第76話 ロベルトについて 黒い髪に黒い瞳、肌は浅黒い。 そんなミハエルの容姿を見つめる。 何度見直しても、酷く美形である。 「ポリドロ卿、どうぞ」 「先ほども言いましたが、ファウストでいいですよ。お茶は有難うございます」 そんなミハエルの浅黒い手から、ティーカップに茶が注がれる。 香りが、バラ園のダマスク香と混ざり合って品よく感じる。 こうしてロベルト様も、茶を楽しんでおられたのだろうか。 さて。 リーゼンロッテとミハエルの想い出話を聞くとしよう。 どこに、真相が転がっているかわからぬ。 「……ミハエル殿は、座らないのか?」 「リーゼンロッテ様からの許可が必要となります」 ミハエルは、ニコリと微笑みながら答える。 なるほど、侍童だ。 王宮の接待を務めるだけの、教育が施されている。 「ミハエル、座れ。もうお前に、いちいち面倒くさいから最初から座れ、と命じるロベルトはおらん」 「私は――あの、ロベルト様が本当に面倒臭そうな顔で、ミハエルもう座れと命じる姿が好きだったのですよ」 さきほどからミハエルに対し、妙な感覚があったのだが。 これをもって確信した。 あれだな、ミハエルは。 我が従士長たるヘルガと同じタイプである。 仕える人間が、貴人として生きる姿がこの上無く好きなタイプだな。 面倒臭いな、コイツ。 私はもちろんヘルガの望みに対し、貴人としての振る舞いをし、その忠誠に相応しい姿を取ろうとはしているが。 時々、その忠誠が何か妙に重たいなー、と感じる時が無いでもない。 もし、かつて存命であったロベルト様に死ねと言われれば、ミハエルは自分自身の首にナイフを平然と突き刺したであろう。 ヘルガも同じことをやりそうで怖い。 ああ、愛が重い。 「まあ、リーゼンロッテ女王陛下の命令でも座りますよ。一応ね」 「お前、本当にロベルトの命令しか聞かぬなあ」 「ロベルト様が、リーゼンロッテ女王陛下に、私を自分の侍童として雇うと告げた際の事を覚えておられますか?」 ミハエルが、クスクスと笑う。 官能的で、中性的な声の囁き。 「私は今でも覚えております。本気で仕える気があるならば、死の寸前まで仕えよ。たとえ女王陛下の命令でも逆らえ。ロベルトの言う言葉だけを信じるのだと」 「確かに言ったが」 リーゼンロッテが溜息をつく。 そして茶を一口飲んだ後に、すん、と鼻を少し鳴らした後。 「もうロベルトは、いない。お前も私の説得に応じ、今を生きている」 「私が生きているのは、女王陛下の説得に納得したからではありません」 ミハエルが、微笑みを深くする。 口端が歪み、獣のような印象を周囲に与えた。 「ロベルト様を殺した犯人を見つけ出し、殺すまでは死ねないと考え直したからです」 「もう見つからんさ。一度言ったが、今回の犯人探しも心残りの解消のようなものなのだ」 「いつまでも調査を続行する事が出来ないのは、理解しております。なれど、私は探し続けますよ」 決意の声。 私はその意気はよいが、5年経った今ではやはり無理だと思う。 幾つか、脳裏に思い浮かぶものもあるが。 折角だし、幾つか意見を上げるか。 「リーゼンロッテ、念のために聞いておきたいのですが。蜂やバラの刺し傷程度の傷なれば、ロベルト様の身体にあったのですね」 「そうであるが。何か、思い当たる点があるのか?」 前世の知識であるが。 蜜蜂の刺し傷程度でも、死に至る可能性はあるのだ。 アナフィラキシーショック。 だが、これについて、一言も触れなかった理由があるのだ。 「蜜蜂に刺された程度でも、死に至る事はあります」 「そんな事は知っている」 みんな知っているのだ。 アナフィラキシーショック、その医学的な言葉を知らずとも、その理由が判らずとも。 蜜蜂に刺されて死ぬことがある事自体は、皆が知っているのだ。 アレルギーという言葉は知らずとも、その症状自体は知識として知っているのだ。 「一度でも死ぬ者はいる。二度目で死ぬ者もいる。何度目かで身体に異常を発し、怖くなって止めた者もいる。それは聞いたことがある。とはいえハチミツは魅力的であるし、ハチの巣から採れる蜜蝋から、我ら貴族が使っているロウソクは作られるのだ。どうしようもあるまい。ちなみに、ロベルトはいくら蜂に刺されようが平気な顔をしていたぞ。園芸や農業は、昆虫との戦いである」 で、あろうなあ。 5年も調査しているのだ。 当然、あらゆる可能性は考えたであろうし、蜂による死の可能性も考慮されたであろう。 アレルギー反応が特別見られない、ロベルト様がアレルギーで急死した? さすがに無い。 役に立たないぞ、前世知識。 ミハエルが、悩む私に対して口を開く。 「ポリドロ卿、他には何か思い当たりますか?」 「何を言っても、それはもう調べたと言われる気がします」 「確かに調べました。どこまでも調べました。ですが、当時の事件に関わっていない第三者だからこそ、判る事もあるかもしれませぬ」 ふむ。 まあ、第三者観点というのは大事であるし、頑張ろうと思うのだが。 ハッキリ言おう、私はそこまで賢くない。 政治的見地は無いし、言われれば理解できる程度の頭はもっているが、所詮凡人に過ぎないのだ。 駄目だ。 マルティナをポリドロ領に送っていなければ良かったのだが、あの時は確かにそれが正しい判断だと思い――糞、頭が痛くなってきた。 額に手をやり、目を閉じて考え込む。 「頭が痛くなってきました。リーゼンロッテ、そしてミハエル殿。しばらく、ロベルト様の想い出話を聞かせてもらえませんか」 「いいだろう」 リーゼンロッテは口をつけていたティーカップを、テーブルの上に置く。 そして、顎に手をやりながら語りだした。 「ロベルトが酷く優しいのは、何度も述べたが。それに付け込んでか、私を怖がってか。まあ、貴族からの陳情数がとにかく多かったな。ロベルトに会うためには数か月の予約待ちが当たり前であったよ。ロベルトは、市民からの陳情も受け付けていたしな」 「市民からも?」 「もちろん、市民個人の陳情など一々相手にはしてられぬ。ロベルトと会えるのは、商人ギルドや手工業ギルドの代表であった。ロベルトは、市民の政治への参加が国の力に繋がると考えていたのだ。どこか夢見がちと言われても仕方ないところはあるが、政治の改善点や、王都に発生した問題点を見つけ出し、私に意見を言う事もあった」 聞けば聞く程、妙な人である。 この頭のおかしい異世界へ転生する前にいた現代人より、よほど人道的な人だったのではあるまいか。 「ただ、それだけではなかった。今思えば、王配として私の楯になろうとしたのではないかな。どう思う、ミハエル」 「私がロベルト様と一緒だったのは10歳から12歳までの、二年間に過ぎませぬ。ですが、私にとってはとても尊い時間でした。ロベルト様はその間、『自分のやった事は決して無駄にはならないことだから、きっとリーゼンロッテのためにもなるだろうから』と。常々仰ってました」 はたして、本当に役に立ったのだろうか。 少し、疑問に思うが。 「ああ、役には立った。ロベルトはただ闇雲に自分の歳費を削り、分け与えていたわけではなかった。私の歳費を削ってもよいが、その費用を投じて何が産まれる? 私は職や食い扶持を与えるが、それでお前は何をする? その線引きにおいては、厳しかったように思える」 「ロベルト様は、ただ困窮した、困窮した。私は恵まれていない、恵まれていないとオウムのようにひたすら繰り返すような屑を極端に嫌っておりました。優しい御方ではありましたが、まあそのような愚か者に対しては殴りつける姿もよく目にしました」 なるほど、優しくはあるが、線引きは確かと。 さきほど役に立ったとリーゼンロッテが発言したが、どんな物が産まれたのだろう。 少し気になるが、まあ口にせずとも喋ってくれるか。 「ロベルトは、アンハルト王国にとって役に立つ人材を多く見出した。今、王城で私の代わりに一部執務をこなしている実務官僚もその一人であるな。アイツは元々困窮した法衣貴族の三女に過ぎなかったが、酷く優秀なので職を与えて頂きたいと親からの懇願を受けてな。ロベルトの推挙により私が会ってみれば、本当に優秀であったので王城に登らせたのだ」 「同僚の侍童を、夫に迎えた方でありますね」 「そうだな。仕事においても、恋愛においても抜け目のない女だ」 酷く感心した様子で、リーゼンロッテが呟く。 昔を懐かしがる目をしている。 「とにかく、ロベルトは優秀な子供に成り上がる機会を与え、上手く国家の潤滑油としての機能を果たしていた。ファウスト、お前が以前のゲッシュ事件において、一言一句残すよう頼んだ紋章官を覚えているか?」 「は、覚えておりますが、彼女が何か?」 「あの女も、ロベルトの推薦だ。ヴィレンドルフとの国境線にある辺境領地、そこの次女であったはずだ。領主からの嘆願で、才能を埋めるのはあまりにも惜しいとロベルトへ嘆願の手紙が届き、そのロベルトの推薦により私が試験し、そのまま採用した」 別に、それはリーゼンロッテに直接でも良かったと思うのだが。 要するに、怖かったんだろうなあリーゼンロッテが。 私も怖いもの。 リーゼンロッテは理性と理論の怪物である。 この偉大なる選帝侯として為政者の地位を誇る相手に生半可な情は通じないし、どこで機嫌を損ねるかわからん。 私が「ゲッシュ事件」において、どれだけの覚悟でモンゴルの脅威をリーゼンロッテに訴えたと思ってるんだ。 もちろん、ヴィレンドルフとの和平交渉を携えてきた私を殺す事など、どう考えても出来まいと言う計算はあったが。 だからといって、死を賜る可能性はゼロにはならなかった。 今まで聞く限りにおいて、ロベルト様は自分が不快に思った事は直情的にその場で相手をぶん殴ることで済ませ、後でネチネチと絡むようなことはしないだろうし。 それが本当に不遇な境遇であり、ロベルト様が歳費を削る事に対しての誠意と実力を見せさえすれば、その誠意に答えてくれるであろう御方であった。 誰だって、ロベルト様の方に縋りつくわ、これだと。 「まあ、とにかく良い男であった。ファウストよ、ミハエルが先ほど何度も言ったが。本当にお前によく似ていたよ」 「雰囲気が、そっくりです。今までも遠巻きに見た際に似ている、とは考えておりましたが。まさか、これほどとは」 そんな優しいロベルト様に、私は似ていないと思うのだが。 私はこれでも領主騎士であるし、それこそポリドロ領300人の領主として、皆を腹いっぱい食わせることを最優先に考えて生きて行かねばならない。 他人様に優しくする余裕など無いのだ。 ――マルティナ、その助命の件においては、馬鹿な事をした。 いや、もう私の前世の道徳的価値観と、この現世で母マリアンヌから受けた騎士教育が悪魔合体して。 もうどうしようもなかったし、反省しても無駄だとは思うのだ。 私があの時に時間遡行出来たとしても、私は同じことをするだろう。 だから、考えても無駄な事は理解しているのだ。 それでも、悩みは尽きない。 何故、私ことファウスト・フォン・ポリドロは、こんなにもどうしようもないのか。 もういい。 人それぞれに欠陥があり、完璧な者など一人としていない。 それは、考えてもどうしようもない事なのだ。 今考えるべきは、熱狂者としてロベルト様を暗殺した犯人を捜す事であるのだ。 その結果が徒労に終わろうが、成功しようが、それはただの結末にすぎない。 「リーゼンロッテ、そしてミハエル殿。今伺った話では、ロベルト様が下級貴族、市民ギルド代表、封建領主、色々な人々の陳情を受けていたようですが」 「ああ、言いたいことは判る。それは調べたのだ。その日出会った人間については、全員が調査の協力に、誰があのロベルト様を殺したと涙ながらに応じている。何も出なかった」 リーゼンロッテは、チラリ、と担当者であったマリーナを見る。 マリーナはコクリ、と頷いた。 さっきから黙って空気と化しているが、まあ無理もない。 私もマリーナも、当時のロベルト様の事は良く知らぬ。 リーゼンロッテの言葉の続きを聞く。 「何も出なかったのだよ、ファウスト。そもそも、ロベルトは先ほども言ったように、優しい男であったのだ。あの優しい男を殺して、何のメリットが陳情者側にあるのだ。自分が懇願する先を失うのだぞ? ロベルトは、直情的に殴り倒した相手にすら、優しい男であったのだ」 その言葉は、酷く悲しい。 私だって、今まで聞いた限りで、ロベルト様を殺して誰が得するのかという思いがある。 だが、リーゼンロッテの、女王陛下の心残りを解消するには全てを行わなければならない。 「ロベルト様はその全ての陳情を、このバラ園にて受けておられました。王宮は完全に警備されており、見知らぬ者など入る隙間はありません」 このバラ園にて? つまり―― 吐瀉物から考えるに、経口摂取ではなく。 アナフィラキシーショック等のアレルギーでもなく。 事故死でもなく、突然死でもない。 そして、身体には蜂に刺されたような傷と、バラの棘で擦れた傷のようなものしかなかった。 毒殺であると考えるならば。 「バラの棘に、毒を仕込む程度の隙間はなかったか?」 すでに考えられている事であろう。 もちろん、そんな意味も分からない――確実性の低い、暗殺とすら呼べない方法をとる理由もわからない。 だが、考える時間はまだある。 私は、とりあえずの疑問を口に出した。