第115話 侮辱 気にしすぎであったのだろう。 テメレール公主催の晩餐会は何事も無く終わったのだ。 天然水晶の眼鏡をかけた――あれは別に目が悪いのではなく、自分の印象を本を愛する温厚な人間であると、そう見せかけたい為のブラフ。 伊達メガネなのだ。 年齢は28歳頃にして、背は180cmほどと高く、欲望に満ちたギラギラとした眼光を隠すように眼鏡をかけ。 声はややしゃがれておりハスキーじみていて、人に威圧感を与えることには天才的な才能。 そのようにアスターテ公爵は評していたが、猪突公と呼ばれる印象とは少し異なり、私に対しても柔らかく応じていた。 心の中ではどう思っているか判らないが、アンハルトにおける私の武勇を参加者全員に喧伝するように、そのしゃがれた声色で褒めすらしたのだ。 彼女は完璧にホストとしての役目を果たしている。 私が単純なのかもしれないが、悪い印象は受けていない。 同時に、こちらの事情をある程度掴んでいると判断する。 「言っただろう。テメレール公が私たちに喧嘩を売ることなど無いと。どこの世界に自分の利益になる重要人物を罵倒する馬鹿がいるんだ。私たちを威圧しても何の得もない」 「はあ。確かに私の勘違いだったようです」 自分の頭皮に指を伸ばし、かりかりと掻く。 テメレール公にとっての要人のみを集めた、参加者50名ほどの小さな晩餐会。 アナスタシア殿下はその凶悪な容貌、『人肉を食べていそうな眼光』とは裏腹に朗らかな口調で。 参加してきた全ての要人の過去の来歴について、テメレール公から事前に聴いておいた功績についてを、さも感心した様子に褒め称えていた。 参加者全員の名誉は、この晩餐会において完全に満たされている。 しかし――。 テメレール公はむしろ興味深げに私を見据えども、他の宴席客と言えば、むしろ私へ困惑の視線を送っていた。 事前説明はあったろうに、だ。 「やはり、男騎士は珍しいのですね」 「神聖グステン帝国をくまなく探したら、どうしても男しか産まれなかった稀有な例、家名の後継者が男しか現時点でいない例はあるだろうが、戦場に出てくるとなればな。さすがにお前だけだ」 私が同じ立場の貴族、そういった友人を得る機会など、この生において無いだろうな。 少し悲しく思う。 別に息苦しいわけではなく、好んで私はこの生き方をしているのだが。 それにしてもだ。 「アナスタシア殿下はどちらに?」 さっきから見かけないのだが。 先ほども言ったが、今は晩餐会を終えている。 もちろん今回のメインはそれであり、もう帰っても良いだろと思うが――。 「テメレール公と二人で、執務室に移動した」 「来客用に準備された談話室――ではないんですね」 「今から重要な話をするのさ。選帝侯候補者と有力な貴族の、未来についての大事な話」 それは別に神聖グステン帝国のためではなく、自分たちが支配する領邦をどう保つか。 どう維持し、どう発展させるか、そのために必要不可欠な外交関係の話。 やはり、雲の上の話だ。 マルティナならば聞きたがったろうが、私にとってはそうでない。 だから、私とアスターテ公爵は壁際の椅子に二人座っている。 テメレール公が今回呼んだ貴族とパートナーたちは、ダンスホールで優雅に踊っている。 私にはその技量が無い。 「踊られないのですか?」 「お前がダンスを下手なのは知っているからな。リーゼンロッテ女王陛下に、お前とワルツを踊ったと聞かされたよ」 凄い下手だったと。 私は口をへの字にする。 ダンスなんて経験殆どないんだから、どうしようもない。 「お前と踊るのは嫌じゃないし、望むところなんだが。この人が居並ぶ場所で見せびらかしては、お前の評価を落とすさ」 「私の評価に意味はないでしょう。先日もそう仰られた」 「お前の評価に意味はない。武人としての評価をテメレール公が落とす事は無いだろう。クラウディア・フォン・レッケンベルの名は帝都であまりにも有名にすぎる。なにせ幼きマキシーン皇帝陛下を救出している。ランツクネヒトを帝都に嗾けるなど、えげつない事もしている。あれに一騎打ちで勝った時点で、お前の名声が揺らぐことは後世においてもないだろうさ」 アスターテ公爵は、そのように仰られた後に。 少し、困ったように呟かれた。 「そうだな、本音を吐こう。もう評価でもなんでもなく、私はお前にろくに知らん女と踊られるのが嫌なのだ」 「はあ」 私はなんとなく嫌な予感がした。 あれだ。 アスターテ公爵が少しおかしくなる予兆だ。 「私はお前が初めて母親以外とワルツを踊ったと、リーゼンロッテ女王陛下に不器用でぎこちない弱味をお前が見せたと聞いて、すごく憎んだ。そして興奮した。畜生、私のデザートが取られたと」 何がデザートなのだろうか。 なんでアスターテ公爵はそれで興奮するんだろうか。 「それはよい。凄く興奮した。それは良かったんだ。デザートの美味しい味を知っているのが他人に取られた。もうそれはとてつもない興奮だ。えげつない興奮だったんだ。それは良いんだ。ただ一つ許せないのは、お前の味を知らない女郎めが、お前と踊る事だ」 私は味などしないが。 まあ、アスターテ公爵のいつもの病気なので気にはしない。 「違うんだ。理解して欲しいんだ。私はお前が他の誰かにいいようにされること自体を興奮できるような端女の類と一緒にしないで欲しいんだ。私はお前の価値をはっきりと認識し、その女に『お前が固執する男を奪った』とマウンティングされたいのであるし、そうでなければ何の興奮も無いんだ」 無心で聞く。 とりあえず、私には判らない言葉で語られてるだろうから。 「とにかく、私が興奮しているのはファウスト・フォン・ポリドロというお前だからであるのだし。その相手が誰であっても、このような興奮を味わっている淫売などではないと判って欲しい」 理解はできなかったが、なんか可哀想なので理解したふりをする。 「わかりました。アスターテ公爵」 「理解してくれたか」 アスターテ公爵は笑顔で呟いた。 この人は可哀想な人なんだな、という以前も一度決着づけたそれを感想として抱いた。 ――ふと、近寄ってくる気配を感じる。 「アスターテ公爵、出番です。アナスタシア殿下とテメレール公がお呼びです」 アレクサンドラ殿である。 軽く頭を下げて私に会釈し、アナスタシア殿下の護衛を務めていた彼女が、楽しそうに声を上げる。 「話が進んだか」 アスターテ公爵も、楽しそうに答えた。 この辺り、何がどうしているのかが判らない。 アナスタシア殿下とテメレール公は何を話しているんだ。 交易について? 軍役について? 何か具体的な領地の利益について、話しているのは間違いないだろう。 「さて、ファウスト。申し訳ないが、少し壁の花でいてくれ。すぐに戻ってくる」 「アスターテ公爵も、テメレール公と何か話を?」 「アナスタシア殿下とはまた話が違うがな。お前の利益にもなることについて、話をする予定だ」 その私の利益となること、が良くわからないのだが。 やはり、詳しく尋ねる事ではないだろう。 アスターテ公爵が手を大きく伸ばし、私の頬をするりと撫でる。 「期待していろ。さて、行くか」 「はい」 アスターテ公爵と、アレクサンドラ殿が連れたって場を離れる。 さて、困る。 やることが無いのだ。 「……」 いや、本当にやることが無い。 腕を組み、礼服の生地の良さを確かめながら、目を閉じる。 待つのは嫌いではない。 とにかく、誰にも関わらない方がこの場では良いと判断した。 「あら、お一人ですか」 だが、声を掛けられる。 目の前にいるのは、私の胸元にすら届かぬ背の低さ。 神聖グステン帝国では主流の好みであろう、紅顔の美少年が私の顔を見上げている。 「一人だ。殿下と公爵は、今頃テメレール公と話をされておられる」 無視するわけにもいかないので、返事をする。 何の用事だ? 「それはそれは。さっきから奇妙に思っていたんですよ」 テメレール公の反応から、私に喧嘩を売るような人物はいない。 そう思うが。 「何故、貴方のような人物がこの場にいるのか」 駄目だこれは。 アスターテ公爵、あれだけ自信たっぷりに言ってたのと違うではないか。 私はため息を吐きながら、適当にあしらう事を試みる。 「アナスタシア殿下の義弟として、未だ婚約者のおられない殿下のパートナーに選ばれたのだが。ご存じないのか?」 ただの事実を口に出す。 私の背後にはアナスタシア殿下がおり、その彼女の存在を口に出す。 本来、このような事は口に出すまでもない。 だが。 「嗚呼。可哀想なアナスタシア選帝侯、貴方のような男をパートナーにしなければならないなんて。いくら御国事情とはいえ、貴方も断るべきでしょうに」 眉を顰める。 私は眼前の美少年など、どうでもよくなっている。 思考はいままでに私を侮辱してきた、侍童やくだらぬ法衣貴族についてを考える。 どうしても理解できぬ。 人の侮辱を行う、それについてではない。 侮辱は甘美であり、安全地帯でひたすらに相手を罵り、自分は攻撃される恐れが無い。 それはそれは楽しいのだろう。 まして賛同するものがおり、一緒に笑って蔑めば、酷く楽しいのだろうとは思う。 共感はできないし、あまりにも人として醜くはあるが。 ――疑問はただの一つ。 何故私に喧嘩を売ろうと思うんだ? 「少年よ。一つ聞きたい」 「何でしょう」 「私が怖くないのか? 私は貴様の首など一撃でへし折ることができる」 ただの事実を口にする。 眼前に握りこぶしを作る。 私の剛拳は鈍器と何一つ変わりない。 剣や槍をぶん回し、肉が膨れ上がった醜い手だ。 頭を殴れば頭を果実のように砕き、心臓を殴れば一生心臓を止めることができるという魔法を使えるのだ。 これはケルン派における贖罪主の御業と一緒である。 「そんなことが出来るんですかあ?」 挑発するように言う。 出来るから言っているのだが。 「私はテメレール公に仕える貴族である――のパートナーの――」 くだらぬ口上を聞き流す。 貴様の自己紹介なんぞ聞く気はない。 アスターテ公爵の言葉をそのまま流用するが、そのお前のパートナーが仕えるボスであるテメレール公が、私の事を招待客として呼んでいる。 先ほどの晩餐会で私個人を褒め称えすらした。 何一つ理解していないのか。 「そのテメレール公が、さきほど晩餐会で私を褒め称えた事を聞いていなかったのか?」 「嫌々仰ってたんでしょう? テメレール公がたかだか領民300名程度の領主騎士を心から褒めるわけないでしょうに」 駄目だコイツ。 あまり聞きたくないが――。 「まさかお前、自分がテメレール公を代理して私に忠言している等と勘違いをしているのか?」 「まさか! 私はテメレール公が言わなくても分かるであろう程度の事を、貴方が理解していないから言っているだけです」 それを代理というのだ。 アカンわコイツ。 根本的に勘違いをしている。 テメレール公の配下はもちろん、そのパートナーである眼前の少年に発言権なんぞない。 私を侮辱する権利や忠言する権利どころか、私に何かを訴える権利すらない。 「私の妻は領民3000名の――」 また何やらくだらぬ事を呟く。 荘園の大きさは重要だ。 確かに階級差や爵位の差はある。 それを盾にした要求もこの世にはあるだろう。 しかし、何か根本的に勘違いをしているが、立場が上だからと言って下に何かを一方的に要求する権利など、この世のどこにもありはしない。 そういった関係は存在すれど、何の交渉も無ければ我慢の閾値を超えた先にあるのは、殺し合いだけだ。 双務的契約と、各自が所有している権利というものを、眼前の少年は理解していない。 唯一左右するものがあるとすれば、それは階級や爵位など建前ではなく。 根源的な恐怖、暴力のみだ。 予め設けられた秩序を破壊する自力救済のみであり、この異世界中世もどきはそれを是認している。 その解決方法が不利益だから、誰も彼もが相手を侮辱しないよう努力しているというのに。 この少年は何もかもを理解していない。 「わかりましたか?」 何か自慢気に語る少年を見る。 私は、少しここで周囲を見た。 ほぼ全員が、顔を引きつらせている。 誰か止めろよ。 そう思うが、この少年のパートナーたる配偶者がいれば、このような事最初からさせていないだろう。 私のパートナーである、アナスタシア殿下やアスターテ公爵と同じく、この場にはいないのだろう。 哀れだな。 もはや、この少年をパートナーに選んだ貴族の末路は決定した。 私が許すと言っても、このような公の場では許される状況でない。 招待客の全てがテメレール公の部下ではなく、神聖グステン帝国の貴族も多数いるのだ。 さて、どうするか。 私は対応に困っている。 「ああ、よく理解できたよ」 殺すか、殺さないかをだ。 まあ、それは三つほど聞いてからにしよう。 テメレール公が招待した周囲の人々は集まっており、準備はばっちりだ。 私は声を大きくして尋ねる。 「さて、君に尋ねよう。再度言うが、私はアナスタシア殿下に頼まれてパートナーとしてここにいるし、テメレール公に招かれてここにいる。貴殿は『貴方のような醜い男がパートナーなどあり得ないし、テメレール公が褒めた言葉などは嘘でしかない』と言っている」 「そうですよ。ここまで言っても判らないのですか! どこまでも――」 一つ目。 条件をクリアする。 「そしてその理由として、おそらく私の身長2m超え、体重130kg超えの容姿が気に食わない。この神聖グステン帝国においては男としてあまりにも醜い容姿を侮辱している」 「そうです。判っているならなんで――」 二つ目。 条件をクリアする。 「更に、私が領民300名風情の小領主でしかないこと。君が領民3000名の領主騎士の夫として、これは上位者として言ってやらねば気が済まない! そのように侮辱したと。私の愛する領地を『どうでもよいもの』のように扱った」 「理解しているではないか! 貴様のような醜い男を産んだ母親は何も理解して――」 三つ目。 これ以上お前の言葉は聞きたくない。 「理解しているよ。我が母マリアンヌの生前の言葉は『舐められたら殺せ』だ」 貴族の本分である。 それしかないではないか。 自分が愛した母親を嘲笑う人間に対する報復など、この世に一つしかない! 「殺すまではしないでやる」 私は最後の情けを一つだけくれてやり、少年の鼻を掴む。 一瞬、ひぃ、と怯えるような声が高らかに響いた後。 力任せに、それを千切り取った。 ぶちん、と肉と骨が剥がれた音がする。 痛みに悶える絶叫がダンスホールに響く。 「まあ、私が殺す価値すら無いだけだが。後はアナスタシア殿下とテメレール公の差配を仰ぐ」 私は凶悪な笑みを浮かべ、手に握っている鼻を地面に投げ捨てた。 鼻には鮮血と、そこから覗く白い物。 千切り取られた軟骨が見えていた。