第92話 ケルン派の悪影響 ポリドロ領主館の広間。 5名ほどがなんとか座れる長ベンチが、テーブルの両脇に二つ置かれている。 そこにファウスト様と私が座り、相対した席には従士長たるヘルガ殿と、他の従士4名が座っている。 ファウスト様が王領に一人残り不在であった間、私はヘルガ殿の家にて食事を提供され、鍛錬でお世話になっていた。 他の従士達とは、ヴィレンドルフに出向いたぶりの顔合わせである。 従士5名はクロスボウやチェインメイルを与えられており、純然たる戦士階級である。 闘うために専業化された戦士であった。 それぞれに与えられた家の畑については、普段は彼女達の姉妹、その家族が耕している。 こういった生活様式は小さな封建領地において、街でも村でも変わりないだろう。 「で、明日の模擬戦についてだが」 「領民は皆待ちかねております。明日もいつも通り、50名の民が参加する事となります」 パンや肉、そしてノーザンパイクなど魚肉にも手を付けながら、ヘルガ殿が答えた。 この夕食において、ファウスト様と騎士見習いの私、そして従士5名が話し合っているのは何か。 明日の模擬戦についてである。 普段の鍛錬は元より、私のかつての母カロリーヌも従士達と訓練を行っていた。 だが、平民を混ぜての模擬戦は見たことが無かった。 基本的には皆、生産者としての仕事が忙しいからだ。 「今回も、やはり陣形演習としましょうか?」 「そうなる。やはり、どうも今は上手くいっていない」 だが、ポリドロ領では週に一度、民を混ぜた大規模な模擬戦を行っている。 ポリドロ領の人々はかつて開拓団であった者たちの末裔であり、ポリドロ家がリーダーであったという話は教会にて聞いた。 そしてポリドロ領は、アンハルト王国とヴィレンドルフとの国境線が近い辺境領である。 明確な、土地を強奪されることに対する恐怖と危機感があるのだ。 この辺りは、かつての故郷たるボーセル領と一緒にしてはいけないだろう。 「何が上手くいっていないのですか? 私には判りかねます」 あまり口を挟むのは良くないが、騎士見習いとしての疑問を呈す。 かつて我が母カロリーヌはファウスト様に立ち向かい、従士領民含め70名が戦死した。 勿論恨むつもりは無いが、誰も彼もが全員死んだのだ。 対して、ポリドロ領民の戦死はゼロである。 狂ったような練度の高さであり、何が上手くいっていないのかは傍目から見て判らないのだ。 「私がそもそも根本的な間違いをしていたのが原因だ」 「というと?」 ファウスト様が眉を顰めながら、呟く。 「テルシオという陣形がある。従士5名のクロスボウ部隊を指揮官・射手として中央位置に置き、そこを槍や剣で武装した民兵が取り囲む基本陣形。まあ、ポリドロ家が軍役時に動員する兵数は20〜30といったところ。正直言えば、陣形と呼ぶには恥ずかしい程に兵数が少ない為に酷く不完全なものとなるが。ともあれ、それを採用した」 「はあ」 防御的な陣形。 基本的には遠距離攻撃を行える兵種を、長槍兵によって敵兵から護衛する陣形と考えてよいだろう。 ファウスト様のそれは時として柔軟に動く。 ヴィレンドルフへの行軍中、丁度良いからとヘルガ殿が指示して何度か陣形を変換しており、様子を見せてもらった。 各従士の命令に従って線にもなれば、縦一列にも横一列にもなる。 確かに不完全であるが、領民が速やかに動くさまは練度の高さを垣間見せた。 何が上手くいっていないのだろうか。 「私はこの陣形の採用により、領民の戦死者数が減ると見込んだ。防御的陣形が、その効果を発揮する事を祈ったのだ」 「減っているのでは?」 ファウスト様が領主代行を行うようになってから、ポリドロ領民の死者数はゼロと聞いている。 「確かに減っている。減ってはいるが、何か違う気がする。私は何か根本的に勘違いをしているのではないか、と」 ファウスト様が悩む様子を見せた。 ――なんとなく察する。 「よく考えたら、陣形を組んだは良いが、特にこの行動に意味はないのではないか。確かに死者は出ていない。だけど、陣形を最初に組むのは完全に無意味になっている気がしてならない、と」 そもそも、ファウスト様の戦闘スタイルが防御的ではなく、敵方における最強の駒目掛けて突撃する超攻撃型であるのだ。 敵の指揮官を殺し、士気崩壊を起こした敵兵を領民全員により一方的に皆殺しにする斬首戦術。 「しかし、ファウスト様。やはり死者は出ておりませんので、これを取り止めると言うのはどうかと。現状上手くいっているならば良いのでは?」 従士の1人が反対意見を出すが、ファウスト様は訝しむ。 「でも意味無い気がする。本当に意味がない気がする」 ファウスト様は、そもそも自分を卑下する節がある。 個人的武勇においては、先代マリアンヌ様から仕込まれたものである。 その武のみには絶対の自信があるのだろう。 だが、それ以外に関しては猜疑の念があるようだった。 「やはり、私は何もかもを勘違いしていたんだ。兵士は誰もが直接戦闘に固執するという偏見があった。現実は違った。皆私を見ると基本逃げるんだ。私達は逃げ惑う敵を必死になって追い回し、それを皆殺しにするという現実だけがあった。陣形なんて開戦してすぐに崩れるんだ」 身長2m超えの超人が、フリューゲルのようなふざけたサイズの巨馬にまたがり、パレード展示用のようなグレートソードを片手でぶんぶん振り回しながら突っ込んでくる。 誰も直接戦闘などしたくない。 槍兵が囲もうが一撃で穂先が容易く切断され、次に槍兵全員の首が飛んでいく姿が目に映る。 ファウスト様に接敵したら最後、一方的に惨殺されるのだ。 対策としては重装甲騎兵数名で取り囲むしかないが、それでも怪しいところがある。 あのグレートソードで殴られるのは、鈍器で殴られるのと何も変わらない。 真面目に対抗できるのは騎士といえど、クラウディア・フォン・レッケンベルのような超英傑だけである。 「若い頃の私は愚かな夢を見ていたんだ。防御的陣形を私が取れば、馬鹿みたいに直接戦闘に固執してきた敵を一方的にクロスボウで射殺できるという馬鹿げた夢を見ていた。現実は違ったんだ。皆遠くから弓を撃つんだ。全部弾けばよいだけではあるが」 ファウスト様がテーブルに両肘をつき、その両手で顔を覆う。 直接戦闘に固執するのは敵ではなく、むしろファウスト様であったというオチか。 「従士、遠距離からクロスボウ撃つ。私、突撃して敵指揮官殺す。士気崩壊した敵兵を皆で殺す。盗賊相手においては基本このパターンであったし、とにかく盗賊は必死になって逃げるんだ。腹が立つくらいに相手してくれないんだ。しかも盗賊はお金を持っていないんだ。盗賊なんて所詮は食い詰め者の集まりなんだ」 いや、まあそりゃそうだろう。 「18歳ぐらいまでは盗賊を沢山殺してお金稼ごうなんて夢見ていたが、まあ旅商人を警備人員ごと皆殺しにして馬車ごと奪ったとか、王都へ納められる王領の税を徴税官から奪ったとか、盗賊にとっての稀に見る幸運が無ければ無理がある。ポリドロ領のような動員兵数で鎮圧できる程度の盗賊団なんて金持ってるわけないよな。何で私、普通の盗賊が金持ってるなんて思ってたんだ?」 「盗賊でお金を持ってるのは、傭兵団がそのまま盗賊団になってて小さな封建領地なら襲えるレベルの大規模な存在ぐらい。それとて、傭兵団の運営費用を丸ごと奪い取れればお金になるよと言ってる様な無茶ぶり。或いはフェーデが一応禁止される前の強盗騎士の財産を奪えればぐらいのものですよ。どちらも純粋な盗賊と呼ぶには、少し違う気がしますが」 昔は教会から金目の物を強奪する強盗騎士も普通に居た。 フェーデが一応の禁止――まあ、一応と前置きした通り、今でもやる騎士はいる。 フェーデを悪用して決闘と称した強盗、恐喝、追いはぎ、営利誘拐を行うのだ。 特に酷いのは営利誘拐だ。 どう考えても決闘の類ではない。 酷いものに言及すれば男を攫った後に、その家族に対してフェーデするか金払うかと脅すのだ。 さもなくば男はどこぞに売りはらって金にすると。 決闘状は、営利誘拐した後に送り付けるのだ。 騎士と言う身分が無ければ――いや、あったところで誰の目に見ても犯罪者であった。 もしファウスト様が強盗騎士になれば、その強さであっという間に財を築くだろうな。 この人の性格的には無理だろうが。 「その癖、クロスボウは所有していた。5本も鹵獲できた。逆に言えば私は計5回撃たれた。意味が判らん」 確かに。 貧乏盗賊団には過ぎた武器といえる。 運が良いのか悪いのか。 まあ、とりあえず。 「神聖グステン帝国に火器たるマスケットが流行したからであると思われます。流通数が増えれば価格は下がり、入手する機会も増えるでしょう。そもそもケルン派の工房都市は、教皇によるクロスボウ禁止令を無視してクロスボウを生産しては国中にバラまいていましたから……」 私は思った事を口に出した。 何もかもをケルン派のせいにしてしまい、ファウスト様の嫌悪感を起こそうと試みたのだ。 「ああ、なるほど。ケルン派のせいなら仕方ない」 あっけらかんとした口調で、ファウスト様は納得した。 素直過ぎて困る。 実際には複合的で、色々な理由があると思うのだが。 この線でケルン派を追い詰めるのは難しいようだ。 「自分の愚かさに愚痴を言った。話を戻そう。とにかく、発端は私の勘違いにある。皆、すまん。あの不完全なテルシオ擬きは私の間違いであったのだ。少し見直そう」 「具体的にはどうなされるおつもりですか? そもそも、理想は何なのですか?」 尋ねる。 まあ、大体予想はつくのだが。 「一方的な射殺である」 ファウスト様は直接戦闘特化の能力ではあるが、どうも本人はそれを嫌うようである。 「クロスボウだけでなく、本来はマスケット銃が良いのだ。そして、テルシオの比率は防御的性質を維持できる程度に槍兵がいるべきだが。本音を言えば、銃兵の比率は多ければ多い程良い」 従者たちはイエスマンが多く、あまり多くを尋ねてくれなかったのか、ファウスト様の言葉は少し熱を帯びる。 ファウスト様の目的が具体的に語られた。 「本当の理想形は、マルティナが存在しか知らぬという、あの島国が民兵を訓練した際に行きつく姿。訓練する時間的猶予と頭数さえ揃えられるなら、速射性と有効射程に優れたロングボウによる一方的な射殺であると私は考える。まあ例に挙げた島国は最終的に負けたんだが。とにかく一方的な殺戮である。当たり前であるが、敵の有効射程圏から離れたところから一方的に殺戮する事だけを人は皆考えてきた。剣より長い槍を持つのも、石を投げるのも、弓を射るのも、銃を撃つのも、何も変わらん。もちろん、この答えは私の浅い知識で捻りだした回答に過ぎない。だが銃兵のみならず、騎兵も銃を持つようになるのは間違いないのだ」 どれだけ一方的に殺戮したいのだ? ファウスト様は朴訥で温厚な人柄であるが、どうも戦場では血に飢えた行動をする。 それは味方の損失を減らすためであろうし、味方においては褒められる行動でしかないとはいえ、苛烈にすぎる。 それに対して、騎士としての名誉はヴィレンドルフの騎士団長レッケンベルを討ち取った時の様に、それこそ英傑歌に謳われるほどに頑なに守るのであるし、時には私の助命嘆願のために頭を地面に擦り付ける事さえしてくれた。 武の超人として産まれついた、騎士としての矜持なのだろうか? あまりにも戦時と平時の行動が不釣り合いである。 駄目だ。 理解できない。 だが、少し悩んでいると、一つだけ思い当たるところがあるのだ。 「ケルン派に影響を受けすぎていませんか?」 そうだ、ケルン派だ。 あの狂った宗派が、この優しい人の思考と志向を歪めてしまったのだ。 自分と自分の身内を助けるためならば、何をやっても構いやしない。 平時なら別として、堂々とした一騎討ちは別として、荒ぶる戦場においてはそれが許されるのだ。 その考え方が骨身に染みている。 私はそれを口にした。 「……」 ファウスト様は、酷く傷ついた様子で私の顔を見た。 さすがに、面と向かって言われるとなると、少しばかりは思うところがあったようだ。 「明日の模擬戦どうしようか。マルティナ、何か考えがあるなら発言してくれ」 そして、露骨に話を逸らした。 私個人としては追及したい。 だが、この件に触れ続けるのは、さすがにファウスト様が可哀想に思えてきた。 悪いとすれば性根が優しいこの人にはあらず、ケルン派であった。 「私は9歳児です。正直なところ、何が悪いのかは回答しかねます。明日、模擬戦を行うのでしょう? その際に見たままを口にしますので……」 やや口ごもりながら回答する。 ファウスト様は先ほどの熱を帯びたような口調を止め、どことなく傷ついている様な顔であった。 何もかもケルン派が悪い。 決して、思ったままを口にした騎士見習いたるこのマルティナのせいではないのだ。 「そうするしかないか」 ファウスト様は、気落ちしたように巨躯をまんじりと丸める。 そうして、スプーンで豆と麦のスープをかき混ぜ始めた。 あの手癖は、一度注意したぐらいでは治らないようであった。