第98話 戒律と告解 ケルン派の木造教会にいる。 清掃だけは毎日キチンとされているのか、教会内は埃一つない。 視線の先には、何代使ったかも判らない年季の入った彼女の像――神の子が磔にされた、贖罪主の等身大の像が飾られている。 もちろん、場所は教会の中央であり。 その贖罪主の手元には、ケルン派の象徴たるマスケット銃が飾られていた。 ――色々言いたいことがあるが、それは辛うじて抑える。 贖罪主が磔にされている手に、なぜマスケット銃を握っているのか。 そのどうしても口にせざるを得ないツッコミを堪えたのだ。 マスケット銃の以前は、どうせメイスか何かの武器だったんだろうとか。 そういった事も口にしなかったのだ。 私の堪忍袋は酷く大きいものだと思われた。 鎧戸から差し込まれる採光は美しく、椅子に座る神母を照らしている。 「さて、信徒マルティナに、ケルン派の戒律について話しましょう」 「はあ」 ファウスト様は、ここにおられない。 今頃は剣を振ってらっしゃるだろう。 一度、ケルン派の戒律について信徒として知っておくべきであると、私を教会に送り出していた。 私はケルン派の戒律なんぞ知りたくないのだが。 そもそも、割といいかげんなファウスト様と違い、私はちゃんと聖書に目を通している。 「この世には多くの宗派があります。貨幣を蓄積することを悪徳と呼んだり、人間の社会的上昇を悪徳であると見なしたり、社会的栄達のために書物を読み、時には聖書を持つことすら許されないと火にくべて灰にしてしまった聖人もおります。もちろん彼女たち宗派には、彼女たちのちゃんとした言い分があるために、そうしているのです」 とはいえ、ファウスト様の指示に逆らうわけにもいかない。 何度もいうが、私を破門状態から解除してくれたことにおいては、本当にケルン派に感謝もしていた。 だからまあ、おとなしく話自体は聞くこととしよう。 「ケルン派には、その宗派を否定する気はありません。清貧には清貧であることの意味はあります。私欲を捨て、正しい行いのために生きる。神の摂理の元に生きること。それをどうして批判できましょうか」 そうはいうが、ケルン派は実のところ貧乏ではない。 このポリドロ領では質素な生活を送っているかもしれないが、司教区には巨大な工房都市があり、神聖グステン帝国中に武器を輸出している。 膨大な収益を稼いでいるのだ。 もっとも、ケルン派はその収益全てを新たな武器開発に注ぎ込んでしまうのだが。 「利益の追求と資産の蓄積、それ自体は一見すると悪徳でありましょう。ですが、人はパンのみにて生きるにあらず。我ら聖職者とて、序列はあります。かつて、ある聖人が考えました。誰かが貨幣を蓄積すれば、誰かが貧しくあらねばならないと。ならば、私が貧しくあろうと。それは精神自体は尊い考えでありますが、同時に間違いであります。アンハルト王国を例とすると、貨幣鋳造権を持つリーゼンロッテ選帝侯が、アスターテ公爵領から採れる銀を元手に加工をはじめ、銀貨の貨幣数などの総量は近年格段に増えております。もちろん、人々が口にするパンの量とて増産が進んでいるのですよ。富とパンの供給は、彼女の善政により、多くの手の元に届くようになりました」 神母様の言葉を適当に聞き流しながら、その知識について考える。 どうも、蛮族の集団と母カロリーヌなどからは言われていたが、ケルン派聖職者の見識は高い。 かつての我がボーセル領にいた司祭様と、眼前のポリドロ領神母の知的水準はほぼ変わりないのではないかとも推測されるのだ。 「この私の言葉などは、屁理屈の類に過ぎないと思われるかもしれませんが。事実上、現在の宗教などは金融や商人職との宥和は進んだといっていいでしょう。多くの幸福のために、ありとあらゆる手段を模索していくのが本当に最善の道と呼べるのではないかと、神の言葉でなく、この神母としては考えます」 「神母の個人的な意見ということですか?」 合いの手を入れる。 私はここに、ケルン派の戒律について聞きに来たのだが。 「そういうことになりますね。信徒マルティナ。私は先代領主マリアンヌ様と一緒に、このポリドロ領で領地の発展に尽くしてきました。外からもたらした知識として、私はこのポリドロ領に御用商人として来られるイングリット殿とも話し合い、時にはマリアンヌ様の横に立って、価格交渉などを論じたことすらあります」 「それは」 聖職者のする仕事ではないと思うのだが。 まあ、世の中には騎士の魂である剣や鎧を質草にとる、無茶苦茶な教会もあるにはあるそうだが。 要するに事実上の金融業を営んでいる教会も、確かに存在する。 「若い頃には農作物の種類を指定したりもしました。オリーブを持ってこい。この温暖なポリドロ領ならば気候的に可能なんだ。ついでに値段だ、安くしろ。まあ酷く無理を言ったものです」 「聖職者として、それが正しい行いだと考えておられるのですか?」 疑問を呈す。 聖職者として、封建領主の相談役の立ち位置としても出しゃばりすぎである。 「では、間違った行為だとでも?」 「……いえ」 神母が優しく微笑む。 別に、間違っているとは思わない。 このポリドロという追放者が起こした村の、そのルーツを考えれば、知恵を持った最新の領土改善策を指摘できる人間は金貨より貴重である。 それが目の前の人物であった。 民衆に近い立ち位置を横で歩き、やってる事を完全に否定もしがたいケルン派という宗派を信じることができたのは、何よりポリドロ家にとっては幸せだったのだろう。 「信徒マルティナ。私はマリアンヌ様と非常に親しい立ち位置であり、このポリドロ領のルーツすら知っているのですよ。先に憶測を抱き、それを示唆したのは私でしたがね。貴女は?」 「どうせ気づいてしまうだろうから、と先にファウスト様から教えて頂きました」 私は戒律を聞きに来たのだが。 いつの間にやら、二人してポリドロ家の話をしている。 少し、怪しい。 私は現在の状況について、疑心を抱く。 「それは羨ましい。私などは、全てを知るまでに3年かかりましたよ」 「ですが、神母様はより多くの事を知っておられる。ファウスト様や、先代マリアンヌ様の事など、私はあまり知りません」 「そうですかね」 少し、警戒しなければならない。 眼前の彼女は頭が非常に良く、ケルン派の蛮族神母などと馬鹿にして良い存在ではない。 この女、共通の話題で私の心を解き解そうとしている。 「私は、領主であるマリアンヌ様のことを気が触れてしまったなどと誤解する領民の心を、改めさせようともしなかった聖職者です。その罪は重い」 自分の弱みを見せて、警戒心を解くのは会話における常套手段である。 話が最初の趣旨からずれているのであれば、猶更だ。 「ファウスト様から以前お聞きしました。それにより推測を積み重ねました。マリアンヌ様がファウスト様以外の子を産もうとしなかったのは、嫡女が生まれてしまっては、ファウスト様の未来が押し潰されるからと」 相手が呟こうとしている台詞を先に口にする。 常に先手を取っておくことが、この手の輩には通用しやすい。 「私は、マリアンヌの告解を受けました。私は今から地獄に落ちるつもりである。それでも構わないとすら思っている。神の子からの贖罪はいらない。私は私の悪徳を果たすと。天稟の才を持ったファウストという子が可愛く、この子に領地も財産も技術も、自分の全てを与えてあげたい。故に他の子など作らぬ。私は領民の期待も、青い血としての領分も裏切ってしまうのかもしれぬ。それでも私は悪徳を行うと」 沈黙。 私の先手は、話の転換によって、あっさりと潰された。 いや、そんな事はどうでもよい。 この女、他人の告解を口にしたぞ、今!? 目を剥いて、眼前の神母を睨みつける。 「私は今、告解の守秘義務を犯しています。それはケルン派においても、破門と追放に値する罪となります」 神母は、私の視線に対して平然と応じた。 状況を完全に支配していた。 「今回で二度目となります。以前にも一度口にしている」 何を考えている? 怒りを越して困惑を抱き、ケルン派という異端的存在を見つめる。 「つい先日、ファウスト様に泣いて縋られました。懇願されたのです。教えてくれ、母が何を考えていたのか全て教えてくれ、と。今の私にはそれが必要なのだ、と。何度も何度も頭を下げ、血が出るほどに床に額を擦らせて、泣きながらに頼まれました。私は破門すら恐れずに、告解の守秘義務を犯して、全てを告白しました」 判断に困る。 今、目の前の聖職者が犯している禁忌と、会話の内容がぐちゃぐちゃになる。 何がしたい? 何をどうなって、そのような事を単なる騎士見習いに話す。 何故、ファウスト様は今になって、母の告解を聞き出そうとした。 「私は悪いことをしたとは思うものの、まあそれで破門されるのも地獄に落ちるのも構わない。そのように考えています。ああしなければ、信徒ファウストという子は死ぬまで救われないままだった。小さな頃から知っている、あの子の人生を壊すぐらいならば、私が地獄に落ちてしまえばいい。そのことを親友たるマリアンヌと私は共有していました。信徒マルティナも、この行いを宗教組織や信徒への裏切りと考えるのであれば、アンハルト王都の大教会に手紙でも送ればよろしい。私はその裁きにおとなしく従いましょう」 何故。 その思考で脳内が埋まる。 正直言って、あまりにも突然すぎた。 この聖職者、何を言いたい。 「信徒マルティナ。私は悩みました。このような事を口にして良いか、酷く悩みました。貴女を大事にする、貴女を守ってきた全ての人間が、全員揃ってそれだけは止めてくれと泣き叫ぶような行為をする事を。ですが多分、ファウスト様がずっとあなたの事を心配なさっているように、貴方はいずれ気づいてしまうのです。だから、その心に抱えた火薬を爆発させるなら、同じ苦痛を知るファウスト様が横にいる今をおいて他にありません」 苦渋。 顎が割れ、口内に溢れ出す血を飲むような表情をしていた。 目の前の神母の会話を整理しろ、マルティナ。 私ならばそれができるはずだ。 「ケルン派という宗派の戒律について話をするよう、ファウスト様には頼まれました。ですが、それは今ではありません。先に、貴女の問題を解決することが優先であるように考えました。信徒マルティナよ、考えるのです。この問題だけは、この問題ばかりは、貴女を守ってきた全ての人間のために、自分自身で気づかなければならないのです」 神母は、今までの言葉に全ての意味を込めた。 具体化すれば三点。 彼女は戒律の話をキャンセルし、告解の守秘義務を犯し、その最後に破門を犯してまでも優先せざるを得ぬ物があるという言葉を込めた。 これで、賢い貴女ならば、何もかも気づいてしまうという意味を込めて。 「信徒マルティナ。領主館へと帰りなさい。その頃には貴女は全てを知っているでしょう。貴女という存在に揺り動かされ、貴女をこの世界から守ろうとしてきた全ての人間の想いが。悲しい人々の叫びが」 背中を押される。 全ての問題を投げかけ、それで自分の役目は終わったとばかりに、教会から追い出される。 教会のドアは、優しく閉じられた。 もし静かにドアをノックすれば、それは再び開きそうなほどに。 だが、それは躊躇われた。 「神母は、自分自身で気づかなければならないと仰られた」 ならば、自分で考えることにしよう。 ファウスト様が待つ、領主館へと歩き出す。 思考は止まらない。 神母が投げかけた言葉の粒々。 おそらく、これは神母が私に対してあたえたテストなのだ。 ひとつ、悪徳の話。 残念ながら、悪徳を犯さなければ、人は時として何かを得られない。 ひとつ、富とパンの話。 それが分け与えられる量は増えど、未だ全員に対してではない。 ひとつ、改善のためのありとあらゆる模索について。 聖職者さえも、その手を望んで伸ばすことがあることについて。 ひとつ、ポリドロ家のルーツ。 より詳しく言うならば、知っているものと知っていないものとの違い。 ひとつ、告解について。 神母ならば知り得た事について。 聖職者ならば知り得た事柄について。 ひとつ、告解の守秘義務を犯すことについて。 この世の中には、地獄に落ちても、破門になってでも、目の前のそれを優先することがあることについて。 ひとつ、本当は誰もが望んでないことについて。 マルティナという私こと9歳児がいつか気づいてしまうそれが、訪れたことについて。 ひとつ、教会のドアについて。 かんぬきを掛けられたわけではない。 ドアは何度でも開くことができる。 考えよう。 これはリドル(なぞなぞ)であり、神母が言うには、もはや私の人生では避けられなくなってしまった事なのだ。 ならば、受け止めようではないか。 それより、何より。 多分、私が今考えていることと、神母が告げる気づきかけていることと、それは。 実のところ、一致しているような気さえしたからだ。