第69話 ザビーネとマリーナ ドアを連打する。 力強く、それでいてテンポよくドアを連打する。 「姉ちゃん! ザビーネ姉ちゃん!! 無視しないでよ」 「何ー。私、今忙しいんだけど。裸だし」 「裸で忙しいって何してるのよ!!」 ドアが開く。 そこには第二王女親衛隊長にして、私の姉であるザビーネ・フォン・ヴェスパーマンがおり。 彼女はパンツ一枚姿で、その美しい金髪の長髪に、大きな乳房が隠されるような姿で立っていた。 「いや、決まってるじゃん。ナニだよ」 「死ね」 「死にます。50年後ぐらいに」 パタン、と音を立ててドアが閉まる。 私と姉の邂逅は、あっさりと終わった。 少し、なんだかよくわからない時間が過ぎる。 私は再び、第二王女親衛隊の隊員達に与えられた寮の一室、そのドアを力強くノックする。 「姉ちゃん! ザビ姉!!」 「うっさいわ、この馬鹿が。私の家族といえるのは、ヴァリエール様と第二王女親衛隊の面子だけであって、もはや親も妹もいないわ」 「姉ちゃん、この間実家まで帰って私にカタリナ女王の情報尋ねに来たよね!? 妹なんだから情報寄越せって言ったよね!?」 確かに、姉ちゃんは家から叩き出された身ではあるが。 ヴァリエール様のため、第二王女親衛隊のためと理由をつけて、情報を入手するために私によく近寄ってくるのだ。 なのにこちらから訪ねた時にはその態度かよ。 あいかわらず、傍若無人なところに成長した様子はない。 「だから何だよ、お前役立たずだったじゃん。ポリドロ卿が、ヴィレンドルフから流れて来た吟遊詩人や、交渉役だった法衣貴族から得た情報と何ら変わりなかったぞ」 「ヴィレンドルフにはまだクラウディア・フォン・レッケンベルの遺した防諜機関が働いてて、情報の入手が困難なんだよ! カタリナ女王の弱点なんか入手できないよ!!」 「この役立たずが!」 ドア越しに、姉の罵り声が聞こえる。 ポリドロ卿。 アンハルトの英傑、ファウスト・フォン・ポリドロ卿。 そうだ、そのポリドロ卿が問題なのだ。 「姉ちゃん。そのポリドロ卿が問題なんだよ」 「ポリドロ卿? もう領地に帰ったよ」 「違うよ。ポリドロ卿だけリーゼンロッテ女王陛下に呼び止められて、まだ領地には帰ってないよ」 ドアが開く。 そこには、顔をしかめた我が姉が立っている。 「本当に?」 「本当に」 じーっと、私の表情を観察する姉ちゃん。 姉ちゃんは、表情を眺めるだけで人の言葉の真偽を判断できる。 また、時として異様な弁舌力を発揮する。 無能ではないのだ、無能では。 だが、ヴェスパーマン家の家督相続にあたって選ばれたのは、長女であるザビーネではなく私ことマリーナであった。 まあ、理由は色々あるのだが。 「本当らしいな。部屋に入れ。親衛隊14名の内、10名はヴァリ様に付いて行ったが、私含め4名は王都に残っている。そこにいつまでも立たれていては迷惑だ」 「判った」 手でちょいちょい、と部屋に入るように指示される。 私は黙って従う。 部屋は簡素な作りとなっており、家具もベッド以外に無い。 第二王女親衛隊の、歳費の少なさが窺える。 女王陛下も、アナスタシア第一王女殿下も、最近はヴァリエール第二王女殿下を可愛がるようになったと聞くが。 それはそれ、これはこれで、第二王女親衛隊の待遇改善にまでは届かないようだ。 「人の部屋をジロジロ見るんじゃない」 「ベッドに座ってもいい?」 「駄目だ、お前は立ってろ」 姉が、ベッドに一人で座る。 未だにパンツ一枚、上半身裸のままだ。 まあよい。 ここは姉の機嫌を損ねぬようにしよう。 「話の続きだ。で、なんでポリドロ卿はまだ王都に居るの? なんで私に会いに来てくれないの?」 「姉ちゃんに会いに来る理由があるのか疑わしいけど、さっきも言ったけど女王陛下に呼び止められたからだよ」 「理由は?」 短直に尋ねられる。 こちらも同様に返そう。 「亡き王配ロベルト様の、暗殺事件の調査役に任命されたからだよ」 「――ああ、そうか。マルティナ嬢の助命嘆願における貸しと、ロベルト様の育てたバラを盗んだ件に起因するものか?」 相変らず、頭の回転は速い。 あっさりと結論に行きついた。 素直に頷く。 「そうだよ」 「じゃあ、正式に調査を任命されているヴェスパーマン家の面子はどこ行ったの?」 「そこよ! だから困ってるのよ!!」 面子が立たない。 ヴェスパーマン家の面子は今後どうなってしまうのか。 先ほども女王陛下に謁見を願ったが、無駄だった。 女王陛下のお気に入りである若き実務官僚に『今、女王陛下は湯浴みの最中である。帰られよ』とすげなく追い返されたのだ。 「先日も、ポリドロ卿に満座の席で『ヴェスパーマン家は無能だ』って罵倒されたのよ! そのポリドロ卿が、もしも事件の解決をしたなら」 「ああ」 ザビーネ姉ちゃんがコクリと頷く。 そして、優し気に微笑んだ。 「さようなら、ヴェスパーマン家」 「さようならじゃないでしょう!!」 「だって、もう終わりじゃん」 そうだ、終わってしまうのだ。 アンハルト王国の外交官の一員として、その実は周辺各国に手配した諜報員の統括者を担ってきた家系。 そのヴェスパーマン家が、いよいよもって終わりである。 ヴェスパーマン家の名誉は地に落ちるだろう。 名誉における死は、貴族としての死をそのまま意味する。 統括者としての役職も剥奪されるかもしれない。 「ただでさえ、ロベルト様の暗殺事件に関しては何の成果も挙げられず。ヴィレンドルフ戦役においては敵の侵攻を察知できず。ついにはポリドロ卿には満座の席で無能と罵られた。更にはそのポリドロ卿に役目を奪われる。このままだとヴェスパーマン家の名誉は――」 「だからお終いだっつってるじゃん。さよなら。泣きながら家に帰れ」 「何とかしてよザビ姉!!」 いや、本当に何とかしてよ。 女王陛下との謁見が断られた以上、もう縋る伝手が他に無いのだ。 「私は家叩き出されたから、今更ヴェスパーマン家が隆盛を極めようが、落ちぶれようが知った事じゃないし」 「ザビ姉が家を叩き出されたのは、まだ5歳の弟のチンコを行水中にぶんぶん振り回して遊んでたからでしょう!!」 「あの子は大爆笑してたでしょう。えっ、あれが原因で私追い出されたの?」 いや、5歳の弟の身体を風呂場で持ち上げて、その露わな秘所をぶんぶん振りまわしながら、『ちんちん大風車!!』とか叫んでたのは、確かに致命的な原因の一つではある。 弟は確かにキャッキャと笑っていたが、そういう問題ではない。 この世界では子供が10人生まれても、その内の女は9人、男はたった1人しか生まれない。 世襲貴族の貴重な男子として、世襲貴族の幾人かの夫となるなり、領主騎士の夫として送り出すなり、あの子には様々な明るい道が用意されている。 同時にヴェスパーマン家にとっても更なる飛躍のための、大事な男子なのである。 そんな大事な弟に対して、何をやっているのか。 貴族の淑女として以前に、人としてどうなのか。 「あの子は笑ってたからいいじゃん。私、ポリドロ卿の嫁の一人になったら、25cm級のちんちん大風車をさせてもらうんだ」 「ザビ姉がポリドロ卿の嫁になれる可能性はハッキリ言って皆無だよ」 だれが、こんなアホを好んで嫁にするというのだろう。 ポリドロ卿はヴァリエール様とすでに婚約しておられる。 その、今も無駄にでかい乳をぶら下げた様子から見るに、子に乳を与えるだけの乳母としての素質はあるかもしれないが。 子供の教育は間違ってもさせられない。 「ヴァリ様とポリドロ卿はなんだかんだ言って私に甘いから、誇りを投げ捨てて頭を地に擦り付けながら泣いて縋ったり、地面で土まみれになりながらジタバタ暴れたら、子種分けてくれると思うんだ」 「ザビ姉、投げ捨てるほど誇りあったっけ……。そんな事を簡単に口にする存在に、人としての誇りなんてあるんだっけ……」 私は誇りの在処を疑問視した。 この人に誇りはあるのだろうか。 妹として見るに、絶対ない。 神が戯れに与えた幾つかの異才を除けば、恥知らずとワガママと傍若無人しか残らないではないか。 だからザビ姉は家督を継げなかったのだ。 正直、カロリーヌの反逆騒動においてこの姉が民兵を鼓舞して活躍したと言う英傑譚も、実際には無茶苦茶やったんじゃないかと疑っているのだ。 「まあ、その話はいいや。んで、私にどうして欲しいって」 「ポリドロ卿に頼んで。私にも調査に参加させて欲しいって」 「無理じゃね?」 姉の声は、とても冷たく聞こえた。 それこそ処刑人のように。 その処刑宣告は続く。 「いやさあ、冷静に考えろよ。女王陛下も、女王陛下お気に入りの実務官僚も、こんな事すればヴェスパーマン家の面子が潰れるくらい理解してるって。それでも決行するって事は、もう完全に見放されたんだよ」 「だってどうしようもないじゃない! ヴェスパーマン家が何したって言うのよ!!」 いや、ヴェスパーマン家は失点を出し続けた。 何もしなかったどころの話ではない、何も出来なかったのだ。 それ故にヴェスパーマン家に対して、リーゼンロッテ女王陛下は酷く冷たい。 それは理解している。 まだ若い私の能力を見込んでくれているアナスタシア第一王女が今王宮におらず、公爵や侯爵達と連れ立って公爵領に旅立ってしまった以上。 もはや私自身は何もできない。 本人曰くポリドロ卿と近しい仲であるザビ姉が、最後の頼みの綱なのだ。 私は泣き出しながら、もはや最後の嘆願のつもりで声を絞り出した。 「助けて、ザビ姉。どうにかして、ポリドロ卿と渡りをつけて」 「……」 姉ちゃんが黙る。 そうして、手を差し出してくれた。 私は喜んで手を握ろうとしたが、姉ちゃんは冷たく私の手を払いのける。 そして、冷たく一単語だけ呟いた。 「金」 その声色はどこまでも冷たかった。 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、姉ちゃんの目を見る。 「金だよ金。最後には金だよ。金さえ出せば、私はおふくろの顔だって笑顔で踏むよ。ポリドロ卿とその金を半分に分けることで、今回は妥協してやるよ」 「それでも姉か!?」 「姉だよ。姉ちゃんは強い人なんだよ。そして怖い人なんだよ。忘れたのか?」 確かに、ザビ姉はこういう人だった。 アホだけど、ぬるい人でもなかった。 家督は継がせてもらえず叩き出されたけど、4年後には初陣で成果を上げて、いきなり2階級昇位してる人であった。 「えーと、おいくら?」 「ヴェスパーマン家が、今なんとか搾り出せる全額。嘘ついたら話はこれで終わりな。私が人の顔色見る事で真偽を吐いているかどうか、見抜けることは知っているよな」 「あまりにも酷すぎる!!」 悪魔か、この姉は。 だが、断腸の思いで今出せる金額を頭の中で計算し始める。 もう時間が無いのだ。 「真面目な話すると、ポリドロ卿に利益の無い話なんかに渡りつけられないぞ。どの面下げて、何の手土産も無しに、こんな夕暮れに会いに行くんだよ。もう下屋敷にもいないんだろ。今どこよ」 「おそらく王宮の一室。日暮れになると登城できなくなるから、もう時間もない……」 「金は払うんだな?」 渋々頷く。 頭の中で、吐き出せる全額を払う用意をした。 姉ちゃんは私の顔をジーッと眺めた後、うん、と納得した様子で頷いた。 「今から礼服着る。二人して王宮向かって、ポリドロ卿に全力で頭下げるよ」 「わかった」 私はいそいそと礼服を着ながら、登城準備を整える姉ちゃんを眺める。 嗚呼、こうして二人一緒に歩くのは何年振りの事であろうか。 姉ちゃんが近所の男子の行水を覗きに行った所で相手の家族に捕まり、ボコボコにされて、それを引き取りに行った時であろうか。 あの時は酷く恥ずかしい思いをしたものだ。 姉ちゃんは、何もあそこまで殴る事ないんじゃね、とブツクサ言いながら、ボコボコに膨れ上がった顔でグズグズに泣いて歩いていた。 何故、こんなアホでクズな姉ちゃんの妹の下に、神様は我が生を与えたのだろう。 何故、こんなアホでクズな姉ちゃんに異才だけを与え、理性というその二文字は与えなかったのだろう。 私は神の存在を疑ってはいない。 だが、姉の存在ばかりは、我らが信じる神が作り給うたものではなく。 酒と狂乱の神たるバッカスがほろ酔い気分で、なんか戯れに作ったんじゃないかと私は疑っている。 きっとそうだ。 「金払えよ、金」 「いいからさっさと服着て」 時間が無いのだ。 姉ちゃんが服を着ている時間を待っている間。 私は、姉ちゃんに渡りをつけてもらえる事になったはまず良いが、果たしてファウスト・フォン・ポリドロ卿は私の嘆願を聞き入れてくれるだろうか。 そんな懊悩に頭を苛まれ始めた。