第95話 ポリドロ家と領民の出自 模擬戦が終わり、領民がそれぞれに帰っていく館への帰り道で。 ふと、横の畑を眺めた。 豆科の植物が栽培されている。 農耕に適した土地とするためには、土に埋もれた石を掘り起こし、農具にて耕すだけでは足らない。 休耕はもちろん必要だが、大麦や豆類、野菜を輪作することで土壌を改良していかなければならない。 肥料もいる。 この数世紀をかけ、食料生産性はめっきり向上した。 単位面積あたりの収穫量は着実に増加している。 私の視線に気づいたのか、ファウスト様がその巨躯を折り曲げてしゃがみ込み、畑の土をぎゅっと握って持ち上げる。 土は、簡単にほぐれていった。 ファウスト様の、その手から零れ落ちていく。 「良い土だろう」 荘園制度、農民と領主の関係を規定するそのシステムは、領地の大小によって違う。 領地の大きさにまかせ、そこから入る莫大な地代から遊び惚けている貴族もいるし。 その逆に、小領主であるファウスト様のように、その畑の土を自分で握って確かめる様な貴族もいる。 だが、もはやボーセル領を失ってしまった元領主騎士の嫡女。 このマルティナには農業など必要のない知識だ。 もはや地代を得るのではなく、王家から給金を貰って働く騎士にすぎない。 それはファウスト様にも、よく判っているだろう。 折り曲げていた身体を伸ばし、また呟く。 「我々、ポリドロ家と領民が数世紀掛けて耕した土地なんだ」 教会での話を思い出す。 初代ポリドロ卿は、開拓者であったと聞く。 農耕可能な土地ではあったのだろう。 森もある、山もある、水もある。 なれど、一からのスタートだ。 戒律や聖句すら覚束ない少女が一人いるだけの、神の庇護すらない開拓団のスタート。 果たして、そのような事があるのだろうか。 ファウスト様は村内に広がる畑を眺めながら、ふと呟く。 「外聞が悪い事を、少し話す。我がポリドロ家の話だ。できれば黙っていてくれると嬉しい。これを話すのは、マルティナもしばらくこのポリドロ領に住む以上、何時かは気づいてしまうことだろうから」 私の目の前には、広大な畑を前に立つファウスト様が映っている。 「例え気づいても、そのような事を口にして領民を傷つけたりしないで欲しいからだ。賢いマルティナなら、そのような事はしないと判っているんだが」 その前置きがあるのは、少しばかり私も想像していた内容を話すからだ。 アンハルト王家すら知らない事を、ファウスト様が話すからだ。 おそらくは、ポリドロ家と領民の出自について。 「誰にも言いませんよ」 それはすでに察していることを、ファウスト様に伝えた。 アンハルト王国は、ヴィレンドルフは、その国土の境界となる地を奪い合う小規模戦争を行った。 だが、それが起きるまで、ポリドロ家とそれに従う民の一団がこの地に住んでいる事は、どちらも知らなかったのではないか。 誰も知らない、つまり領邦から何の援助も無い、そんな集団。 その境遇など知れていた。 「我々は追放者である」 領邦から追放された人々だ。 街や村、集落、そのどれか。 おそらくは城塞都市に入れない、その都市周りに掘っ立て小屋を建て、日雇いでその日を食い繋ぐような。 そして何時かは動けなくなって、病気や飢えで死ぬような人々。 「過ちを犯して追放されたのかもしれない。口減らしのため追放されたのかもしれない。それ以外の何かかもしれない。だが、何らかの理由により集まった追放者の群れだったんだ」 ファウスト様は朴訥である。 なれど、時に熱を帯びた言葉を口にする。 今は明確に熱を帯びていた。 「最初は30人いたらしい。男は1人もいなかったが。要するに、後先の事など何も考えていない。ただただ、その先に明るい未来など何も見えない追放者の集団だったんだ。当然、その中には神母すらいなかった」 「聞きかじりの聖句くらいは、覚えていた人がいたんでしたっけ」 「ああ。追放者なので皆、学など無い。文字すら読めなかったんだ。まあ、その初代ポリドロ卿時代における聞きかじりの者は、後日とはいえ本当に聖職者になったんだが」 ケルン派の教会が、その聞きかじりの聖句しか呟けない女性を宣教師として認めてくれたんだ。 ファウスト様がそう呟いて少し微笑み、当時告げられたと思われるケルン派の回答を読み上げる。 「我々は貴女から見出された真実で尊いものを何も退けない。その精神的真善美をもってして、汝がその命と身をもってケルン派へと永遠に加わる事を望む。貴女が我らの元に来てくれたことを認めたのに、我らが平和と喜びを貴女にもたらさない様であれば、我らは自らにそれを罰しよう。そして混乱や戦乱が汝らの共同体を脅かすのであれば、その防衛のための手段を我らは与えよう。それこそがケルン派の精神そのものである。汝をこれより宣教師として認める。おそらく汝が今まで歩いてきた困難の全ては、汝が聖職者として認められるためにあったのだ」 子々孫々伝わっているのだろう。 一瞬、良い事を言ってるなと思った。 裁判を受ける権利すら停止され、神や法の庇護を得られぬ者達。 平民や農奴ですらない者達。 領地の開拓とヴィレンドルフとの戦争により、アンハルト選帝侯に地位を認められた初代ポリドロ卿の下とはいえ、ろくに文字すら読めぬ、追放者の一人に過ぎなかった者を聖職者として認める。 それは甚く大らかであり、彼女達が信じる神に向き合った真っ直ぐな回答と言えた。 だが、ケルン派が与えるのは戦棍であり、チェインメイルであり、クロスボウであり、今はマスケット銃であった。 私のように破門された者にすら神の庇護を与える一方、その共同体を脅かす者への手段は酷く直接的であるのだ。 頭が可哀想だとしか言えないだろう。 「キエエエエエエエエエエエエ」 猿のような叫び声と、大木をメイスで殴りつける打撃音が聞こえている。 領主館に戻ったとたん、あろうことかファウスト様を追い抜かして、また昼間に訓練をおっぱじめたのだ。 単刀直入に言うが、死んで欲しかった。 我らの行動を司るといわれる脳肉の何処かが、病魔に侵されているとしか思えないのだ。 「もちろん、私個人としては彼女達のことを頭が少しばかりおかしいと思っている。領民もちょっとアイツラ頭おかしいんじゃないかと思っている。もちろん彼女達の前で、そのようなことは口にはしないが」 さらっと自分と領民の意見を呟くファウスト様。 そうですよね。 「だが、それはそれ、これはこれとして。とにかくケルン派は信徒に対して聖職者として驕ることなく、本当に隣人となっている様な、甚く情け深い性質を持っている。その戒律はまあ聞けば聞くほどに酷いが。古くは戦棍を振るう事こそが、主への祈りに値すると考えられていた」 「あれ、ファウスト様へのアピールだけじゃなく、主への祈りでもあったんですか」 何がどうしてそうなったのだろう。 多分経緯はケルン派すら覚えていないのだと思われる。 記録に残っていたとしても、特に知りたくはなかった。 というか、何の話をしていたんだっけ。 「すまない、話が酷くずれた。馬車が横転して畑の泥に埋もれるほどのズレ方だった」 「ケルン派が悪い事にしておきましょう」 だいたい何でもかんでも基本、ケルン派が悪いのだ。 「話を戻そう。ともかく、我らの先祖は追放者だった。町や村を様々な理由で追放され、アンハルトの王都の平民ギルドの親方に日雇い仕事で雇われ、その日に虫の湧いたパンでもありつければ幸せという有様だったと聞く」 黙って話を聞く。 「そんな日々を生活する中で、ある者が言いだしたよ。我らはもはや人としての価値など与えられていない。嘲弄され、辱しめられ、唾された。我らの聖地など、この世の何処にも存在しない。我らの故郷など何処にも存在しない。天国や地獄すら無いだろう。せめて、自分たちの村が欲しい。自分たちの国を作ろう。ここに居ても未来は無い。何処に行っても未来は無いだろう。ならばせめて、好きな事をして死のう。埋もれる墓すらないならば、空腹を抱えた犬に遺骸を食われても、何も変わりはしないだろうと」 「それが初代ポリドロですか」 「そうだ。貴族家門名どころか所属する村の名前すら名乗れない女。ポリドロという、ただの一人の女がそこにいたんだ」 ファウスト様は、こちらに振り返らない。 ただ広大な畑を眺めている。 「最初は誰も応じなかったよ。誰一人として応じなかった。だがなあ、どうせ死ぬんだよ。公的には存在すらしていないのが我らの先祖だった。先ほども言ったが、その日のパンにありつけるならば幸せな方だったんだ。初代ポリドロは――余程魅力的な人物だったんだろうか。やがて、幾人もがポリドロに従うようになった。30人が揃って新天地を求めた」 「そして、辿り着いたのがこの領地ですか」 この時点で、色々と良くない事が思いつく。 「無論、普通の方法では辿り着く事すらできないだろう。まあ、ロクでもない事をしたんだろうな」 いくつかの犯罪。 日雇い仕事の途中、窃盗を度々働いたぐらいでは足りないだろう。 食料を得るために、もっと重罪を犯したか。 ここは王都から遠い辺境の地だ。 旅の路程でも、多くの罪を犯しただろう。 「我らポリドロ領のルーツは罪人の末裔ということになる」 「ファウスト様。そこら辺は気になさる必要は無いと思いますが。貴族など実のところは、その地方で一番強かった山賊の末裔にすぎません」 ファウスト様を慰める様に、あえて笑い飛ばすように吐き捨てる。 「まあ、そうだな。暴力は全てを肯定する。私とて、そのルーツで自分らが罪人の末裔など卑下する事は無いし、先祖の罪を背負おうなどとは、欠片も思ってはいないさ。阿呆らしい事この上ない」 ファウスト様も、同様にあっけらかんと言葉を返した。 「だがなあ。領民は誰もが知っているんだ。30名の追放者が、何人も路程で倒れ、その死体を見捨てながら、この領地まで歩いてきたことを。この領地を開拓するにあたって、悲しい程に何もなかったんだ。道具がなかった、知恵がなかった、技術がなかった、超人などいなかった、ポリドロという名の一人の指導者がいて、聞きかじりのケルン派の戒律と聖句を覚えた一人の少女がいて、それだけだ」 「ポリドロ領民が、ポリドロ家に忠誠を誓うのは」 「知っているからだ。我らが追放者だったと知っているからだ。我らは領主や村や町の支援どころか、神の庇護すらない開拓団だった。開拓するための道具など窃盗品の幾つかに過ぎず、鉄器などないから石器を使っていた。農具なんぞ無いから、棒切れと手で畑を掘り起こした。知恵や技術など無いから、沢山の農作物を枯らした。超人などいないから、獣から身を守る術など無く、最初の領民30名の内、初代ポリドロ卿が戦功により領主として認められた時には10名にまで減っていたそうだよ」 ポリドロ領民の、ポリドロ家に対する重たいと感じるまでの忠誠心。 それは、そのルーツにあるのだ。 それこそ地獄の底から這い上がって、貴族として認められたポリドロ家に従う事で、人間になる事が認められたのがポリドロ領民の先祖なのだ。 「要するに、ポリドロ領民における全てのルーツはここにある。ここが産まれる場所で、ここが死ぬ場所だ。ここしか我々とその祖先が生きてきた証は無いんだ。それは領民からもそうだし、ポリドロ家からもそうだ。同時に――はっきり言うと、大嫌いなんだ。関わりたくないんだ」 やや、あやふやな言葉。 嫌いの対象が判らないので、推測で呟く。 「それは他領の事でしょうか。他の貴族や、その領民に対してでしょうか」 「その通りだ。領民が死んでも良いと忠誠を誓っているのはポリドロ家に対してであり、王家などではない。世間体こそ多少は踏まえるが、正直なところは他所の貴族に糞ほどの敬意も感じていない。恨みに思っているわけではないし、その筋合いも無い。鉄は欲しいし、技術は欲しいし、栽培する農作物は欲しいし、王都からケルン派の神母は来て欲しい。血が濃くなりすぎると未来が絶える。男を他所の村に出し、代わりに男を受け入れる――要は交換婚の類だな。それも嫌々ながらにする。面子のためには、私が他の貴族から認められるために青い血の女性を娶る事も必要だろう。それらは仕方ないと認めるが、それ以上は嫌なんだ」 とてつもなく暗く、重い。 ファウスト様が私に対して、総てを詳らかにしたのは失敗ではないかと思う。 確かにいつかは気づいたかもしれないが、あまり聞きたくない話であった。 このような重たい領民たちを目の前にして、かつてファウスト様の尻を揉んで、ポリドロという領地を代表する尊厳の全てを侮辱したアスターテ公爵はよく生きてたなと思う。 その場の勢いで殴り殺されても、別に不思議じゃなかったのではなかろうか。 まあアスターテ公爵を殺したらポリドロ領が滅んでたので、最後の自制が効いたんだろうが。 というか、謝罪金いくら毟り取られたんだろう。 銀貨30枚くらいか? 聖人を売って、新しい畑を買うぐらいの金は取られたであろう。 そのような事を考えるが、少し気になる事がある。 「私に対しては?」 私は領民から、冷たい視線など浴びた事が無い。 ケルン派はちょっと頭おかしいと思うが、領民からは悪意を感じた事も無く、皆が優しかった。 「まあ――私が騎士見習いとして認めたというのが大きいが、そもそも我が領地の領民は、破門され拠り所を失った9歳の少女に嘲笑を浴びせる程に愚劣ではないよ。少なくとも私はそう信じている」 「おそらくはポリドロ領の人達の先祖も、かつては誰からも見放された人たちだったからだ、というのはあるんでしょうがね」 「だろうな。ともあれ、ポリドロ領にはそのような事情が有る事をマルティナに知って欲しかった。この件は他言無用だ」 ファウスト様が、少々悲しい表情を見せた。 領民の優しさを信じたいのだろうが、正直言えば、私の境遇に多少の共感を寄せている点もあるだろう。 ともかく、よく判った。 領民たちは、この小さな辺境領で、小さな営みを今後も続けていきたいのだ。 ポリドロ家が指導者でないと嫌だし、日々の生活の向上は望めど、その生活を余所者に邪魔されたくない。 農業生産性が上がっても、農奴であろうが何であろうが移住を認めなどしないから、この領地は300名しか人が住んでいないのだ。 多分、この生活を阻害する者はどんなえげつない手段を取ってでも、排除するだろう。 アスターテ公爵はファウスト様を愛人にしたら、移民と資材をジャブジャブつぎ込んでポリドロ領を発展させるとかほざいていたが。 これでは無理である。 手紙にて説得すべきだが、この内容は明らかにファウスト様の秘事である。 どうにか、何らかの理由をつけて止めることにしよう。 私は全ての人が幸せになる方法について、少し頭を痛めながら考えることにした。