第121話 殺したいほどウザイ女 「アスターテ、状況を整理したい」 ファウストはアンハルト最高の騎士である。 なるほど、ファウストを男だてらの騎士であると、醜い姿であると侮蔑するゴミはわが国にもいた。 なれど、その功績を疑うような人間だけはいなかった。 少なくとも、このアナスタシアが知る限りでは、そうだ。 アスターテが私の視線に対して、困った顔で呟く。 「落ち着け、アナスタシア」 「落ち着いているとも。私は状況を整理したいのだ」 アレクサンドラが全て明らかにした報告から考える。 今の問題は、そのような話ではない。 ひとまず、テメレール公の認識が普遍的なものであるのかが知りたい。 「神聖グステン帝国中で、このような認識であると受け止めた方が良いのか? 皆がファウストの実力を疑っているのか?」 「まあ、私たちはファウストの実力を知っている。ゆえに、誰もそれを疑う者はいなかった。しかしなあ」 アスターテが、横のファウストを見て口を濁す。 ファウストの思考は今のところ、よくわからない。 怒っているのか、困っているのか。 無表情であるのだ。 私とアスターテは一度口を閉じたものの、再び思考をまとめて現状の整理を開始する。 「テメレール公がファウストに面と向かってではないにせよ、心境を明らかにしても問題ない内容だと考えている。出来れば口にすらしないで欲しかったが、そうはしなかった」 「公の場ではないからまだ良いにせよ、ハッキリと謝る気はないと言うのは……」 「要するに、帝都においては共通認識なのだ。ファウストがあのレッケンベルにマトモに勝てるわけないと、誰もが考えている。功績を認めていない。嘘でまやかしにすぎないと認識している」 下手すれば、それでも勝利したこと自体は認めているテメレール公さえ変わり者なのかもしれない。 勝利自体が偽物であり、本当は誰か――何らかの原因で死んでしまった。 それを、ファウストが一騎打ちで勝利したことと周囲が吹聴しているだけ。 帝都の状況を先ほどから調べさせているが、その認識すらあり得た。 「ちと困るな」 まあ、正直ファウストに帝都でやって欲しい事がそれほどあるわけではないのだ。 アスターテは何やらファウストを使う画策をしているようだが、このアナスタシアにとっては傍にいてくれるだけで良かった。 別にファウストの功績を信じなくても良い。 それは何の問題もない。 不愉快ではあるが、逆に言えば不愉快なだけであるのだ。 そもそもテメレール公に謝罪せよと要求しているのは、ファウストが侮辱された事自体が本当の問題ではない。 ファウストのパートナーである、これからアンハルト選帝侯になる私を侮辱したことに繋がるから問題となっているのだ。 なあなあに済ませて、周囲に舐められるわけにはいかないのだ。 だから、謝罪だけは必ずさせなければならない。 「まあ、テメレール公も複雑なんだろうな」 アスターテが、少し変な事を言う。 「というと?」 「アナスタシアも知っているだろうが、テメレール公はレッケンベルに敗北している。それは事実だ」 「知っている。要は、自分が一度は敗北を認めた相手を、男騎士風情が破ったなど気に食わぬ。それだけだろう?」 器が小さい。 そう笑い飛ばそうとするが、アスターテはちと違う、と呟く。 「私は英傑の争いが好きでね。あの二人がどのように争ったか知っている。レッケンベルが皇帝を僭称した者を打ち破り、帝都ウィンドボナにおいて包囲戦を行った。テメレール公は狂喜して、今こそ皇帝位を簒奪する時だと動いたよ。本当に良いタイミングだったんだ。丹念に準備していた兵を起こし、帝都に潜めていた市民兵を内応させ、もう見事に動いた」 本当に見事なものだったそうだよ。 生半可な相手であれば、勝ちは確定していた。 それこそ、相手がレッケンベルでさえなければ。 「結果は酷いものだ。兵の指揮で負け、軍略で負け、一騎打ちで負けた。何度も何度も、どうしても諦められないとテメレール公は猪突して挑んだよ。一騎打ちの回数知ってるか? 五回だよ五回。五回も負けてるんだよ」 レッケンベルに勝てるわけがないと、私もまあ思う。 事実、アスターテは兵の指揮統率で一度負けているし。 私は軍略で一度負けているし。 勝てた理由はただの一つだけ、武勇に勝るファウストが一騎打ちで仕留めたからだ。 それとて、僅かの実力差しかなかった。 それにしても。 「何で一騎打ちで五回も負けてるんだ。そこは一回で死んどけよ」 「何故か死んでない。猪突公なんて言われてるくせに、最後の引き際だけは異常に上手いらしいんだ。テメレール公が育てあげた陪臣たちが命がけで、死に物狂いで救出する。退却時、レッケンベルに吐き捨てた言葉はいつも同じだ」 アスターテ公は楽しそうに語りながら、テメレール公の捨て台詞を口にする。 「これで勝ったと思うなよ、だ」 「五回も負けてるじゃないか」 完全に小者だ。 どこまでも小者の台詞だった。 なれど。 「テメレール公は、いつかは、何度かすれば、次こそは、繰り返し繰り返しやる内に最後は勝てると信じていたんだろう。絶対に負けを認めないんだ。そういう性格をしているし、私はここまで突き抜けると感心するよ。確かに挙動は小者そのものだが、本当に小者であれば五回も挑まないし、生き残ってもいない」 それはレッケンベルがわざと逃がしたんじゃないか、とも思うが。 さすがに途中で鬱陶しくなって殺すだろう。 殺したいほどウザイ女であった。 「あれは間違いなく英傑の類さ。何がいけなかった? 何が悪かった? どうすれば勝てるんだ? 試行錯誤の上で成長するんだ。最初など数合で叩きのめされたらしいテメレール公は、最後の五回目にはマトモにレッケンベルと打ち合っていたというよ。まあ結局は最後の最後まで負け通しだったんだが、多分今でも次は勝てると思ってるんじゃないかな」 レッケンベルがとにかく強すぎた。 アスターテは酷く楽しそうだ。 英傑が大好きで、超人が大好きで、その能力が輝いた時に本当に楽しそうに笑う。 悪い癖である。 「自分が一度は敗北を認めた相手を、男騎士風情が破ったなど気に食わぬ。さっき、お前はそう言ったし、間違いなくそれは事実だろう。とはいえ、おそらくテメレール公の心境は我々が想像もつかないほどに複雑なんだろう。だからまあ、単純にファウストを侮辱したとは受け止めるな。偏屈な老婆が、駄々をこねていると思え。ただの八つ当たりにすぎないんだ」 「ふむ」 レッケンベルへの愛憎が入り混じっている。 ファウストが勝ったのは認めるが、何か理由があったに違いない。 色に溺れた、力量が低下していた、何か理由があるはずなんだ。 そうでなければ『あの』レッケンベルが真正面から負けるわけがない。 そんなことがあっては絶対にならない。 許されることではない。 そのようにテメレール公は考えている、と。 「アスターテの言いたいことは判った。それは理解しよう」 アスターテの人物評は、この変態による超人への見識は基本的に間違いない。 テメレール公は結局、猪突公であり異常に思い込みが激しいのだ。 こうと決めてしまったからには、そうだと決めつけてしまっている。 だから、それは信じよう。 「だが、現状は何も変わらんぞ。テメレール公は私とファウストを侮辱している」 「だからと言って、殺すわけにはいかん」 殺せない理由。 いくつかある。 テメレール公は、視野狭窄で、もう性格など小者中の小者とすら言ってよいレベルである。 なれど、選帝侯に次ぐ強力な諸侯であり、何か色々と足りない小者だが、紛れもなく強力な超人の部類である。 あの誰の目にもバレバレな皇帝位の簒奪を目論んでいても、だからと言って、はい殺すというわけにはいかない。 「私はテメレール公を利用したいんだよ。無茶苦茶に利用したいんだよ。今死んでもらっては困る」 アスターテの画策。 いくつかは聞いているし、アスターテがどうなるかわからんから、と口にしてない計画もあるらしい。 私に知られたくない事柄もあるだろうし、それはあえて聞いていない。 後で結果を教えてくれれば、それでよかった。 例えテメレール公にどれだけえげつない事をさせようが、私の知った事ではないのだ。 「理解している。どのみち、東方の遊牧騎馬民族国家の侵略を前にして、テメレール公を殺すわけにはいかんのだ。死んだ後の領地の争奪戦で、無茶苦茶に荒れるのが目に見えている」 身内で争っている状況ではないのだ。 どうしても殺せない。 あの野蛮なヴィレンドルフなら、みんな殺して全部私のもの、などとほざくかもしれないが。 国内バランスを重視しているアンハルト選帝侯の立場としては、その選択肢はありえないのだ。 それに。 「まして、テメレール公は何をどうしたのか知らんが、ずっと東方からの侵略を警戒しろと帝国に訴えていたらしいし」 神聖グステン帝国は、遊牧騎馬民族国家への対策において割れている。 テメレール公は強硬論者であり、すぐにでも対策に動くべきだと訴えている。 帝都に入り、まず最初にテメレール公のパーティーに招かれた理由。 「猪突公は絶対に何か知っている。理由を尋ねたいが、その時間が無かった」 傍から見れば、どうにも意味不明な行動をしている。 ファウストは何か天命を受けたのかもしれないと、無理やり納得したが。 テメレール公は少し頭がおかしいが、かなりの理論派である。 何かの論拠があるかもしれないと、私たちは考えている。 「最近知ったが、どうもレッケンベルも東方からの侵略においてファウストと同じように警戒していたらしい」 『あの』レッケンベルならそういう話もあり得るだろう。 そう考えた。 だが、レッケンベルが築き上げた鉄壁の諜報機関と言えど、情報源は別などこかにいるのだ。 「テメレール公が情報源という可能性があるんだよ」 だんだん腹立ってきた。 とにかく殺しにくいし、殺せない。 『あの』レッケンベルが五回も殺し損ねている話を聞けば、それは確信じみてきている。 なんだアイツ。 意味が分からない存在である。 「殺せないか」 「殺せない。殺す以外の方法でケジメをつけさせるんだ。頭を押さえつけて、どっちが上かを思い知らせて、利用するんだ」 「生半可な勝ち方では、絶対に負けたと認めないような相手をか? レッケンベルが何らかの利用価値を見出したようにか? どうしてもやらなきゃならんのか?」 ウンザリしてきた。 五回も挑まれたレッケンベルとて、似たような感情を抱いていたのかもしれない。 横で聞き役に回っていたファウストに、話を振る。 「ファウスト。話を聞いていたと思うが、どう思う?」 「……テメレール公が、私はともかくレッケンベル卿を単純に侮辱している、そんな話ではないとは理解しました。ならば、私が怒る事では」 レッケンベルへの侮辱。 死に物狂いで、一騎打ちにて葬った相手を侮辱する行為は致命的である。 ファウストは実のところ、酷く気が短い。 誰にでも身分問わず優しいようでいて、何処かしこで酷く感情の沸点が低いのだ。 激情を簡単に起こす。 別に、負の方面に偏ったそれというわけでもない。 それは母の連座で殺されようとしたマルティナのための、頭を地に擦り付けての嘆願であり。 ヴィレンドルフのカタリナ女王に対する、親に対し、愛情を与えられた子としてどうすべきかの訴え。 そんな涙交じりの愛情の発露であったり。 自分の意に添わぬ、遊牧騎馬民族国家に対しての発狂じみた演説とゲッシュであったりする。 少なくとも、このアナスタシアが知る限りでは、そうだ。 「私が男騎士であることへの侮辱。どうでもよい。私の容姿が醜いことへの侮辱。どうでもよい。それが公のものでなければ、我慢いたしましょう。なれど、私が倒したレッケンベル卿を侮辱したのであれば、もはや殺すしかないところでしたが」 やっぱり殺す事考えてた。 まあ、そうなるよな。 侮辱されたらその場でぶち殺せと言ったところであるし。 「とりあえず、テメレール公にも複雑なようで、妙に愛憎じみた事情があると知りました。ひとまず矛を収めることにします。しかし、どうするべきか」 「それを今考えている」 本当にどうしよう。 とにかく、あの殺したいほどウザイ女に、負けを認めさせなければならない。 その方法を今、必死に考えている。 どうにも思いつかない。 「あのヴィレンドルフの冷血女王、カタリナであればどうしたか?」 そんなことさえ考えている。 さて、どうしたものか。 私は考えをまとめるため、横に座っているアレクサンドラの肩を特に意味もなく殴りつけることにした。