第33話 空虚な王座にて 「何をやっているのだ」 イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフこと。 ヴィレンドルフ女王カタリナは言葉を紡いだ。 国境線の騎士共が勝手な事をしているのだ。 「相手は和平交渉に来たのだぞ。理解しているのか。いや、理解していてこのような事をしているのか」 「理解していてやっております。最初の一騎討ちは誠に勝手な判断と言えますが」 老婆。 軍務大臣のそれが、冷静に答える。 「通信機――水晶玉の報告によれば、国境線の騎士達による一騎打ちの申し込みを受けた際、その口上にてファウスト・フォン・ポリドロが『それがどんな時、どんな場所、どんな状況で在ろうとも。ヴィレンドルフ騎士との一騎討ちに私は逃げない。もし逃げれば、ヴァルハラのレッケンベル騎士団長が、あんな男に私は負けたのかと嘆くでしょう』と。それゆえの騎士達の暴走です」 「レッケンベル、か」 その名を聞くたびに泣きそうになる。 私は喜怒哀楽と呼ばれる感情の内、唯一『哀』の名を知った。 それが抑えられなくなりそうになる。 「仕方ないのか」 「仕方ありませぬ。その口上を聞いた時点で、もはやこれはヴィレンドルフの国中に伝えねばならぬ、と記録係が魔法の水晶玉を使い、各地にその記録を伝えました。記録係の騎士といえどもヴィレンドルフの騎士」 「舐められてはならぬ、という事か?」 私には理解できぬ。 素直に、想定を軍務大臣に尋ねる。 「その全く逆です。もはや、この口上を聞いて、立ち上がらなければ失礼に当たる。ヴィレンドルフの全てを受け入れてくれたファウスト・フォン・ポリドロに報いねばならぬのだ。その心構えで当たっております。そして、レッケンベル騎士団長への想いからです」 「レッケンベルへの想い?」 「レッケンベル騎士団長への追悼です。未だ誰もが、彼女の、英傑の死を認められずにいるのです」 騎士、兵、国民の多くが、レッケンベルの遺体を見ていない。 我が国の英傑であるのに、負け戦であるからと、定例通りパレード無しの葬儀をしてしまったからだ。 その野花に包まれた、いつものように糸のような細い目をし、うっすら微笑んだレッケンベルの死に顔を。 憤怒の騎士の猛攻により、鎧に多くの刃跡を刻みつけられた、その戦場姿のままの遺体を。 レッケンベルよ。 私は悲しい。 私は既に、お前の死を認めてしまった。 そして、その葬儀にて、お前の一人娘、ニーナ嬢から与えられた言葉。 カタリナ女王は、母に確かに愛されていた。 その愛情が理解できない。 私は出来損ないだ。 お前無しでは、出来損ないの女王なのだ。 私はもはや、お前の死を悲しむだけの存在になりつつある。 その残火はただ、冷血女王カタリナの名の元に政務をこなすだけの生き物だ。 「ファウスト・フォン・ポリドロに挑むことがレッケンベルの追悼に繋がると言うのか」 「これほど見事な騎士に敗れたなら仕方ない。その納得を誰しもが求めているのです。ファウスト・フォン・ポリドロに誰もが挑み、誰もが負けねば納得に辿り着けないのです。死して二年を過ぎても、レッケンベル騎士団長は、あの英傑は、未だ皆の心の中に眠っているのです」 「納得、か」 ならば、私も納得しよう。 ヴィレンドルフとは、その騎士とは、その兵とは、国民とは、未だ、なのだ。 未だ英傑レッケンベルの死を受け止めきれずにいる。 ならば認めてもらおう。 放置すればよい。 「なれば、我が国ヴィレンドルフ騎士の全てに、ファウスト・フォン・ポリドロに対する一騎打ちの許可を与える。国境線の騎士達の暴走も追認しよう」 「宜しいのですか」 「それがヴィレンドルフなのであろう?」 理屈は理解できる。 そういう国なのだ。 感情は理解できぬが。 ヴィレンドルフとは、そういう国であるのだ。 ならば、それを追認しよう。 「ファウスト・フォン・ポリドロは今どこにいる?」 「国境線の一騎討ちにて、選抜された国境線の精鋭騎士6名を休憩無しに撃ち破り、その後入国。アンハルト国境線、前線指揮官の先導を元に……情報の遅れはありますが、続きを言っても宜しいでしょうかな?」 「構わぬ。水晶玉の通信にも、数に限界がある。王都までの道程の、全ての地方の領主が水晶玉を有しているわけではない」 コクリ、と軍務大臣が頷いた。 どうでもいいが、この老婆何歳なのだろうか。 私がレッケンベルと初めて出会い、それに立ち会った5歳の時から老婆な気がする。 まあ、本当にどうでもいいが。 「その王都までの進路、道程、ありとあらゆる小さな村、街、地方領主が持つ領地、直轄領、諸侯領その全てにおいて一騎討ちを行っております」 「結果は? 聞くまでもないが」 「全勝です。直轄領の代官、地方領地の領主、諸侯領、その領地の大小に関わらず、その土地を代表する全ての騎士と、選抜された騎士が挑み、それらを相手取って休憩無しの一騎討ちにて全勝を果たしております」 で、あろうな。 そうでなければ、レッケンベルに勝てるはずもない。 ああ、アイツは真の英傑であった。 「それで、彼女達は納得したのか?」 「これで納得したでしょう。嗚呼、レッケンベル騎士団長は確かに死んでしまわれたのだなと。やがてそれが国中に伝わり、誰もが納得せざるを得ないでしょう」 「そうか」 少し、悲しい。 ヴィレンドルフ戦役から2年と少し、それが経っても納得いかなかった騎士共が。 ついにレッケンベルの死を受け入れてしまった。 それが悲しい。 「今、ファウスト・フォン・ポリドロは幾度一騎討ちを行った?」 「68です。68戦68勝。情報は遅れておりますので、まだ現在進行形で増えておりましょうが」 「そうか」 ここに辿り着くまでに。 私の目の前、この私の座る玉座の眼前に辿り着く前に。 100戦100勝でもしそうな勢いだな。 「英傑とは何なのだろうな。何故、レッケンベルやファウストのような存在がこの世に現れるのだろうな」 「それは摩訶不思議、まるで魔法のような現象であります。まさに神が認めたと言わざるを得ません。但し、カタリナ様の挙げたその両名ともが、1000年に1度ようやく現れる逸材でありましょう」 「この選帝侯、ヴィレンドルフの100万を超える全ての領民から1000年に一度現れる、たった1人か」 それを失ってしまった。 レッケンベルの喪失は大きい。 あれで遊牧民族、略奪者共は情報を重視し、勝てない相手とは争わない。 だから、レッケンベルに族滅され、勢いを失った北方の遊牧民族達は攻め込まなくなった。 なれどレッケンベルの喪失を知れば、いずれ我が国への略奪を再開するであろう。 帝国。 神聖グステン帝国。 選帝侯たるアンハルト王国、そしてヴィレンドルフ王国が選挙権を有する、その帝国からの通達。 双方戦争を直ちに止め、北方の遊牧民族の族滅に協力せよ。 それは今まで、両国ともに無視してきた。 そんな事指図される覚えはないからだ。 我々の国の事だ、我々は好き勝手生きていく。 それで今までは良かった。 だが。 「神聖グステン帝国の報告、どう思う?」 「気になりますか、遠い遠いシルクロードの先、東方の事が」 「うむ」 神聖グステン帝国からの報告。 東方で一つの王朝が滅んだと聞いた。 滅ぼしたのは、遊牧民族。 より詳細に言えば、遊牧国家と言うべきか。 ともあれ、遊牧民族共が纏まり、国家と化し、一つの国を滅ぼした。 奴らは部族連合を組み、襲ってくることはままあったが。 遊牧民族同士でお互いに抗争し、いわば国家としての纏まりが無かった。 それが纏まったという。 考える。 考えよ、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ。 東方からその遊牧国家が我が国に襲い掛かってくる可能性は? 答えは否だ。 遠すぎる。 拡大には時間が、そう、時間がかかるであろう。 遊牧民族共はそう簡単に纏まらぬ。 が。 「遊牧民族はそう簡単に纏まらぬ。しかし、現実には纏まったから、王朝を一つ滅ぼした」 「纏まれば強いでしょうな」 「東方の大草原にて、水場の争いで永遠に殺し合い、豪雪、低温、強風、飼料枯渇、ありとあらゆる艱難辛苦に遭い、この世でもあの世でも地獄に落ちていれば良いものを」 厄介である。 遊牧民族が纏まれば、非常に厄介な存在となる。 神聖グステン帝国の報告は、おそらく事実であろう。 我が国にも数名、武将、東方の騎士とも言うべき存在が流れてきているのだ。 この国では、武力さえあれば、軍事的階級として認められると聞いた。 聞いたからこそ、滅んだ国から遥々西方まで来たのだ。 いずれ奴らはやってくる。 復讐がしたい。 と。 「神聖グステン帝国の報告は虚偽ではない。それは判っている」 「それをアンハルト王国は未だ知らぬでしょうな」 「あの国は身分制度が硬直化している。無論、魔法使いや超人は別としてだが……」 アンハルト王国に流れた武将など、一人もいないであろう。 国の内情を知れば、全ての東方の武将がこちらに集まる。 さて。 「この情報、事実東方の武将が流れてきている情報を、アンハルト王国に教えるか教えないか」 「……アンハルト王国が、神聖グステン帝国の報告を信じないほどに愚かでありましょうか」 「いや、そこまで愚かだとは思っていない」 信じてはいるだろう。 だが実感は湧かぬであろう。 我が国のように、東方の武将が、その武力によって名を為し、脅威を訴えない以上。 そういうものだ。 「さてはて、どうしよう」 「未だ、和平交渉にすら迷っている状況でありますからな」 「そうだな」 どうしよう。 言葉で迷いを口にする。 遊牧民族が、その遊牧国家がいずれアンハルトとヴィレンドルフの北方に押し寄せてくるのであれば、手を組まざるをえない。 だが、信頼のおけない味方、実力のない味方程厄介な物はない。 まして身内ではないのだ。 ヴィレンドルフ単体で立ち向かった方がマシかもしれぬ。 アンハルトを侵略し、地力をつけたヴィレンドルフにて。 「……やはり、ファウスト・フォン・ポリドロに全てが集約する」 「そうなりますか」 「私は、ただ待つ」 ファウスト・フォン・ポリドロをこの玉座にて待つ。 それだけだ。 この玉座の眼前にして、ファウスト・フォン・ポリドロという玉を見据える。 そして捉える。 アンハルト王国の今を。 それだけだ。 「カタリナ女王、それはそれとしてですが」 「何か」 「そろそろ、夫を……後継者を作ってもらわねば困ります」 またその話か。 私は後継者など作る気はない。 「まだ、姉が存命だ。夫も取っている。その子を我が後継者とすればよい」 「……あれは不出来です。カタリナ女王の母上は、それは見事な女王でございましたが、夫と長女、そして次女は不出来で御座います」 「私との相続決闘を拒んだ事が原因か?」 尋ねる。 長女と父はこの手で殺した。 次女は、長女とは違い、私に嫌がらせすることもない、ただただ凡庸な人間であった。 ふるふる、と首を軍務大臣が振る。 「不出来でございます。ただただ不出来でございます。カタリナ女王との相続決闘を拒み、命を惜しんだ事も多少は原因ではありますが……次代のヴィレンドルフ女王の母、それとしては余りに不出来で御座います」 「その子が有能という事もあるやもしれんぞ。あれでもヴィレンドルフ王家の血だ」 「子を奪い、カタリナ女王の元で育てれば或いは……」 そうすれば認めるという事か。 断る。 「断固として断る。そんな面倒は御免だ」 「ならば、せめて子を成されませ。夫を取らずとも構いませぬ。そこらの侍童を相手に純潔を切り捨てて」 「……」 私は沈黙する。 面倒だ。 それがゆえ、世間では珍しく22歳まで独身、純潔を保ったままでいるのだ。 私が男を愛する事などあるのだろうか。 きっと有りはしまい。 有りはしないのだ。 レッケンベルがもし男であったなら、と思うが。 それはくだらぬ妄想だ。 嗚呼。 何もかもが空虚だ。 私の世界には誰もいなくなってしまった。 レッケンベルよ。 お前がいなくなったことが、私は悲しい。 ただ悲しいのだ。 「嗚呼」 空虚。 もはや老婆の、軍務大臣の言葉すら届かぬ。 空虚な世界の、空虚な王座にて彼の男を待つ。 待つ? ひょっとして、私は何かを期待しているのだろうか。 私のレッケンベルを破った男に。 ファウスト・フォン・ポリドロに。 私は目を閉じ、老婆の嘆く声を無視したまま、玉座で少し眠りに就くことにした。 今はこの手に無くしてしまった。 レッケンベルとの、子供の頃の想い出を夢見られる事を祈りながら。