えている。 「よろしい。非常によろしい。認めよう。私は勘違いをしていたようだ。確かにレッケンベルとの約束というなら守らねばならぬ」 折れた。 とは違うのだろうな。 ひん曲がったという言い方が正しい。 この事実は公になり、世間での恥となるようなものではないから、仕方なく受け入れる。 世間でテメレール公がレッケンベルに捕縛された事実はない。 情報提供の義務、首に縄をつけられた事実はないのだ。 テメレール公は自分の感情ではなく、目的を優先した。 そういう性格であるのは知っている。 「……ヴィレンドルフへの情報提供は今後も守りましょう。私が死ぬまで」 彼女の眼光はギラギラと、獣のように輝いている。 心から納得したという眼ではない。 なれど、私の意図した通りに動くのであれば、レッケンベルとの約束を守るのであれば、それでよかった。 さて。 「では、早速聞きたい事が有る。ああ、先ほどまでは済まなかった。お詫びを。改めて名を呼ぼう、テメレール公。最初に言ったが、テメレール公が皇帝陛下になりたくても、私はどうでもよい。帝位簒奪なりなんなり、好きにするといい。だが、正直消極的賛成といくまでには幾つか知りたいことがあってな」 「知りたい事。それは?」 こめかみに血管が浮いているぞ、テメレール公。 私は心の靄、『不愉快』が晴れたのを自覚しながらに。 事前に組み立てておいた質問を並べる。 「三つの質問に答えよ。一つ目。東方の遊牧騎馬民族国家、その存在をどうやって知ったのか」 テメレール公は、少し神経質気味に眼鏡の縁を撫でた後に。 その程度の事も知らないのか、と言いたげに呟く。 「帝都ウィンドボナから、東方の王朝フェイロンに繋がる東方交易路が小規模ながら今でも存在する。私は以前からその旅団に人員をもぐり込ませ、情報や利益を得ておりました。フェイロンが滅びつつあることも知っていたし、レッケンベルにもその旨を伝えましたとも」 テメレール公は、私の背後にいる人物に目をやる。 ユエである。 今は滅んだフェイロン王朝の武将であり、レッケンベルには弓の腕で同等たる東方人が警戒を解かずに立っている。 「ある程度はヴィレンドルフ選帝侯もご存じでは? 東方人を引き連れていて、何も知らないという事はありますまい」 「知ってはいる。フェイロン王朝が滅んだことも、レッケンベルがそれを昔から知っていたことも」 逆に言えば、それだけだ。 レッケンベルの日記帳は残っているが、思考の全てが記録されているわけではない。 「一つ目の質問はそれだけ?」 くだらなそうに、テメレール公は呟き捨てた。 先ほどの屈辱に満ちた顔とは違い、また調子に乗っている。 くだらぬ女だ。 「それだけだ。二つ目の質問をする。マキシーン皇帝陛下は当然、その辺りの事をご存じであるな?」 「小規模ではあるが、交易路がありました。その交易相手が滅んだ事ぐらいは知っているし、交易商人に遊牧騎馬民族国家との交易許可も引き続き出しております。まあこの辺り、禁じても異国の商人が密貿易するし、情報も売り買いされます。流通を制限しないこと自体は仕方ないと言ったところ」 「ふむ」 少し、考える。 続きの質問だ。 「尋ねよう。東方の遊牧騎馬民族は、マキシーン皇帝陛下と何らか交渉を? フェイロン王朝を滅ぼし、領地を支配したのであろう? 国家として、使節団をお互いに送ったりなど」 「何もしておりません。そうです、『皇帝陛下は』何もしていない」 「?」 何か、酷く阿呆らしいとでも言いたげに、『皇帝陛下は』と強調する口調。 テメレール公のニヤニヤとした、それでいて心底阿呆らしいという表情。 「何が言いたい?」 「いや、なんでもありません。とにかく、あの皇帝陛下は何もしない。年若いは理由にならない。統治者として、明確に足りなかった。繰り返しますが、『皇帝陛下は何もしない』。あの小娘――」 不快気に呟くテメレール公。 心のモヤ。 私はこの女に何を感じている? 再び思考する。 私の感情はどうでもよい。 この質問で私が一番聞きたい要点は。 「テメレール公は強硬派であるらしいが。遊牧騎馬民族国家が西征するだろうと。いずれ神聖グステン帝国を滅ぼしにくると発言している。何故か?」 「ご存じかどうか知りませんが、フェイロン王朝に引き続き、パールサ王朝に侵攻して滅ぼしております。内容をお聞きになりますか? 侵攻した、破壊した、放火した、虐殺した、略奪した、そして去った。それだけ。何も残らなかった」 テメレール公は、侵攻を確信している。 それは、私よりもかの国を理解しているゆえか。 「私なら、それだけの武力があれば、神聖グステン帝国など滅ぼす。大陸全てを支配する王者となる」 それとも、テメレール公自身がアレなだけか。 判断に困るが、これ自体は別に悩む必要がないのだ。 ファウストがゲッシュを誓っているのだから、それ自体を疑う気などさらさらない。 侵攻可能性がほぼ確定となっただけである。 「よろしい。マキシーン皇帝陛下は、未だ遊牧騎馬民族への対策を練っているだけで、判断にすら困っている状況という事だな」 「おそらくは、最終的には私と同じ結論に至るのでは? あの小娘もただの無能ではない。ただ、あまりにも遅いし、何も知らなすぎる」 ならば、テメレール公が帝位簒奪することへの消極的賛成もあり得た。 ついでとばかりにテメレール公もブチ殺して、仕方なく私が皇帝に成り代わる必要もあるだろう。 マキシーンは死んだ、テメレールは死んだ、もう仕方ないから私が皇帝の地位につこう。 レッケンベルが築き上げてくれた道筋通りに動いて良いのだ。 問題は。 私にとって現状は、まあ、そこまでやらなくてもいいだろう、と。 私が確信していることなのだ。 くだらぬ世間などにそこまで配慮する必要が、私にはもはや存在しない。 私は現在、帝都にて最高の武力を握っている。 さて、ヴィレンドルフとは他国に蛮族などと呼ばれているが。 それはいつでも気兼ねなく誰にでも暴力を振るうという、武人として最も求められる才能を備えていることにつきる! アンハルトごとき脆弱な者どもと一緒にしてはならない。 私は、決断を下す。 もういいや。 「なるほど。さて、三つ目の質問だ」 最も重要な質問である。 我が配下ども、ヴィレンドルフの武将ども。 闘争の準備は整っているか? 私は今から、決定的な一言を呟くぞ。 「『お前』はヴィレンドルフ選帝侯より自分が、テメレール公風情が上だとでも勘違いしているのか? 明確に答えよ」 返事は判っているんだテメレール公。 お前は救われない。 だから、今ここで死ね! 「お前が私より下と認めるならば、生かしてやろう。皇帝の地位にも、まあつけてやろうではないか。私の下だと、ここだけでなく、誰もが知るように、公に認めるのであればだが。私に跪くのであれば、一応は皇帝にしてやろうではないか。これはヴィレンドルフ選帝侯イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフの大いなる慈悲である。さあ、返事をしろテメレール」 テメレール公は、私の言葉に大きく目を見開いた後に。 赤子の手を捻るように、容易く激昂した。 「レッケンベルに乳母日傘で隠されて育った餓鬼風情が!」 私はにこりと微笑んだ。 結論は下りている。 テメレールから、情報は抜き取ったし、まあもういいだろう。 コイツはなんか危ないから、ここで殺しておいた方がいい。 遊牧騎馬民族国家との闘争が確定した以上、不安定要素はここで消しておくべきであった。 テメレール公の領地は何もかもヴィレンドルフとランツクネヒトで奪いつくす。 マキシーン皇帝陛下は私の意向に従うならよい、従わないなら殺す。 そうして、私が皇帝となる。 そのような判断で、何の問題もなかった。 「そうだ。レッケンベルに乳母日傘で育てられた餓鬼だからこそ、ここまでの事が出来るんだよ。さあ、全員に告げるぞ」 私は椅子に座ったまま、両手をあげる。 何もかもテメレールの言う通りだ。 有難う、レッケンベル。 多分私は貴女のように、母のように高潔にはなれないだろうが、ヴィレンドルフの女にはなれる。 約束を決して破らず、殺すときはお前を殺すと正々堂々と告げ、一切の濁りを瞳に感じさせない女に。 「もういいや」 私はテメレール公を殺害するように、配下の全てに命じた。