第43話 和平交渉成立への反応 アンハルト王城、その王城の一室にある会議室。 その巨大なテーブルの周囲には十数名の法衣貴族。 重要なこの場には選ばれた上級官僚貴族達が座り、リーゼンロッテ女王の眼前にある水晶玉の報告を見守っている。 魔法の水晶玉。 その通信相手はリーゼンロッテ女王の娘、ヴァリエール第二王女ではない。 敵方である、ヴィレンドルフの交渉役である。 「それでは、和平交渉は無事成立したと」 「ええ、条件はきっちり守って頂きますが。念を押しておきます。条件はキッチリ守って頂きます。そして、ファウスト・フォン・ポリドロ卿に2年待っても正妻がいない場合、ちゃんとヴィレンドルフから嫁を貰って頂きます。これは『契約』ですよ」 ヴィレンドルフにとっての『契約』の二文字。 それは死より重い。 ヴィレンドルフは死んでも『契約』をしたことだけは重んじる。 死を以ってしても、それを違える事は許されないと言う文化が有る。 だから、ヴィレンドルフが『契約』の名を挙げた以上、この和平交渉は必ず守られるであろう。 アンハルト側がその『契約』を遵守する限りは。 ヴィレンドルフの国境線から兵を引いても、もはや何の問題もない。 それはいいのだが。 問題は、契約内容である。 リーゼンロッテ女王は考える。 ファウスト・フォン・ポリドロ。 ファウストは、己の貞操を切り売ることで、ヴィレンドルフからの和平交渉を勝ち得た。 それが何より問題だ。 「それでは、通信を終えます。水晶玉に与えられた魔法力も無限ではないものでして」 「ああ、契約はアンハルト王国、リーゼンロッテ女王の名にて遵守する」 通信を終える。 ポリドロ卿が身を売る事になってしまった。 アナスタシアやアスターテは激怒するであろう。 正直、私も愉快ではない。 公人としての立場からも、私人としての立場からも。 到底、愉快に聞こえる話ではない。 リーゼンロッテ女王は考える。 どうやってファウストに報いれば良い。 カタリナ女王の心を斬れとは言ったが、まさかそこまで心を掴むとは思っていなかった。 冷血女王カタリナの心の氷を溶かしきり。 可能であれば王配にと望まれるまでに至るとは。 そこまでは予想できなかった。 私の失策だ。 「水晶玉をしまえ」 「畏まりました」 ポリドロ卿のフリューテッドアーマーの製作にも参加した女宮廷魔法使いが、水晶玉を布で覆う。 そして、両手で大切そうにそれを持ち上げ、姿をドアの向こうに消した。 失策を後悔しても仕方ない。 これはポリドロ卿の責任ではない。 全ては正使であるヴァリエール、そして使者を命じたアナスタシア、ひいては女王である私の責任となる。 ポリドロ卿に、一方的に負担を押し付けてしまった事となる。 その貢献に報いねばならない。 だが。 ファウストの嫁、その嫁を誰にすればいいのだ? ファウストがアンハルトで嫁を見つけられず、ヴィレンドルフから嫁を貰う事。 それだけは死んでも許されない。 我が国が、救国の英傑であるファウスト・フォン・ポリドロにわきまえた嫁すら用意できず。 ヴィレンドルフから用意された嫁を貰う。 それも、本来ならばヴィレンドルフの王配にふさわしいのだ、という扱いで。 繰り返すが、それだけは死んでも許されないのだ。 アンハルト王国の恥そのものである。 「良かったではないですか」 横から飛ぶ声。 若い女の声であった。 確か、新顔。 そう、家督相続のため先日謁見し、それを認めた女である。 「これで、我が国は何の損失も無く和平交渉を成立させました。いやー、何より」 アホか、お前は。 何の損失もなく? 成立しないよりは遥かに良い。 だが、損失は多大だ。 何度も言うが、ファウストに全てを押し付けてしまった。 王家が、その全ての負担を救国の英傑であると同時に、たかだか300名の弱小領主騎士に過ぎぬファウストに押し付けた。 マトモな法衣貴族も、諸侯もそう見る。 その不信をどうやってカバーするのだ。 今後、どうファウストに報いてやるつもりなのか。 全員が注視している。 これぐらいはチンパンジー、もとい第二王女親衛隊でも判る事であろう。 お前は何を言っているのだ。 いや、そもそもコイツ。 「ファウスト・フォン・ポリドロも良くやってくれたものです。まあ、あの醜い姿の男はヴィレンドルフでは人気者です。彼も幸せではないですかな」 その場にいる、その新顔を除く上級官僚貴族の全員が眉を顰めた。 真正のアホなのか、コイツは。 親から家督相続の際に、王城に上がる前に何も聞かされていないのか。 いや、聞かされずとも、家督相続者の長女とあれば知っているべき事であろう。 ポリドロ卿は、アナスタシア第一王女やアスターテ公爵の愛人に内定している事を。 その二人から恋慕を寄せられている事を。 鈍い女でなければ、それぐらいは容易に判る事だ。 少なくとも、この重要な場にいることが許される上級官僚貴族であるならば。 それぐらいは承知していて当然の事。 いや、そもそもだ。 何故、今回の和平交渉にて功を成したポリドロ卿の事をそこまで侮蔑できる。 醜い姿の男だと。 この女、ポリドロ卿を醜い姿の男だと確かに言ったぞ。 いや、確か、お前の親は、お前がここに顔を並べていられる家督相続の理由はそもそも。 全員が呆れかえる中で。 「お前の親は、本来ヴィレンドルフの交渉役であったな。そしてお前は、代わりに和平交渉に立ったポリドロ卿の事を醜い姿の男だと呼んだ」 リーゼンロッテ女王が、微笑みながらポリドロ卿を醜い姿の男と呼んだ女に声を掛けた。 その場にいる貴族の全員が恐怖した。 壁際に立っていた女王親衛隊は、すでに王命を受けるまでもなく、女の背後に立っている。 いや、王命はすでに為されている。 リーゼンロッテ女王の微笑みという形によって。 「はい、それが何か。良かったではないですか、あの醜い姿の男と引き換えに和平交渉が成り立ったならば。あの筋骨隆々の姿、全くもって――」 「それが何か? それが何かと? それも、もう一度」 リーゼンロッテ女王の微笑みが、より深みを見せる。 普段、あまり表情を変える事が無いリーゼンロッテ女王。 その表情を崩した事など、最近ではポリドロ卿が頭を地に擦り付けた助命嘆願事件くらい。 その笑みの意味を、この場にいる上級官僚貴族達は理解していた。 リーゼンロッテ女王の笑みとは。 「もう一度、醜い姿の男と言ったな」 怒りの表現である。 真に激怒した場合のみ、それが表情に顕著に現れる。 上級官僚貴族にとっては、それが何より恐ろしい事態であることを理解していた。 理解していないのは。 「な、なにを」 女王親衛隊の二人に両手を押さえつけられ、顔面をテーブルに叩きつけられた新顔の女のみ。 今回のために新調したのであろう女の礼服に、鼻血が飛び散った。 「これが我が国の現状か。法衣貴族、上級官僚貴族ですら新顔はこの始末。救国の英傑ファウスト・フォン・ポリドロの功績を認めず、その容姿のみで心の底から侮蔑し、その他国への身売りをよかったよかったと手を叩いて笑う始末」 リーゼンロッテ女王の微笑みが、どんどん深くなる。 女王親衛隊は、その意味を十二分に理解していた。 16年前の初陣の頃から共にした、間柄である。 親衛隊は、女の顔をテーブルに何度も叩きつけた。 悲鳴が女の口から上がる。 「口を閉じさせよ。耳障りだ」 「はっ」 親衛隊が、ハンカチを口に押し込む。 そして女の顔を、テーブルに叩きつける作業を再開した。 リーゼンロッテ女王の微笑みが、周囲の上級官僚貴族に向けられる。 その視線は一巡した後、ピタリと一人の貴族の顔で止まる。 どういうことだ? リーゼンロッテ女王は言葉ではなく、その視線のみで問うた。 貴族は答えた。 心中で、とばっちりだ、という悲鳴を挙げながらも。 「その女は新顔ゆえ、アナスタシア第一王女やアスターテ公爵からの好意がポリドロ卿に向いている事を理解しておらず」 「理解していないのも問題だが、それだけではないだろう」 「はっ、私の記憶が確かならばですが。この新顔がこの場にいる理由は、この者の母親がヴィレンドルフとの和平交渉失敗の責を取り、家督相続が行われたゆえに」 そうであろう。 この新顔が、この重要な場に席を与えられた理由はただ一つ。 母親が失敗してしまった交渉の、その顛末を見届けたいであろうと言う配慮からであった。 自分の母親が失敗した事に、ポリドロ卿が身売りしてくれて、ああよかった、これで何もかも解決だと? 何ほざいてやがんだコイツは。 まずは手放しでポリドロ卿を褒め称え、それに報いるための報酬を、と私に陳情しても可笑しくないところだ。 それを醜い姿の男呼ばわりだと? 真剣に頭がイカレてやがるのか? リーゼンロッテ女王の心は、その微笑みの表情とは反対に荒れていた。 「尋ねよう。全員に尋ねよう。若い世代のポリドロ卿への侮蔑は、この様に酷いものなのか? それとも、私が配下に期待しすぎなのか? それほどまでに皆、愚か者揃いなのか?」 「いえ、違います。我が家では、ポリドロ卿をヴィレンドルフから国を守った救国の英傑であると、娘たちにも、しかと教えております。もし娘がポリドロ卿を侮辱するようなら、その場で首を刎ねて頂いても女王陛下を御恨みしませぬ」 「では、何故このような状況が起こるのか」 これは真剣な話なのだぞ。 嘘誤魔化しは許さぬ。 リーゼンロッテ女王は微笑み、その威圧を続ける。 「しかし、しかしながらでありますが。その新顔のように、何故あのような醜い姿の男が英傑などと、侮蔑する声も少なからずあるのも事実」 「それは法衣貴族のみか?」 「で、あろうかと。アンハルトと土地の保護契約を結んでいる地方領主の全員は、ポリドロ卿の扱いに不服を持っているものと……」 不服を持たれた方が、この様な愚か者が目の前でうろつくより、まだマシだ。 親衛隊に、視線をくれる。 テーブルに、顔を叩きつける音が止んだ。 「コイツの母親は有能であったのか? 」 「間違いなく。アナスタシア第一王女からヴィレンドルフ相手の交渉役にも選ばれた、交渉も武芸も出来る見事な女で御座いました。和平交渉失敗の責を取り、家督相続を行った事からも明らかであると」 「では、単純にこの新顔が母の言葉も理解できぬほど愚かなだけか。家ごと潰してやろうとも思ったが。この顔をもはや見たくない。連れ出せ」 へし折れた鼻からの血で顔を真っ赤に染め、痛みで気絶した女が親衛隊の二人に担ぎ上げられる。 「改めて家督を相続し直すように言っておけ。その愚かな女の顔は二度と見たくないと言葉を添えてな」 「承知しました」 親衛隊が、ドアの向こう側に去る中で。 リーゼンロッテ女王はその場の全員に告げる。 その微笑みは未だ消えることが無い。 「再度、ポリドロ卿の扱いを救国の英傑であり、今回の和平交渉の立役者であることを周知徹底させよ。次に侮辱した者は、侍童であろうとその場で首を刎ねて良い」 「承知しました」 リーゼンロッテ女王の微笑みに、その場にいる貴族全員が震えた。 まさか、自分の身内にあのような愚か者はおるまいが。 念には念を入れて、親族、寄子含め徹底させねばならぬ。 巻き添えで家が潰れるのは御免だ。 「しかし、リーゼンロッテ女王」 「何だ」 一人の貴族が、リーゼンロッテ女王の微笑みに恐れながらも声をあげる。 年老いた、重鎮の一人であった。 「ポリドロ卿への報酬を如何致しましょう。もはや生半可な報酬では、諸侯も、法衣貴族も、マトモな知性を持つ者こそが納得しかねます。木っ端貴族の娘をポリドロ卿の嫁にあてがうのは、もはや許されませぬ。ポリドロ卿自身の感情もあります」 「わかっている」 リーゼンロッテ女王から微笑みが消える。 ここからは切り替えていかねばならぬ。 まず、一番最初に思いつくのが。 「ヴァリエール」 その名をポツリ、口に出す。 誰でもまず考え付く事だ。 ヴァリエールに王位継承権を放棄させることは元々からの既定路線。 僧院に入れたがっている第一王女派もいるようだが、それは私もアナスタシアも、もはやしたくない。 ヴァリエールは可愛い娘で、アナスタシアも妹であることを自覚したようだ。 王領から小さな領地を切り取り与え、そこで静かに余生を送ってもらうつもりであった。 たまに子供の顔でも見せに来てくれれば良い。 それでいいはずだった。 「よいお考えです」 年老いた貴族が、私のポツリと呟いた一言に反応し、全てを理解する。 ヴァリエールをポリドロ卿に降嫁させる。 ヴァリエール・フォン・ポリドロ卿としての新たな人生を送ってもらう。 しかしだ。 アナスタシアとアスターテがそれで納得するかどうかは疑問だし。 それにだ。 低身分の貴族が王家に取り入った。 その見方が強まる。 アナスタシアとアスターテの愛人としてでも、大分無理があるのだ。 ファウスト・フォン・ポリドロとはヴィレンドルフ戦役における救国の英傑である。 だからこそゴリ押しで、アナスタシアが女王を継いだ後でも、愛人ならばギリギリいけると考えた。 今回、更にヴィレンドルフの和平交渉で国家への功績を挙げたとはいえ、王家からの降嫁は無理がありすぎないだろうか。 正直、悩む。 それより何より。 「ヴァリエールだけにはやりたくないな」 「は?」 「何でもない」 ヴァリエールは可愛い娘だ。 可愛い娘であるが、私と亡き夫、ロベルトがベッドにて仲良く寝ようとする中で。 幼い頃はベッドに忍び込んできて、ロベルトにしがみ付いて寝ていた子だ。 私は嫉妬した。 可愛い娘であろうとも、私ではなく何でお前がしがみついて寝ているのかと。 そして、ポリドロ卿はロベルトに似ている。 二度も奪われるのか。 「発言を訂正する。少し、考えさせてくれ」 まあいい、今決める必要はない。 何より、ヴァリエールの意思も考えねばならん。 それにファウストの意思も確かめねば。 先祖代々続いた血統に王家の血を入れ、ファウストの亡き母マリアンヌ時代に断たれてしまった貴族世界との縁を取り戻す。 それを考慮すれば、断るとは思えんのだが。 一応な、一応。 そう自分に言い訳をしながら、リーゼンロッテ女王は結論を先延ばしにした。