第93話 ファウストの欠点 ポリドロ領地内の平野。 領地から1時間ほど歩いたところまで行軍する。 小石が周囲に転がってはいるものの、明らかに人の足で踏み固められた場所であった。 良い練兵場である。 「総人数50名、集合しております!」 従士長たるヘルガ殿が、大声で叫んだ。 ファウスト様と私、領主騎士と騎士見習いの眼前にポリドロ領民50名が整列している。 従士長ヘルガ、従士4名、農兵44名――あと余計なケルン派の助祭がおり、それで50名。 規律は正しい。 目立たず、質素な服装をした女たち。 クロスボウに剣、チェインメイルにて武装したのは従士4名に過ぎず、後の44名は長柄槍や長剣を手にするのみで、服装などは野良着のままである。 武器自体、そもそも全てがファウスト様及びポリドロ家の所有物(クロスボウ5本を含め、賊から鹵獲した物が多い)であるのだが、各個人に対して平時より貸し出されていた。 あまり触れたくないが――私の嫌いな助祭であるが、チェインメイル姿にマスケット銃を携え、腰にメイスをぶらさげており、完全な戦装束そのもので神母の要素は欠片もなかった。 現在におけるケルン派の模範的武装らしい。 他に戦棍(メイス)を装備する者はいないのかとファウスト様に尋ねたが、そもそも鎧を着こんだ相手を敵に回した近接戦を想定していないから、必要ないだろと言われた。 まあ、ファウスト様が参加なされる軍役は山賊退治が主であり、ヴィレンドルフ戦役などは例外であったわけだし。 仮に戦場で出くわしても、重装甲の騎士はファウスト様が真っ先に殺しにかかる部類の敵兵であるのだ。 確かに領民が相手にする機会は無かったのだろう。 『今までは』という文句が付くが。 そして当のファウスト様についてだが、グレートソード1本があれば戦棍など必要なかった。 騎槍も戦棍も盾も要らず、ただの1本の魔法の剣さえあれば、眼前の敵を斬殺することが出来る。 もっとも、ヴィレンドルフにて魔法のロングボウを一式、レッケンベル家から借り受けていたはずだが。 はて、あれは今後どう扱うつもりなのだろうか――と考えたところで。 「いつも通り、兵を分けよ」 「総員、歩調あわせろ! 数四つ!!」 ヘルガ殿が短い言葉を叫ぶ。 それだけで全員が意図を解して、整然と四つに分かれる。 焦る事なく全員均一の速度で走り、従士が持つクロスボウを囲んだ陣形へと切り替わる。 誰一人として、もたつくような事はなかった。 基本的に、アンハルト王国において封建領主に課せられる軍役は年に40日となる。 無論、金銭や物納のやり取りによる王家との交渉、それによる増減等はあるが、年300日以上の内で週に1度の練兵をポリドロ領では行っている。 練度は自然と高くなる。 それだけではなく、前から領民を見ては思っていた事だが、一部例外を除いて体格が良い。 勿論ファウスト様のように一種の異形と言えるほどの大きさではないが、平均180cm程の背の高さにして、骨に対して締まった肉が付いているように見受けられる。 彼女達はファウスト様のためならば、死ぬことなど怖くもなんともないように思えた。 要は、そこらの兵では相手にならぬぐらいに領民個々が強く、よく訓練されており、士気が高いのだ。 アスターテ公爵の常備兵500が300まで擦り減った地獄のヴィレンドルフ戦役でも、誰一人として死んでいないのが強さの証明である。 酷く興味深い。 もちろん、それはファウスト様という最強の矛にして盾の庇護があっての事だろうが。 「――」 うん、ヴィレンドルフ戦役の最前線でその強さを眼にしたアスターテ公爵は、この辺り知りたいところだろうな。 ファウスト様の迷惑にならないようであれば、一応のスパイとして報告することにしよう。 考察を続ける。 今、ポリドロ領民は四つに分かれた。 従士1名につき農兵11名が従い12名、丁度1ダースずつで単位が構築されている。 小気味よい数字と言えた。 それに対して、ケルン派の助祭が勝手に13人目として混ざっていた。 良くない数字である。 13人目の裏切り者だ。 裏切り者の使徒がいるのだ。 何らかの手段をもって、先んじて殺すべきではなかろうか? その思考を咎めるようにして、ファウスト様が呟く。 「マルティナ、お前がケルン派のことを、あまり好いてないのは知っているが。そう睨むな。悪い人たちではないのだ」 「いえ、ケルン派はどうでもよいのです。恩だって感じております。少なくとも私を破門から守って頂いた事には強く感謝しております」 破門された。 我が母、カロリーヌ・フォン・ボーセルは、元の宗派から破門扱いとなっていた。 戒律を破った、国を裏切った、最期まで見苦しく足掻いた。 だから、仕方なくはあるのだ。 教会から墓地への埋葬拒否を告げられるまでもなく、反逆者たる我が母の遺体が土に埋められることは無い。 その反逆者の娘として、私が破門される事もまあ仕方ないと言えた。 同時に、親の罪が幼子の罪として連座する事など有り得ぬとファウスト様が激昂し、ケルン派の教会へと出向いて宗旨替えを嘆願したのも。 初代ポリドロ卿時代から領地にて強く信仰を続けているファウスト様の嘆願を受け入れ、ケルン派が当然のように私を受け入れた事も。 感謝はしているのだ、感謝は。 少なくとも聖職者から見放され、今後何の宗教的権威の後ろ盾も無しに生きていく事は避けられたのだ。 それはそれとして。 「ケルン派はともかく、あの頭おかしい助祭は嫌いです」 「彼女は、せめて練兵に参加させねば暴れるのだ。我が母マリアンヌ時代も、そのようにしてケルン派は受け流していた」 マリアンヌ様の時代は、教会にいる神母が同じように参加していたのだろう。 それは容易に目に浮かんだ。 ポリドロ家は何故ケルン派に対して、そのように寛容なのだろうか? 初代から続いていると聞いたが。 「そもそもポリドロ家と領民はケルン派以外の宗教なんぞ、知らなかったのだ。軍役を重ね、世情を知り、知識を重ねる中でようやく他の宗派の存在を知った有様らしい」 顰めた眉への返答のように、私の聞きたい言葉が紡がれる。 「初代ポリドロ卿がこの領地を開拓した際には、神母なんて存在はいなかった。神の存在など、何処にも在りはしなかった。門前の小僧習わぬ――言いなおそう。門前の少女習わぬ聖句を読む、と言うべきか。多少の戒律の一部や、聖句を覚えていた領民が居た」 「それがケルン派の物だったと」 そういえば、ケルン派の戒律を私は知らない。 何分、宗旨替えしてあまり時間もなく、ファウスト様も忙しくて時間が取れない状況にあった。 「貧しい領地ではあるが、まあ正式に神母が欲しいと領民誰もが望んだ。その悲願が叶い、いつしか王都の大教会から神母が来てくれるようになった。それが経緯である」 「だから大事にしている?」 「本当に領地が貧しい、その日暮らしがやっとの時代から根付いてくれているのだ。一緒に畑を開墾してくれていた時代すらあるのだ。大切にせぬほうがおかしいだろう。報いぬ方がおかしいだろう。もはや聖職者だから、貴族だから、農民だから、そういう次元の話ではあるまい」 まあ、判るのだが。 ケルン派のそういう在り方は好感を覚えるし、肯定もするのだ。 それにしても酷いのだ。 「キエエエエエエエエエエエエ」 キエエではない。 よく考えたら、私はあの助祭のマトモな言葉を一度として聞いていない。 奇声だけである。 悲しいくらいにそれだけであった。 それでもポリドロ領民は全員無駄口一つ立てず、歴戦の兵士のように整列している。 その中で、奇声を発している助祭。 それを咎めるでもなく、迷惑そうにするわけでもなく、平然と受け止めているポリドロ領民。 酷く非日常的な光景が存在した。 「ケルン派はみなあのような感じなのでしょうか」 「彼女は元々、貴族の出身であったと聞いている」 ファウスト様が虚偽を吐いた。 この人にしては珍しい事だ。 「嘘だと思うだろうが、嘘ではない。この世界には稀に産まれるのだ。あの第二王女親衛隊隊長ザビーネのように、社会に適合できない悪人とは言えないまでも、本性では限りなく悪に近いとしか言えない人間が。あの助祭のように決して悪人ではないけれど、何か頭のネジが吹っ飛んだとしか思えない人間が。ケルン派の戒律に惹かれてしまい、貴族の長女としての立場さえ捨てて、修道院に入ってしまう娘が」 「あれ長女だったんですか?」 「まあ、貴族と言っても下も下、貧しかったとは聞くが」 それでも嫡女としての教育を受けたとは思えない人間だが。 とりあえず、あんなんでもファウスト様に出自を語れるぐらいには知性があるのだ。 私は少し安心した。 「キエエエエエエエエエエエエ」 なんか叫んでる。 勝手な想像をするが、実家は没落したに違いない。 破門された私よりも、彼女は罪深いのではなかろうか。 「そろそろ模擬戦を始めるが、今の所マルティナから見てどうか?」 「どう、と言われましても」 あの叫んでる変人を除いては、欠点は特に見当たらなかった。 そもそも兵隊を動かすには、如何に士気を高めるか。 如何に指揮官や下士官の指示に従わせるか。 個々の能力はどうか。 様々の点が複合的に重なり合い、高ければ高いほど良いが、ポリドロ領民においては全てが高くまとまっていた。 勝利目的たるファウスト様の生存とポリドロ領の存続のためなら死ぬことを恐れず、平時からよく訓練されており、個々の能力も高い。 あえて9歳児の私が指摘するところなど無いのだ。 ファウスト様が懸念されている陣形については言うべきところが見られるかもしれないが、如何せん少数である。 壊れてないなら直すべきではない、というのが私の判断だ。 ファウスト様の、改善すべきと言う判断は誤っている。 領地防衛があるため全ての領民を動員できないにせよ、軍役時の兵数20〜30においては、ファウスト様の指揮下にある限りは余程の事が無い限り死なないだろう。 いや、そもそもファウスト様は真剣に答えを求めているのか? 「ファウスト様、お尋ねします。そもそも私に答えを本当にお求めですか?」 「どういう意味だ」 「ファウスト様は、時々、私に教えを与えるためにあえて発言され、同時に自分の発言に対し深く思考されてるような節が見えます。深謀遠慮のようですが、どちらかといえば自己完結型の人間によくあるそれです。会話されているようで、実のところ私の発言は、壁が自分の言葉を跳ね返してきたようにしか思っていない」 どうも自分の周囲が、自分の行動全てを基本的には肯定してしまうイエスマンが多く、ファウスト様は少し苦悩してるようにさえ最初は思えた。 だが、この人そもそも人の言う事ちゃんと聞いているのか? スープをかき混ぜる癖。 普段朴訥な姿に対して、時折興味を惹いた事には熱を帯びて発言される様。 ファウスト様には注意散漫のそれや、悪い意味での学者然とした様子が見られる。 弁護するなら、多少の自覚はあると思われるのだ。 少数を指揮する事は出来るだろう。 超人としてのカリスマ性も多少は持ち合わせていた。 だが、多数を率いる事には明らかに向いていない。 感情と理性のコントロールに歯止めが無いのだ。 ファウスト様にはその自覚があり、それを改善しようと努力もされている。 だが、この人、多分私の言葉を聞いてない。 他人からの助言が必要だと感じている癖に、いざ会話すると自己完結の気があり、他人の言葉をじっくりと聞こうとしないのだ。 「……」 ファウスト様は、黙り込む。 ほら、この人自分の都合が悪くなると黙るのだ。 ファウスト様は愚かではない。 深謀遠慮か、自己完結か、そのどちらかと先ほど言ったが、前者と錯覚させる程度には愚かではない。 たった300名の小領主にしては妙に知識が有り、頭がくるくるとは回る。 それで今までは何とかなってきたのが良くない。 領民を死なせず、眼前に発生した事件に対応し、全てを何とか切り抜けてきた。 だが、ファウスト様は本当に正しく判断できているのか? そもそもが―― 「ファウスト様、命を助けて頂いた立場のため躊躇っておりましたが、あえて発言致します。本当の貴族なら、親の罪が子に及ばぬなどと世迷い事は吐かず、私を見捨てるべきだったのです。私と初めて会った時からファウスト様は判断を間違えております」 「それだけは絶対に違うな」 そっぽを向いて誤魔化そうとしていたファウスト様が、急にこちらへと向き直る。 身長2mの巨大な体躯の目と、9歳児のちっぽけな自分の目が重なる。 ファウスト様はその目が全てを語っており、私を助けた事への後悔などは微塵も感じられなかった。 副官だ。 何度も思ったが、ファウスト様はもう副官がいないと、いつか痛い目を見る。 取り返しのつかないミスをして、アスターテ公爵に身売りして援助を要請しかねないような、そんな破綻をきたすのが目に見えている。 先代マリアンヌ様の教育が届かなかったのか、産まれついての性根なのかは判らないが。 ともあれ、誰かがこの人を助けねばならないのだ。 ファウスト様がゆっくりと私から視線を逸らし、手を挙げた。 領民兵に、命令を下すためである。 「模擬戦を開始せよ。判っているだろうが、これは模擬である。だが、失敗は死に直結するのだ。隊伍を組んで連携を取り、戦闘力を維持する事を心掛けよ。戦列を――」 そして素早く手を下ろすとともに、生き物のようにして領民兵が動き出した。 「うん、戦列? 戦列歩兵は……あれ? 私は何か大事な事を忘れていたような」 ファウスト様が、何やらブツブツと呟き出した。 また私を無視して何やら自問自答を開始した事を訝しみながら、私は大きくため息を吐いた。