第120話 アレクサンドラの憂鬱 「これはどういった意味でしょうか?」 私は問う。 テメレール公屋敷の応接間、そのテーブルに金貨袋が積まれている。 向かいの席にはテメレール公が座っており、眼鏡の光沢がガラス窓から差し込む日光に照らされ、眩しく光っている。 公は優雅に、眼鏡の丁番をひと撫でしてから。 どうという額でもない、という風情で呟いた。 「何も言わずに受け取っていただきたいということです」 「謝罪金と解釈しても?」 それにしては多すぎる。 金貨袋の小山は、長身のアレクサンドラでも一抱えもある程の量である。 詰められた額は小さな領地――それこそポリドロ卿の小領地ぐらいならば、容易に買い取れる。 それほどの額であるのだ。 「アンハルト卿なら、言わずともお分かりかと思いましたが?」 金のフレームで出来た、水晶の眼鏡。 テメレール公領内の金山や水晶鉱山の質について考える。 確かに目の前の金額は多額であるが、有力な諸侯たるテメレール公にとっては容易に出せる額であった。 私は眩暈がした。 これから何をテメレール公が言い出すかは、承知している。 侮られまいと、先に口を紡ぐ。 「確かに、殿下は何もかも理解されております。執務室では『余計なトラブル』により最後まで話を詰めることが出来ませんでしたが。まあ、そもそもテメレール公の裏向きの要件は理解しておりました」 余計なトラブル、テメレール公側の失態。 それを口にしつつも、話自体は進める。 今回の目的を明確化しようと、脳血を必死に巡らせる。 私が命じられたのは、ポリドロ卿へのテメレール公からの謝罪を勝ち取ってくる事である。 「アナスタシア殿下の戴冠式における、市民及び入り込ませた兵の蜂起による皇帝位の簒奪に対しての根回しでしょう?」 アナスタシア様及びアスターテ公爵が行うはずであった、裏向きの交渉ではない。 とはいえ、この話題は避けられそうに無い。 テメレール公の目が、眼鏡の奥で静かに細くなる。 「アレクサンドラ殿は事実上の交渉役と判断しても?」 「事前交渉役とお考えください」 決定権何ぞ私には無い。 交渉とて、本来は望むところではない。 なれど、状況は理解していたし、テメレール公との会話を全突っぱねして。 話も何も全てはテメエがポリドロ卿に頭下げてからだろがカス、などと本音を言うわけにはいかない。 もちろん、可能であればそうしたいのだが。 「宜しい。では、話に入りましょう」 本当に不愉快な話であるが、目の前の猪突公は実力者である。 今回手酷いミスはすれど、それで彼女の武力や財力といった権力が低下するわけではない。 この猪突公の要求を、アナスタシア様の代理人として粗雑に跳ね除けるわけにはいかないのだ。 そのような思考を無視して、テメレール公は喋り続ける。 眼前に置かれた、目もくらむような金貨袋の山についての話題。 「これは手付です。私が皇帝となったならば、この10倍の額をお支払いすることもお約束しましょう」 酷い話だ。 何故私が、このアレクサンドラがこのような交渉をしなければならないのか。 こんな薄汚い会話は、あの優しくも人肉食ってそうなアナスタシア様が行うべきである。 特に意味もなく私の肩をぶん殴る癖のある、あの御方がもう血も涙もない交渉で、テメレール公の財産をあらかた掻っ攫うような真似をしてくれればよかった。 その後でテメレール公の死肉を多少齧っていても、私は目を瞑るつもりなのだ。 いくら親衛隊長とは言え、もう大した家でもない世襲法衣貴族の次女――たまたま超人として産まれ、そこをアナスタシア様に目をつけられただけ。 そのような出自である私がやる仕事では絶対ない。 卑しい生まれではないが、大した家の出でもないのだ。 時々、ポリドロ卿と酒を飲んだりするが、私はあの貴族らしからぬ振る舞いに共感すら抱く。 「アンハルト卿の御心はどこにあるか、アレクサンドラ殿に是非伺いたい」 猪突公の戯言を、右から左に聞き流し、自分の不満について考える。 給料安いんだよ。 そのような不満が私にはある。 アナスタシア様は装備一式を支給してくれたし、軍馬も買ってくれた。 だが、給料は安かった。 アナスタシア様が女王になられる戴冠式の後には、隊員全員が世襲貴族となる予定である。 要するにまだ予定であり、私たちの貴族としての階位は低い。 第一王女親衛隊としての役職給が、馬の維持費などを補填してくれるのみで。 三度言うが、未だ給料は安かった。 貴族として食うに困らないだけの金はもらえるが、それだけだ。 第二王女親衛隊など我らより酷いが、我らとてそれほど裕福でもない。 「別に、アンハルト卿にとってマキシーン皇帝陛下が大事というわけでもありますまい。卿にとって領地の利益につながるのであれば、本音は皇帝位が誰に有ろうがどうでもよいはず」 そもそもが所詮は王家に仕える法衣貴族に過ぎず、小さくても数百名の領民から税収を得ている領主騎士。 彼女たちと比較するとなれば、よほどの高級官僚でもならない限り俸給は低い。 小領主のポリドロ卿と比べてさえ見劣りするのだ。 ポリドロ卿が、嫌々予定外の軍役に兵を動員する際に支払われる特別手当。 そういったものも多少は出るが、まあ知れていた。 金だ。 正直、金が欲しかった。 騎士としての名誉欲はもちろんあったが。 それ以上に自分の領地、土地や城が欲しい。 私はアナスタシア様に絶対の忠誠を誓えども、それはそれとして領主騎士にはなりたかった。 「もちろん、今回はこうやってアレクサンドラ殿に足を運んでいただいたことですし。貴女にも多額の礼金を支払うつもりです」 それには金が必要であった。 金で領地を買う必要があるのだ。 騎士が金を儲けるにはどうすればよいか? 戦場で功績をあげ、アナスタシア様から好意のしるしとして金銭を得る。 敵から略奪を行い、都市や商人から奪い取る。 そして今回のようにアナスタシア様に最も近い距離に居るという立場を利用して、役得を手の内にする。 正直言えば、嫌だ嫌だと口にはすれど、期待していなかったわけではない。 おそらくは、たまにはお前に美味い汁も吸わせてやろう。 昨夜はポリドロ卿の前で三人してふざけていたが、アナスタシア様にはそのような思惑もあったのだろう。 私が今回の交渉を良いようにまとめれば、猪突公から金銭的報酬を得ることに何も不満はない。 むしろ、いくらか分捕ってこい。 あの人肉食ってそうな私の主君様は、遠回しにそう仰っている。 「返事は如何?」 なれど。 なれども、だ。 「テメレール公。お尋ねしたいことが一つ」 ファウスト・フォン・ポリドロ卿の名誉に関わるのであれば、話は全く別になるのだ。 彼の名誉を代償に自分が金銭を得るなど、このアレクサンドラにとって許されない事である。 私は。 この帝都までの旅路、その馬車内でもポリドロ卿に静かな告白をした。 私は、ポリドロ卿が夫になるのであれば、それも悪くないと思っていた。 もうその機会は失われてしまったかもしれないが。 「アナスタシア様のパートナーであるポリドロ卿に対し、謝罪するおつもりは?」 私はポリドロ卿の事が好きだ。 あの無骨で、男らしくなく、あまり魅力的な容姿ではないものの。 時々、あの男との子が作れたらどんなに楽しいかと思うのだ。 ヴィレンドルフ戦役にて戦友となり、時々話しては貴族としての知見がどうにも足りず、私に指摘されては恥ずかしそうにするポリドロ卿が私は好きだった。 未来の超人を作るなどといった目的、私が良く他人に口走るような照れ隠しではない。 ワインをお互いに酌み交わし、互いの杯を満たし、一つのテーブルで同じ柄の食器を王都で囲うような日々。 できれば、二人の間で出来た子供と一緒に。 そんな家庭的な安らぎを、どこかポリドロ卿に求めているのだ。 恥ずかしくて、誰にも想いを口にすることはできないのだけれど。 「ポリドロ卿は領主騎士でもあります。状況は複雑であり、男一人を侮辱しただけなどとは思わないで頂きたい。彼をパートナーとして連れていたアナスタシア様を侮辱しただけではなく、ポリドロ卿という貴族をも侮辱したのです。彼はわが国アンハルトにおける最高の騎士なのです」 「理解している。『そういう話になっている』のは理解している」 テメレール公が一言でも謝罪してくれればよかった。 ほんの少しで良い。 そうしてもらえれば、私はテメレール公に適当な色良い返事をして。 アナスタシア様は人肉食ってそうな眼光で、よろしい、後は任せろと優しく言ってくれたろうし。 もう何かアスターテ公爵はえげつない事を企んでくれるだろう。 ポリドロ卿は全く以って不幸な事故だったけれど、私が何か良いワインでも奢ろう。 テメレール公からの謝礼金で買ったワインであれば、それはもう美味しい味になるはずだ。 だが。 「理解しているから、その分の金を出す。ポリドロ卿には金銭を分け与えて頂きたい。なれど、表向きには謝れない。理解を求めたい」 もう、さっきからテメレール公が謝る気などさらさらない事は理解している。 空気でわかるのだ。 テメレール公はハッキリ言ってしまえば。 「私はポリドロ卿と二度と会う気すらないのだから」 口にしないだけで、ポリドロ卿を心の底から馬鹿にしているのだ。 このアレクサンドラに言わせれば、開いた口が塞がらないほどに、ポリドロ卿の事を見下しているのだ。 「テメレール公。私に払う礼金などは無くても良いのです。どうかポリドロ卿に一言で良いので、謝罪を」 私は問う。 何故そこまでに一言謝るのを嫌がる。 「アレクサンドラ殿。何故そこまでポリドロ卿への謝罪を求める」 「理由は先ほども言いました。ポリドロ卿は当国アンハルトにおいて最高の騎士であると。それに対する侮辱を謝罪しないということは」 ファウスト・フォン・ポリドロ卿はアンハルト王国における最高の騎士である。 ヴィレンドルフ戦役で格別の功績を叩き出した。 選帝侯同士の戦争において、敗北寸前の絶望的状況から勝利を掴んだ。 ヴィレンドルフの最強騎士クラウディア・フォン・レッケンベルを打ち破った。 その上で、和平交渉をもぎ取ったのだ。 あのような騎士、神聖グステン帝国中のどこを探してもいないと私は思っている。 それを侮辱するという事は。 「テメレール公はアンハルトを舐めておられるのか?」 ついに、言ってしまったが。 テメレール公とて、ポリドロ卿の功績は知っているだろう。 何せ、この女は先日の夜会にて、ポリドロ卿の功績を自らの口で褒め称えたのだから。 「アンハルトを舐めてなどいるわけがない。そうでなければ、こんな根回しするものか。唯一、気に食わないのは私が――」 トントン、と指で応接間のテーブルを叩く音が聞こえる。 テメレール公の仕草。 それをやや不愉快に思いながらも、聞いてやることにする。 本音は。 「何故、男なんぞに謝らなければならないのか」 本音は、これから皇帝位を目指す立場が原因でも、アンハルトを甘く見ていることでもなく。 テメレール公のプライドが原因であり、男であるポリドロ卿を嫌っていることなのだ。 「どうも、理解されていないのでハッキリ言おうか。なるほど、表向きには褒め称えもしよう。事実、私は先日の夜会にて彼を褒め称えた。私が以前に敗北した――レッケンベル卿に勝利したことを褒めた」 そうだ。 テメレール公の経歴からくれば、自らが敗北した超人を敵に回し、勝利した。 それを騎士として褒め称えこそすれ、嫌う事など。 「勝利した経緯は、どうもあのレッケンベル卿が色に狂ったと聞く」 無言。 何か言おうとして、それでいて何かを言える事は無く、口を閉じる。 アレクサンドラは、自分の耳を疑っていた。 「私は知っているぞ。戦場でポリドロ卿に対し、私の第二夫人となれと迫った上での敗北だそうではないか。あの天下のレッケンベル卿も落ちぶれたものだ。私と相対したときは、悪魔と見間違いするほどに凶悪な強さであったのに。色に溺れて、手加減して負けるとはな」 要するに、眼前の女は何一つ理解していない。 知ってはいるが、知ってはいない。 「私はレッケンベル卿が人生最大の好敵手だと思っていたが、そのような無様な死に方をするとはな」 確かな情報を得ながらにして、その伊達眼鏡を通して、真実を大きく見間違えていた。 何を馬鹿な事を。 私はアナスタシア様の御傍にいたため、その一騎打ちを目にしていないが。 アンハルト、ヴィレンドルフ、両国最強の英傑騎士が死に物狂いで戦ったのだ。 騎士の誇りをかけて一騎打ちを行ったのだ。 何一つ手加減など存在するものか。 そのような侮辱を、クラウディア・フォン・レッケンベルがするわけがないし。 ポリドロ卿は敵とは言え、偉大なるレッケンベル卿の死を以てして、強さを証明したのだし。 そして、彼は彼女の死を何一つ侮辱しなかったのだ。 「理解したか。アレクサンドラ殿。私はポリドロ卿にだけは頭を下げたくないのだよ。彼の功績など偽物にすぎない。彼が本当に真実、レッケンベル卿を破ったというのであれば別だったがな」 私は口を閉じ。 もう何も言うまいと思った。 そうして、数回の会話を交わし、テメレール公の屋敷を去ることを決意する。 その時、この手には礼金の金貨一枚握られていないだろう。 今私に予測できる未来は、それだけであった。