第107話 神聖グステン帝国へ ケルン派教会。 その中央では、贖罪主の像の手に、ケルン派の象徴たるマスケット銃が飾られている。 弾薬が尽き、最後には棒切れのようにして銃で相手を殴りつけ、それこそ力の限りを尽くして異教徒に抵抗した贖罪主は打ちのめされ、ついに叫んだ。 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか)」 と。 贖罪主はケルン派の教義に従い、全身全霊で敵に立ち向かったにも拘わらず敗北し、磔にされた。 もちろん、ちゃんと三日後に復活した。 そのような狂った話を、今日の安息日の礼拝にてされていた。 もちろん、それはケルン派の嘘でまかせであり、贖罪主のおられた時代に火器はない。 当たり前の事をケルン派は無視していた。 やはり、何処か頭の大事な部分が壊れてしまっているのだろう。 私はそのような事を、ファウスト様に口にしたが。 「人生の輝かしい面を見よう」 などと漏らすばかりで、てんで相手にしてくれない。 このマルティナ、ケルン派には確かに恩がある。 だけど、狂った部分には目を背けずに生きていきたいのだ。 私はいつか、この狂った宗派に恩返しと、その狂気的思想に対する批難を行いたい。 もちろん本を書くことで、だ。 「さて、信徒マルティナ、信徒ファウスト、本は無事書き上げられたようで何よりです」 「神母様。本当によろしかったのですか?」 ファウスト様が、眉をしかめて呟く。 話しているのは、私たちが書いた本について。 『銃・砲・騎士』に書いた内容についてであった。 「私とマルティナは、勢いで本を書き上げた後に気づきました。やはり、ケルン派の火薬の材料である硝石の生産方法について触れるのは拙いのではないかと」 書くべきではない。 私もファウスト様も、ケルン派には恩があり、信徒である。 その利益を損なうような、恩知らずな真似はできなかった。 なので、神母様に少しばかり話したのだ。 一応は打ち明けるが、すでに削除することを考えていると。 回答はこうだ。 「構いません。書きなさい。貴方たちが自らそれを知ったならば、それを掣肘することをケルン派は望みません。それに、ある程度推察できたなら、これもまた理解できるでしょう。今まで築き上げてきた硝石の厳密な生成方法、醸成場の数、高品質な火薬を作り出すための方法。ケルン派が作り上げた知識の結晶の全て。それらを貴方達二人は知っているのですか?」 「……要するに、もはやケルン派のアドバンテージは揺るがないと」 なるほど、硝石を造り出すことが可能になれば、価格の低下が発生する。 だが、ケルン派の真似事が出来るようになるまで、どのくらいの時間がかかる? 何年か? 何十年か? それとも世紀か? その間に、ケルン派が次の段階に移行しないとでも思っているのか? 神母様は、もはや勝負は終わっていると明示した。 「当たり前のことを話しますが。この神母とて、硝石がケルン派により産み出されていることは知っていても、詳しい内容までは知り得ていません。その機密をケルン派から盗み出すことは不可能です。本当に知りたい重要なことは、多くの時間と莫大な費用をかけることになります。そして何より、このケルン派の聖職者たる私に報告したことで、貴方達の誠意は理解しております。司教様は必ずお赦しになるでしょう」 以上のような回答。 そうは言われても、気は咎める。 ファウスト様とて、そうは言われても教派における最高の機密であると考えた。 悩んだ挙句、ファウスト様は具体的な生成方法に関しては、ある程度省くことを選択された。 妥協案である。 私たち二人の後ろめたい気持ちとはよそに、神母様はどうということもなく呟く。 「そうそう。あの件については司教様に報告させて頂きました。おそらく、後は良いように司教様がやってくださるでしょう」 「司教様に?」 ファウスト様は怪訝そうな顔をされるが、私は理解する。 「……交渉材料?」 「今後はそのように扱われるかと」 要するに、ケルン派の火薬という技術は、もはや金銭で売り買いできない程なのだ。 金塊や硬貨などという金銭の段階ではなく、より高度な条件。 それは今後の皇帝への影響力、及び宗教的地位、より広大な司教領、或いはケルン派が帝国内火薬流通の全てを支配する許可、それらに深くかかわるように思えた。 ケルン派にとっては、おそらく最後を手に入れられることが一番望ましい。 いつか独占できなくなる技術を、今の段階で皇帝陛下により認められ、その功績に対し得られる報酬を確定させてしまうのだ。 「私たちがあの本を一冊書いただけで、そのような事になるのでしょうか?」 ファウスト様の疑問。 「確定ではありませんね。ですが、アスターテ公爵の動きが種火となり、大きなうねりが発生する可能性は少なくありません。こちらから売り込むのではなく、相手側に欲しいと嘆願させたいのが本音です」 深く、考える。 『銃・砲・騎士』は、まずアスターテ公爵の手に届けられた。 アスターテ公爵には、リーゼンロッテ女王陛下に献上する前に読んでもらうよう伝えている。 本を読んだからには火器の未来について考えを一致、場合によれば、より高度な考察に到達するだろう。 あの変態公爵の能力は高い。 まずは、硝石の生産方法が書かれていることに、そのケルン派の秘密に触れていることに気づくであろう。 アンハルト王族として、リーゼンロッテ女王陛下やアナスタシア第一王女と知識を共有するよう動いてくれる。 そして色々と考えた後に、おそらく目の前の神母と同じ考えにたどり着く。 この本は、知識は、神聖グステン帝国の皇帝陛下や他の選帝侯に対し、何らかの凶悪な武器、取引、交渉材料になり得ると。 ……アスターテ公爵から何らかの情報を得た者は、ケルン派に対して交渉を開始する。 その技術を得るために、アスターテ公爵に支払った代価以上のものを用意してだ。 なるほど、私の考えは浅かった。 眼前のケルン派神母とは、人生経験という明確な違いがあった。 ファウスト様は内容を理解し、少々渋い顔をしておられる。 「あの本が、そこまでの事態を引き起こすものだろうか?」 正直、そういった事態になるとは思えない。 ファウスト様は、話の流れ自体は理解しても、実現についてはあまり信じていない様子で呟かれた。 目的を言えば、私のために協力したものであり、それ以上の事は望んでいない。 私にとっても立身出世のため、この能力のアピール材料に過ぎなかった。 だが、ケルン派は何らかのうねりを引き起こすと考えているし、私もそのように考え始めている。 あの本には、確かに軍事技術発展のありとあらゆる課程と実現方法について。 そして、ファウスト様が漏らした幾つかの、最終回答的な技術について書いたのだ。 「あり得ますよ。読む人間はアンハルト王族です」 リーゼンロッテ女王陛下は非常に理知的であり、その技術を知り得たならば、アンハルトのために全てを利用することを考えることができる傑物である。 そして、それは自らが利用するだけでなく、他者に売るという発想もできる方だ。 神母から言われねば、気づかなかったことだが。 「アスターテ公爵が、リーゼンロッテ女王陛下が、アナスタシア第一王女が。あの三人が『銃・砲・騎士』の内容を否定せずに受け入れてくださったなら、実務者としてどう利用するか? すぐに行動を開始します」 その行動の先は。 取引相手が、神聖グステン帝国の皇帝陛下という事が有り得た。 最も高く売りつけるならば、最高権力者だ。 「まあ、その結果がマルティナに返ってきてくれるならば、何でもよい」 ファウスト様は、あまりにも上の話過ぎて、考えるのをやめた。 どうも自分の能力をある程度見限っており、上の事は上に任せるという方針で動いているが。 すでに、状況はそれを許さない。 「ファウスト様、それではすみません。私たち二人は――」 「本の著者がいてくれるなら、その口から本以上の内容を聞ければ、より良い。帝都に招かれることになるでしょうね」 神母様が、私の考えを肯定する。 なんでこんな辺境、ヴィレンドルフとアンハルトが睨み合う最前線の弱小領主にいるのか。 謎極まる彼女は、あっさりと呟いた。 「妄想が過ぎます」 ファウスト様は一笑して、かき消した。 あくまで否定的である。 皇帝陛下に拝謁する機会が与えられるなど、一生をかけてすら有り得ないと考えているのだ。 「……」 私といえば、少し困る。 確かに名声を得たい、立身出世したい、そのように考えてはいる。 だが、それはアンハルト領邦内でであり、もし可能であればファウスト様との子が欲しかった。 別に帝都に行きたいわけではない。 だが、覚悟はしておくべきであった。 「ファウスト様、アナスタシア第一王女殿下は、そろそろリーゼンロッテ女王陛下から選帝侯の地位を継承します。継承式のために出向く際、帝都へ随伴することになる可能性がありますよ」 「断るぞ。何が悲しくて、やっと領地に帰ってきたのに帝都に行かなくちゃならないんだ」 覚悟を求めるが、そもそもファウスト様は領地からあまり出たくないのだ。 封建制度の双務的契約として仕方なく軍役をこなし、嫁を手に入れる必要があるので仕方なく貴族関係を作ろうとしている。 悲しいぐらいに引きこもりであった。 だが、翻意を促さなければならない。 材料を一つ、思いついた。 「ファウスト様、遊牧騎馬民族国家が攻めてくると宣言し、ゲッシュを誓った事、まさか忘れておりませんよね」 「自分の命をチップにしたのに、忘れてるわけないだろ」 ファウスト様は、手をひらひらとさせながら、軽く笑う。 「だがなあ。私ができるのはあそこまでであって、ゲッシュですら大分無理をした。ここから先は上の人間がやるべきであり、私が出来る事などは無いよ」 「皇帝陛下への拝謁し、直言する機会があるかもしれません」 私が指摘すると、ファウスト様はひらひらとしていた手を顎にまわし。 少しだけ考えた後に、呟いた。 「私はそのような事が出来る身分ではない。何を考えているんだ、マルティナ」 「いかにすればファウスト様を死なせずに済むかを考えております」 どうも、ファウスト様がゲッシュを誓おうと動かれた際に。 私としては、ファウスト様が本心からそう思い込んでいるだけとしか思えなかったが、最近は違う。 ファウスト様は、自らの確信について、何らかの回答や知識を得ているからそうした。 そのように思えてならない。 「ファウスト様、今の私はファウスト様のゲッシュに意味が無いとは思っておりません。おそらく、何らかの確信があってそうされたのだと思います。ですが、ファウスト様に尋ねます。かつてこの私に、遊牧騎馬民族国家が如何に強力かを説いたことを覚えておられますか?」 「むろん覚えている」 「ならば、何故自らが発言しようと思わないのですか」 この人は帝都に連れていくべきだ。 私は自身のためではなく、ファウスト様と、それが愛しているポリドロ領民。 ファウスト様の御母上であるマリアンヌ様と、私の母カロリーヌの墓。 全てがあるポリドロ領を守るという、そのためには帝都に行く必要があるように思える。 「はっきり言います。ヴィレンドルフとアンハルト、その両国をもってしても、私の考えでは神聖グステン帝国からの強力な支援無くしては勝ち目がないでしょう」 「だろうな。それは判る。だがなあ、私に何が出来る? 皇帝陛下に拝謁するなど不可能だ」 「ファウスト様は、リーゼンロッテ女王陛下たちが何とかしてくれるだろうと。そのように考えておられるのでしょう。確かに動いてはくれるでしょうが、ファウスト様とて助力すべきです」 確かに、可能性はゼロに近いだろう。 ファウスト様はアンハルト王国にて訴えるのが限界と考えているが、それは違う。 この人ならば、それが可能であると思われた。 だって、ファウスト様は、このマルティナを生かすという無理難題を成し遂げている。 運命というものがこの世にあるならば、それすら左右できる人だと私は確信している! 「ファウスト様、マルティナは騎士見習いとして訴えます。もしアスターテ公爵から誘いがあった場合、それを決して断らないようにお願いいたします。従士長のヘルガや領民は反対されるかもしれませんが、それでもです」 「マルティナ、私は」 「私と一緒に行きましょう」 うーん、と。 ファウスト様は怪訝な顔をされ、少し悩んだ後。 まあいいか、と割といい加減な口調で呟いた。 「死ぬまでに、一度帝都に行ってみるのも悪くない。辺境からやってきた、マナーも知らない人間だと馬鹿にされねばよいが」 「馬鹿にされたらどうします?」 「ぶん殴るよ。相手を侮辱するというのは、領主騎士が背負っている領地と民と先祖を侮辱するとは、どういう事なのかを相手に理解してもらわねばならん」 ファウスト様は領主騎士として、どこまでも正しい。 そして、割と無茶苦茶なのだ。 帝都に赴いてもこのような調子であろうし、そして、この人ならば何かを帝都でも成し遂げられるだろう。 そのように考え、私は少しだけ笑った。 第五章 完