第36話 花泥棒 何も感じなかった。 人として思えぬほどの美しさ、もはや魔性の域のもの。 太陽のごとき、筋骨隆々の姿。 身長2mを超える大男。 ヴィレンドルフが称える、その全て。 その価値観が想像しうる限りでの最高の美。 それでも届かぬ美しさ。 その具現体。 ファウスト・フォン・ポリドロ。 私はその姿を見ても、何も感じなかったのだ。 「今回の交渉の正使。アンハルト王国第二王女、ゲオルク・ヴァリエール・フォン・アンハルトです」 確か、ヴァリエール第二王女は14歳と聞いた。 未だ幼いとすら感じる、正使であるヴァリエール第二王女がドレスの裾が地につかぬよう両手でそれを持ち上げ、膝を曲げての辞儀を行う。 若いな。 私の14歳。 丁度、私が相続決闘を果たし、女王になった頃であったか。 その頃、レッケンベルは24歳であったな。 過去に想いを馳せる。 次いで、挨拶。 「交渉の副使。ファウスト・フォン・ポリドロ」 兜だけが無い甲冑姿のまま膝を折り、礼を行う。 王の間に静かに、だが響き渡る声であった。 満座の席。 アンハルト二人の使者を囲むように立ち並ぶ騎士の数人が、僅かに身をよじらせた。 股に、違和感を覚えたのだろう。 理屈ではわかる。 この男は、ヴィレンドルフではこの世で一番美しい男なのであろう。 だが、それだけだ。 ファウスト・フォン・ポリドロに対し、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフは何も感じない。 何も感じることが出来なかった。 僅かに、何か心の底で、かすかに燻る何かで、きっと期待していた。 ファウスト・フォン・ポリドロという、我が相談役レッケンベルを倒した男に何かを感じ取れるのではないか。 憎しみ。 その感情でも良い。 この大いなる、レッケンベルを失った悲しみに抗える何かを。 だが、何も感じられなかった。 ああ、そうだろう。 所詮こんなものよ。 私は冷血女王のままであろう。 その冷静な、理屈だけの女王に私は戻る。 もはやレッケンベルへの悲しみすら、今は忘れよう。 ただヴィレンドルフの利益だけを考えよう。 このファウスト・フォン・ポリドロを玉として見立て、アンハルト王国の今を見据えよう。 ポリドロ卿を見つめる。 その姿形。 噂のように、冷遇されているようには見えない。 少なくとも、王家からはそうであろう。 見事な、魔術刻印総入りのフリューテッドアーマー。 ポリドロ卿の経済事情、領民300名足らずの弱小領主が用意できる代物ではない。 幾つか傷が付いてはいるが、それは真新しい。 恐らく、今回の和平交渉にあたって王家が用意したものであろうと予測する。 少なくとも、ポリドロ卿はアンハルト王家からは認められている。 だが。 「ヴァリエール第二王女、そしてファウスト・フォン・ポリドロ卿。長旅にて疲れる中、休憩を挟まず王宮まで訪れたその誠意は受け取ろう」 「有難く思います」 「して、ヴァリエール第二王女。貴女を侮るわけではないが、ポリドロ卿と少し話がしたい、良いか?」 私はヴァリエール第二王女に要求する。 相手は断れない。 「どうぞ。ご存分に」 「有難う」 ではポリドロ卿と話す事にしよう。 さて。 単刀直入に言おう。 じっくりと話し込むことにしよう。 勝負だ、ファウスト・フォン・ポリドロ。 私の問い全てに答えて見せよ。 一つでも答えを誤れば、第二次ヴィレンドルフ戦役の始まりだ。 「私に仕える気はないか? ポリドロ卿」 「ちょ、ちょっと」 誘い。 私はまず誘惑をかける。 ヴァリエール第二王女の声は無視する。 ポリドロ卿の答え。 「お断りいたします。例えどのような待遇でも、私が貴方に仕えることは無い」 「何故か?」 「私は第二王女ヴァリエール様の相談役であります」 本来は朴訥な性格と聞いている。 それでいて、ハッキリと。 ファウスト・フォン・ポリドロは告げた。 「レッケンベル騎士団長は貴女の騎士団長でありましたが、貴女の幼少期。その頃はただの一介の世襲騎士の家督を継いだ一人の騎士に過ぎませんでした。なれど、貴女の相談役でした」 「確かにそうだ。良く知っているな。それが?」 「仮に、アンハルト王家が、昔の一騎士に過ぎなかったレッケンベル騎士団長に多大な報酬を見せて誘いをかけたとて、答えは同じだったでしょう。私はカタリナ第三王女の相談役である故、その誘いはお断りすると」 なるほど。 理屈だ。 王女の相談役と見込まれた者が、その誘いは受けないか。 だが、我が国と違ってアンハルト王国の限嗣相続は決闘ではない。 「一つ、さらに聞く」 「何なりと」 「ヴァリエール第二王女が、アンハルト王国を継ぐ目は恐らく無い。何故それでも仕えるのだ」 お前に何のメリットも無いではないか。 それを尋ねる。 「判りませぬか」 ポリドロ卿が、眉をひそめて答えた。 「判らぬ」 正直に答える。 「私にも、情と言うものがありますので」 その答えは、私には判らぬものであった。 情。 理屈では無いと言うのか。 何だコイツは。 まるで――まるで。 まるで、レッケンベルと会話しているようではないか。 「その情がどこまでヴァリエール第二王女に伝わっているか、私にはよく判りませぬ。果たして、それに応えてくれるのかも」 やや苦笑。 それを加えながらも、ポリドロ卿の言葉は続く。 嗚呼、レッケンベルよ。 ポリドロ卿と話していると、何故かその名前が頭に思い浮かぶ。 「なれど、それと私の情とはまた全く別な話であります」 レッケンベル。 その名が私の悲しい心を包み込む。 唯一「哀」しか知らぬ。 この私の感情はそれだけだ。 「カタリナ女王陛下。私は貴女の事を良く知りませぬ。貴方の事は今回の交渉の前に知りました。吟遊詩人から話を聞き、そのレッケンベル騎士団長とのエピソードを知りました。ですが」 ポリドロ卿が一呼吸置く。 「ですが、たったそれだけです」 たったそれだけ。 確かに。 人伝てに聞いただけの話。 それでは、その人間の本性までは判るまい。 理屈だ。 「故に、私と貴女は話し合う必要があると思うのです。カタリナ女王陛下」 「よろしい」 私は答えた。 応じよう。 元より申し込んだのは私だ。 お前との一対一の対話に応じよう、ファウスト・フォン・ポリドロよ。 「では、話を続けよう。ポリドロ卿。お前の領地はヴィレンドルフ国境線からほど近い」 「よくご存じでいらっしゃる」 「ヴィレンドルフ戦役にて、国境線近くの街を亡ぼした際に地図を手に入れた」 小さな舌打ち。 それは、おそらくポリドロ卿の口からは発されていないであろう。 だが、確かに聞こえたぞ、お前の心の舌打ちが。 「私がお前の領地近くまで、第二次ヴィレンドルフ戦役を起こし、踏み込んだとする。お前はどうする?」 「死兵と化しましょう」 ほう。 「死兵と化し、貴女の騎士数十名を破り、大往生を遂げましょう。先祖代々引き継いだポリドロ領の領地にて」 「命が惜しくは無いのか」 「惜しいです」 やや、予想と違う返事。 命は惜しいのか。 我が英傑レッケンベルに一騎討ちを挑むくらいの猛者だ。 命が惜しいとは。 「私の血が伝わらぬ。先祖代々継がねばならぬ、私の子々孫々に繋いでいくはずの領民、領土、それを守るための血が繋がらぬ。そのために命が惜しいです」 「その命を繋ぐ存在が、子さえいれば、命は惜しく無いと」 「その通りです」 まるで領主騎士の模範解答だ。 理屈は理解できる。 「ヴィレンドルフに頭を垂れる、その気は、領地に足を踏み入れられてまで無いと?」 「むしろ、我が領地を寸土たりとも削り、足を踏み入れ侵略する者には容赦しませぬ」 「ふむ」 裏を考える。 ファウスト・フォン・ポリドロは領主騎士である。 アンハルトの英傑ではあるが、利益を考える。 いや、利益と言っては失礼か。 己の財産である領土と領民を死ぬまで抱え込むものである。 今までの話から察するに、ポリドロ卿は全て本音で語っている。 再び、裏を考える。 ファウスト・フォン・ポリドロは、自分の領地にさえ踏み入れなければ敵対しない? ポリドロ卿の軍役。 おそらく、我らヴィレンドルフが国境線に足を踏み入れなければ、来年の軍役は北方の遊牧民族相手になるであろう。 軍役さえ終われば、アンハルト王国の領地の保護契約。 それをアンハルトは実行せねばならない。 そして、ポリドロ卿は軍役を終えているゆえ、ヴィレンドルフとの国境線上での戦いには現れない。 その僅かな隙間を狙い。 ポリドロ領を放置し、それ以外の領土を奪い取る。 いや。 再び考え直す。 「問おう。ポリドロ卿よ。来年の軍役は、北方の遊牧民族相手になるかな?」 「この和平交渉がまとまればそうなりましょう」 「ポリドロ卿は、遊牧民族相手に勝てる自信がおありかな?」 有るだろうな。 無駄な事を聞いた。 「一度の衝突で族滅させて見せましょう。ヴィレンドルフの英傑、レッケンベル騎士団長のように」 そうなるか。 なれば、アンハルトは北方から王国の正規軍を、ヴィレンドルフ国境線に戻す。 そうすれば兵力は互角。 ヴィレンドルフ全力の兵力を投じても。どちらが勝つかなど判らなくなる。 手詰まりか。 英傑ファウスト・フォン・ポリドロは、その領地を取り囲まなければ、私に頭を垂れぬ。 だが時間を置けば、北方の遊牧民族を族滅にかかる。 和平。 その言葉が少し、ほんの少しだけ頭に思い浮かぶが。 まだ話は続くぞ。 ポリドロ卿よ、私は感情が無く、物事がよく判らぬ故、しつこいと物を尋ねる度に父に何度も殴られた女だ。 殴らなかったのはレッケンベルだけだ。 根気よく、感情が無ければ理屈で、私に何度も言い聞かせるように。 これはやっていいことで。 これはやってはいけないこと。 それを教えてくれたのは、この世でレッケンベルただ一人だ。 理屈で私を女王としてやっていけるようにしてくれたのは、レッケンベルだ。 姉を殺したのも、父を殺したのも。 やっていいこと、と教えたのはレッケンベルなのだぞ。 私とレッケンベルは、甘くは無いのだ。 どこまでも理屈を追及して見せる。 そしてアンハルトの穴を突き、お前を従え、アンハルト王国の領土を削ってみせるぞ。 そんな考えを巡らせるが。 「カタリナ女王陛下。ここに貴女への贈答品があります。会話に夢中で忘れておりましたが」 「贈答品?」 まあ、国家間の交渉なのだ。 それぐらいはあるであろうな。 ファウストの横で、同じように膝を折りながら、布に包まれた何かを大事そうに抱えている。 前情報ではマルティナ・フォン・ボーセルと言ったか。 一騎討ちで破った売国奴の女領主騎士の遺児を、頭を地に擦り付けてまで助命嘆願した。 その子供。 あくまで意地を張り、面子を捨ててまで王命を覆したその姿。 ヴィレンドルフでは美しき姿として称えられているが。 私には理解できぬ。 「では、お渡しします」 マルティナが、布に包まれた何かを大事そうに抱えながら、私に歩み寄る。 周囲の近衛騎士が警戒するが。 相手は9歳児。 私も帯剣している。 その布の下に懐剣があっても、斬り殺せば済む話。 「控えろ」 私は布の中身を確かめようとした近衛騎士に命を下す。 その間も、マルティナは黙って歩み寄る。 そして目の前に辿り着き、その布を剥がした。 「これは」 「バラでございます」 深紅のバラ。 本日、鉢植えから切ったばかりと思われる、新鮮な切り花。 贈答品としては、余りに質素である。 アンハルト王国にも、ヴィレンドルフにも、その花の贈答に特別な意味は無い。 精々、女が男に求愛するときに使われるぐらいか。 男からこれを貰っても、とは思うが。 「ヴィレンドルフの吟遊詩人、それから珍妙なエピソードを聞きました」 「ほう」 マルティナから、花を受け取る。 一応、使者からの贈答品だ。 如何に質素でも、受け取らなければならない。 ヴィレンドルフの吟遊詩人から聞いた? 何を? 「ファウスト!」 その思考を中断するように、ポリドロ卿を咎める声。 ヴァリエール第二王女の悲鳴。 「そ、それ! ひょっとしてアンハルト王宮のバラ園から」 「はい、盗みました」 「盗みましたじゃないわよ!! しれっとした顔して答えるな!!」 ヴァリエール第二王女が顔を真っ青にして、ここがヴィレンドルフの王の間であるというのに、場もわきまえずに絶叫する。 「それ、御父様が造ったバラ園のバラで、お母様が死ぬほど大事にしてるって判ってるでしょ!! 貴方も美しいって褒めてたじゃない! それを何で!!」 「はあ、だからこそ価値があるかと思いまして」 「いや、価値はあるけど! 黙って盗んじゃ駄目でしょう! 盗んじゃ!! お母様に何て言い訳するのよ!!」 どうやら、毒殺されたと噂のリーゼンロッテ女王の、王配が大切に育てたバラらしい。 それを盗むとは。 それが何で、私への贈答品に相応しいと。 いや。 以前、一度だけ。 一度だけ、このような事が有った気がする。 思い出せ、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ。 これは。 これは、レッケンベルとの、幼き頃の大切な思い出であったはずだ。 「どーすんのよ! お母様、今頃バラ盗んだ奴を死に物狂いで探し回ってるわよ! どうやって謝罪するのよ!!」 「一緒に謝ってくれると、マルティナからお聞きしました」 「言ったけど! 確かに言ったけどもさ!! こんな話だとは思ってないわよ!!」 五月蠅い。 煩わしい。 私がレッケンベルとの想い出を回想しようとしている。 その邪魔をするな。 私は、聴覚を無理やりにでも遮断する様に。 目を閉じ、静かに大切な子供の頃の想い出を回想しようとした。