第117話 謝罪できない理由 執務室の上に、テーブルクロスも敷かれずに料理が供されている。 帝都ウィンドボナの店で売られているような、廃牛を潰して肉としたものではない。 上等品であり、ただ食肉とするために育てられた仔牛肉のステーキ。 調味料としては海塩のみをかけ、その肉を刃渡り15cmほどの肉切ナイフにて切り分けながらに。 テメレール様は静かな声色で、まっすぐに呟いた。 「私が一番嫌いな事は知っているな?」 給仕しているのは、25歳を迎えたばかりの私であった。 領民3000名の荘園を支配する領主騎士である。 「知っております。舐められることです」 選帝侯に及ばずとも、いざ戦となれば兵士5000名以上を喚起できるテメレール様相手とはいえ。 その食事の給仕役としては不適格である。 命じられたならば、面子商売の領主騎士にとっては激昂すらあり得る屈辱であった。 相手がテメレール様以外であれば、このような事に応じない。 私が応じたのは、これがかつての私の役目であったから。 テメレール様の騎士見習いとして、むしろ喜んでやっていたことであったから。 「だが、お前は私を侮辱した」 「……テメレール様、それには」 「言い訳は聞きたくないんだ」 私はかつてのテメレール様との関係を考え、そして、目を閉じた。 私が罪に対し、赦しを求めることはできない。 テメレール様に与えた損害の補填をしなければならないのだ。 理由は明確である。 今夜の事件にて、夫がよりにもよって主賓のパートナーを侮辱した。 ポリドロ卿を公然の場で、何の言い開きも出来ない程に明確に、公然と侮辱したのだ。 今から貴様の鼻をもぎ取る理由――聞くところによれば、ポリドロ卿はその侮辱の内容を、明確に誰の耳にも伝わるように会話し、その上で報復した。 悪いのはこちら側といえど、えげつないこと極まりない。 ポリドロ卿は単に殺すよりも、酷い応報を為した。 彼も間違いなく激怒していたのだろう。 自分の手でぶち殺して全てを終わらせるよりも、より上位の案件にして、私を苦しめることを選んだ。 「お前は私を舐めているのか、それを聞きたいんだ」 「テメレール様、私が貴女に逆らう気持ちは欠片も」 違うと言いたい。 私の立場からすれば、もちろん夫の行為に対する責任は免れぬ。 それは理解していた。 罪に対する弁明などはせぬ。 その裁きは受けるつもりであった。 なれど、テメレール様には恩があり、それを侮辱するなど、あり得ぬ話であるとは弁明したかった。 「私は執務室にてアンハルト卿やアスターテ公と相対した際に、テメレール様の御傍におり。どうしてもパートナーを止めることが」 「私の質問を理解していないようだが」 視線を合わせずに。 肉を切り分け、口に運び、咀嚼する。 私はテメレール様の側近中の側近であるが、出自を言えば、ある小さな領主騎士の三女であった。 だが、幼い頃より才気を見せ、幼いテメレール様に目を付けられた。 私は騎士見習いとして彼女に引き立てられ、今の地位に引き上げられたのだ。 「お前は私を侮辱しているのか? それだけが聞きたいんだ。私は、お前には理解されていると思っていた」 言い訳はできない。 あの顔こそ優れど、領民3000名の領主騎士の唯一の子として産まれ、蝶よ花よと育てられてきた。 ――結果、出来上がったのは他人の威を借り、どこまでも調子にのるだけの愚物。 貴族としてあまりにも教育不足な美童という、顔に張り付いた肉にすら興味を抱けない男。 嗚呼、そうだ、何もかもが私の責任だ。 テメレール様は、その愚物にも価値を感じた。 男自体には何の興味も一切持たない御方だが、その男が相続する領地の価値は理解していた。 だから、自分の陪臣であり、優れた女と見込んでいた私を配偶者として認めさせた。 私を恵まれぬ立場から、引き上げてくださったのだ。 嗚呼。 「私はテメレール様を舐めた事など、人生で一度とてありません」 それだけは誤解されたくない。 何もかもが、私の失敗であった。 確かに私の夫は、その美貌に対してすら愛を抱けぬほどの愚物である。 私はあの少年を一度として愛したことはなく、愛しているのは財産のみである。 そして、その財産、私が貴族の三女として産まれて――どんな醜い、誰もが目を背けるような酷い事をしてでも得られないだろうと考えた物。 領地、領民、城、私の愛する全て。 それらを与えられた以上は、愛する主君たるテメレール様に才をもって陪臣としてお仕えする事が対価。 何もかもを得たのだから、私はそれに対し、明確な責任があった。 夫の教育不足を許し、放置した全ての原因は私に有るのだ。 指を。 執務机に両手をついて、両手の指を突き出す。 「この手指、足らなければ足指全て切り落とし、不具として構いません。なれど、卑怯未練なれど、私の命ばかりは助けを」 「その理由を問う」 「まだお役に立てます。私はまだ、貴女のお役に立てます。今回の失敗は完全に拭いされぬものなれど、両手両足の指を切り落とし、それをポリドロ卿にお届けし、お詫びとしてください。それでも、テメレール様の頭を下げる事だけは出来ぬと。これで赦しをくださいと」 手の指で剣を握れなくなったところで、足の指で地を蹴ることができなくなったところで。 今回の全ての責任を取ることになろうとも、それで解決するならば良かった。 私はまだ何もしていない。 与えられた報酬に対し、私はテメレール様のお役に立っているとは、どうしても言えなかった。 騎士の契約とは、双務的契約であるべきなのだ。 お互いに利益を与えなければならない。 私は叙任式(オマージュ)においてテメレール様に忠誠を誓った身であり、陪臣として全てを与えられた。 まだ足りない。 何も恩返しできていない。 テメレール様に賜られる死よりも、その事実が怖かった。 もっと。 もっと、何かを。 どうしようもないくらいに、涙が溢れ出た。 こんな有様で終われないのだ。 「テメレール様、私はまだ、お役に立てるのです。お赦しを。私は、私はまだ」 「泣くんじゃない。領主騎士が泣いて許されるのは、親の死に目ぐらいのものだ」 戦場で泣いてたなら、その間に死んじまうよ。 ぶっきらぼうに、テメレール様が慰めるように仰った。 「意地悪な質問をした。我が従卒よ。私はお前が、私を舐めたなどと実は欠片も思っていない。ただ、お前の状況把握を確認したかった」 「テメレール様、今回の件については」 「今考えている」 肉を咀嚼する。 テメレール様が晩餐会の後に、食事を摂っているのは別に小腹が空いたからではない。 頭蓋骨に保護された脳肉に、血を巡らす必要があるからであった。 だが、その結論は、私の頭では予想できている。 「私は謝れない」 「はい」 事情がある。 謝れない事情があった。 テメレール様は、自身の死よりも、舐められることが大嫌いだ。 それとは別な事情がある。 「だが、お前の両手両足の指を切断し、ケジメとするのもな。どうなのかな」 「テメレール様」 「ポリドロ卿はどうでもいいんだ。まあ、神聖グステン帝国の騎士として、あのような男をパートナーにするのはどうかな。そうは思うが、私にとってはどうでもいい。ポリドロ卿のことなどどうでもいいんだ」 会話を一度止め。 肉を咀嚼する。 「私は男に価値を感じていないし、あの醜い筋肉の塊たる超人をアンハルト選帝侯の娘が侍らかしていること何ぞ、心の底からどうでもいいんだ」 頭に血は巡る。 テメレール様はひたすらにその行為を繰り返し、言葉を紡ぐ。 男に興味を持たぬ価値観を言葉にしつつ、本音と現実を呟く。 心の底からどうでもよい。 なれど、そのどうでもよいポリドロ卿を公然と侮辱したのは、どう考えても我らの失点であった。 人を侮辱するなどで下らぬ快楽を得ようとした、どうしようもない夫。 そしてそれを制御できぬ、私の失点であった。 あのような貴族としての常識を何もわきまえぬ夫など、財産全てを毟り取った後は殺してしまうべきであったが。 あくまで現時点での財産は夫の物であり、まだ私はその全てを毟り取ってはいない。 領民を慰撫し、陪臣騎士を手懐け、夫とその両親を排除する段階に至るまで。 ある程度は好きにさせるしかなかった。 その適当な油断が、今の失敗を招いたが。 「アンハルト卿が何を要求するかはわからぬ。だが、何に対しても私が謝れない事。それだけが問題なんだ」 「テメレール様」 謝れない。 テメレール様は謝れない。 「私がアンハルト選帝侯となるアナスタシア殿を呼んだのは、表向きとしては神聖グステン帝国マキシーン皇帝陛下による戴冠式、それに対する祝辞を宴席にて述べるためのものだ。それは誰もが知っている」 対等の立場。 何も、アナスタシア殿を祝福し、それで終わりというわけではない。 表向きには――テメレール様の、選帝侯に並ぶ権力者なのであるというアピール。 そのために、今回の夜会が行われたし、アナスタシア側もそれを粗略に扱うつもりは無い。 テメレール様を権力者として認め、居並ぶ貴族にそれを誇り、それで終わりだった。 表向きは。 「だが、お前は知っているよな。それは表向きの話だ。私には目的があり、今回アンハルト選帝侯となるアンハルト卿を屋敷にお招きした。別に、お互いの権力誇示のためではない。あの人肉食ってそうな目つきの女が何を考えているかは知らんが、私の目的はそうではない」 知っている。 表向きではない話を、私はテメレール様より伺っている。 私は懐刀でありながら、今回どうしようもない失敗を――止めよう。 今更考えてもどうしようもない事であった。 「知っているだろうが、私は男に興味はない」 テメレール様は、男嫌いである。 とはいえ、別に女性を好むというわけでもない。 単純に――何か、男を家畜のようにしか見ていない。 この女が9産まれれば、それに対して男が1しか産まれぬ。 我らが乗る馬や、市街に住む野良犬などと違い、どうにも男女比が違う。 それに対し、テメレール様は一つの思想を持っている。 神が認めた完全たる人間である女に対し、男はただ人を増やすためだけに存在する家畜でしかない。 そのように考えている。 故に、テメレール様は男を抱かない。 自分の子に興味というものが湧かないようであった。 いざとなれば、親族の子を自分の継承者にするつもりですらいる。 そこまでしても、家畜と情を交わすつもりはないのだ。 「私が欲しいのは、もはや愛情でもなく、友情でもなく、ただの地位でしかないのだろう。後世に名を刻む程度の。それ以外に何をやりたいわけでもない。ただ、あのマキシーンという少女は、どうも私を舐めているようで気に食わぬ」 財は十分に備えている。 武力も握っていた。 あのマキシーンという少女皇帝、神聖グステン帝国の皇帝陛下という地位は、確かに血筋や帝国領という名の力は持ち合わせど。 それはアンハルトやヴィレンドルフといった選帝侯の賛意を得ることで、ようやく成し得ているのが現状である。 絶対権力では決してなく、選帝侯の意図が曲がれば、その地位は容易に揺らぐ。 選帝侯7人全員の賛意を得て皇帝になったなど、ただのペテン。 アンハルトとヴィレンドルフが財力と武力で、強烈に押しあげただけにすぎない。 「あの小娘自身にそこまで恨みはないが。やはり、気に食わぬ。あの小娘の才が、私より上だとでも言うのだろうか? どうしても気に食わぬ。選帝侯、いや、皇帝の地位すら私には望めるだろうに」 強烈な自負。 超人としての自負が、テメレール様にはある。 それこそ、あのヴィレンドルフの完全超人たるクラウディア・フォン・レッケンベル。 帝都にランツクネヒトを嗾けられた市民全員が恐怖する、悪魔扱いの化物の能力さえ上回る自負があった。 そうでなければ、夢など抱けない。 「私には夢がある」 テメレール様の夢は、昔から知っている。 「その夢は、帝位簒奪だ。マキシーン皇帝陛下が、アナスタシア殿に対しアンハルト選帝侯として戴冠式を授けるその場にて、戦を望むことだ。一心不乱の私戦を挑むことだ。私が皇帝の地位を奪い取ることだ。戴冠式という慶事に横やりをいれることに対して、アンハルト卿の理解を求めるために今回の夜会を設けた事はお前も知っていよう」 知っているのだ。 だから、アンハルト卿には弱みを見せられない。 公然と謝って、アンハルト選帝侯よりもテメレール様が下であるなどと、少しでも侮られるなど。 絶対にあってはならないのだ。 周囲の馬鹿どもは、弱み一つ見せればそれを絶対の評価だと思い込む。 武力が圧倒しているのであれば、その馬鹿の口を塞ぐことは出来る。 だが、単純な武力にてアンハルト卿を殴って格差を決定づけるのは酷く困難であった。 現アンハルト選帝侯リーゼンロッテの治世は財力ばかりが魅力の温厚なものであるが、その潜在力は侮れないものがある。 次期アンハルト選帝侯たるアナスタシアの協力も無しに、その戴冠式を壊すわけにはいかなかった。 根回しをせねばならぬ。 「私は神聖グステン帝国の皇帝位を奪い取り、テメレール皇帝陛下になりたいのだ。故に、アンハルト卿に謝罪することは、この頭を垂れることはどうしてもできぬ。むしろ、あの女を利益か力か、どちらかで捻じ伏せる必要があるのだ」 テメレール様の夢。 その欲望について、私は誰よりも知っているつもりである。 私はその望みに対し、両手両足の指を泣き別れさせるという手段、もはやテメレール様が望まないそれではなく。 別の手段にて、アンハルト卿とポリドロ卿を納得させる方法。 力か、利益か。 或いはその両方か。 それについての計算を、テメレール様の懐刀として始めた。