ヴィレンドルフ和平交渉編 第24話 トンボ返りの王命 第二王女ヴァリエール様の初陣、通称「カロリーヌの反逆」から一か月。 ファウスト・フォン・ポリドロは無事、領民達と共にポリドロ領に帰り着き、日々を過ごしていた。 やがて、王都に居を構えたボーセル家の跡継ぎ、マルティナを騎士見習いとして迎え。 今は、その騎士教育中であった。 馬房にて、愛馬フリューゲルの世話を今後は担当してもらう事となる。 フリューゲルの世話は大好きだから、自分でもやるがね。 「これが我が愛馬フリューゲルだ」 「凄く大きい馬ですね。さすがアンハルト王国最強騎士の馬だけあります」 「15歳の時、フリューゲルは当時3歳であった。その頃から巨体であった私をよく支えてくれた」 私の宝物。 髪飾りや指輪などは全て領民に与えてしまったため、亡き母親から贈られた物では唯一残っている物である。 いや、我が愛馬フリューゲルを物扱いするのは自分でも嫌だが、他に例えようがない。 何と呼べばよいのかなあ、親愛を込めて呼ぶべきコイツを。 ヴィレンドルフ戦役の時など、フリューゲルが優秀でなければ私はレッケンベル騎士団長に負けていたであろう。 私の筋骨隆々の2m、そして軍装を整えた重量を物ともせず、跳躍すら容易く行う。 まさに、愛馬。 そう呼ぶのがふさわしい馬だ。 私の顔にフリューゲルが鼻を摺り寄せてきて、私も頬を擦り付け、お互いにその感触を楽しむ。 「……賢い馬ですね」 「ああ、本当に賢い。馬は賢い生き物だ」 マルティナがその様子を見ながら、呟く。 フリューゲルの事を褒められると、もう自分の事のように嬉しくなってしまう。 ああ、それにしても、フリューゲルも、もう10歳となってしまった。 正直、フリューゲルはまだまだ活躍してくれるであろう。 フリューゲルは特別製だ。 だがしかし、だ。 「今後の世話を喜んで担当します。しかし、この馬、フリューゲルは結構いい歳ではないのですか」 「そうなんだよ」 マルティナが、我が心中を見抜いたように呟く。 いいかげんフリューゲルにも嫁を見繕ってあげなければならない。 できれば、新しい馬を買うのではなく、このポリドロ領にて血を繋いで欲しいのだ。 私の命の危ういところを綱渡りで繋いできてくれた愛馬だ。 しかし、我が財政に新しい牝馬を買う余裕等―――いや、カロリーヌの反逆で受け取った報酬金を用いれば。 駄目だ、アレは領民の減税のために使うと決めてしまっているし。 悩む。 「そろそろ新しい馬を用意すべきです、と進言したいところですが」 マルティナが口淀む。 まあ、この賢い子なら、私の返事くらい判るであろう。 「我がポリドロ領の財政ではなあ。フリューゲルが何より良く食うしなあ」 まあ、フリューゲルは働いているんだから、その分食って当然なんだが。 馬の購入費はかかるが、それよりなにより維持費がかかる。 これがまた、よく食うのだ。 フリューゲルが餌をよく食べる光景は微笑ましくあるが、財政的には痛々しい。 このファンタジー中世時代のエンゲル係数は高い。 結論、二頭、三頭と維持するとなると我が領地の財政が…… 「何とかしないとなあ」 前から考えてはいる事なのだ。 悩みの種である。 頼みの第二王女ヴァリエール様にお願いしても、何とかなるとは思えんし。 馬を新しく買うのが一番早いとは理解しているのだが。 やはり、愛馬フリューゲルにはその血を継がせてあげたい。 どうしたものか。 そう、横のマルティナと一緒にうんうんと悩んでいると―― 「ファウスト様、使者が訪れました」 「またか。手紙だろう?」 従士長のヘルガが訪れ、使者が来たことを伝える。 アスターテ公の弁明の手紙。 王都から離れ、領地に帰った後に、アスターテ公が何を考えていたかを正直に書いた手紙を受け取った。 上手い嘘を吐かず、正直に話した方が私の心証が良いと判断したのであろう。 その感想は? 正直に言おう、真正のアホだろ、あの人。 いや、私のこの性格は良く理解してくれていると思うし、私がこの世界の普通の男の感性なら、それで落ちていたかもしれんから。 あながち、単純なアホとは言い難くはあるが。 私が助命嘆願のために暴走し、土下座まですると読めていたなら、それは智謀の持ち主ではない。 ただの狂人と呼ぶべきであろうし。 だから、まあ正直に言ったのは感心しよう。 暴走も土下座も私自身がやったことだし、その点を恨むのも筋違いだ。 だが許せん。 「アスターテ公の手紙は一応開封して読む。だが送り返せ」 「宜しいのですか?」 「構わん」 私の貞操を狙ったことはまあいいのだ。 そのために子供の、マルティナの命を、道化のように弄んだ事が許せん。 幼い子供の思考を誘導し、マルティナの首を私に刎ねさせるよう嘆願させたことが許せんのだ。 それだけが唯一許せん。 私は横のマルティナを眺めながら、幼いその身体を見つめる。 だが、そのマルティナは―― 「あの、アスターテ公の事ですが、私を思考誘導させた事についてですが」 「何だ。私は許すつもりは無いぞ」 「私はもう許すも何も、別に恨んですらいないのですが」 はい? 私は呆気にとられた顔で、マルティナの顔をまじまじと見つめる。 「いや、マルティナ。お前は、その命をいい様に弄ばれたのだぞ。憎くないのか」 「ファウスト様、貴方は、貴方の行動を利用されたことについて、アスターテ公にお怒りですか」 「いや、それについては怒ってない」 誘導されたとはいえ、それについては自分の行動が稚拙であったのだ。 先ほども考えたが、暴走も土下座もアスターテ公を恨むのは筋違いという物であろう。 だが――お前は怒ってもいいだろう。 「ならば、それと同じなのです。私も怒ってはいませんよ」 「マルティナ。お前は幼い子供なのだ。その命をアスターテ公の都合で、アスターテ公のいい様に駒のように扱われた。ならば怒るべきなのだ」 「ファウスト様。私はあの場でファウスト様に首を刎ねられて死んだとしても、本気で悔いはなかったのですよ」 マルティナは、いつもの澄ました顔で呟く。 「それに、ファウスト様から話を聞くところによれば、元々助命してくれるつもりだったようですし、陪臣として取り立ててくれるつもりであったとも聞きます。あの場で死ぬべきであった私の命を、あの時点では唯一救おうと考えてくれた方です」 「それは……まあ、そうだが」 私も、自分に関係なくマルティナの首が刎ねられるようであれば。 この青い血としての騎士教育と、前世の日本人的道徳感が悪魔合体を果たした、この誉れはマルティナを思い切り見捨てていたであろう。 気まずくなって、思わずマルティナから視線をそらす。 私はヒーローでは決してない。 たとえ思惑があっても、マルティナの命を最初から救おうと考えていたのはアスターテ公のみだ。 それは確かに事実だ。 「それを憎むのは、恩知らずであると思うのです。それはもはや、私の感情とは度外視で考えるべき事柄でありますし、私の感情としても憎んでは別にいないのです」 「……」 マルティナは本当に賢い。 悟っているとすら言っても良い。 アスターテ公がその才能を惜しみ、助命することを本気で望むだけの価値はある子供だ。 本当に9歳児か、この生き物。 ボーセル領を継いでいれば、さぞかし良い領主になったであろうに。 私はマルティナの境遇に同情する。 周囲の大人が馬鹿者だらけで、この子の運命は狂ったのだ。 ……私の騎士教育など拙い物であろうが、何とかこの子を立派に育て上げて。 領地の反逆者にして、売国奴の娘。 そういった風評被害に負けない騎士にしてみせよう。 そう心に誓う。 ま、それはいい。 「うーん」 アスターテ公はあれから毎週、換金しやすい贈り物。 金品と一緒に、弁明と謝罪の手紙を送ってきている。 私の考える最大の被害者、怒っている原因であるマルティナにそうまで言われてしまうと、ちと考え直すところがある。 許すべきなのか? 「ファウスト様、そもそも、アスターテ公と仲が悪くなって貴方に何かメリットがあるのですか? 相手は銀山すら抱える、領民数もその内10万を超えるとさえ言われている公爵家の御領主様ですよ」 「う、それを言われると弱い」 そもそも、領地規模とその権力に差がありすぎる。 アスターテ公が気安く、領民300ぽっちの私の事を我が戦友、と公言してやまないのが異常なのだ。 そして、そんな相手が、こうして何度も謝罪の手紙を送って来ているのも、また異常。 いや、アスターテ公が私のケツに異常な執着を。 私を愛人として欲しがり、私の貞操を狙っている事は知っているのだが。 私のこの前世有り感性だと、別にそれはいいんだよなあ。 ポリドロ領を我が子が継いでくれない可能性があるから、立場的に愛人だけは困るのだが。 マルティナに尋ねる。 「……私の心が狭く思えるか?」 「いえ、利用されたんだから怒ってもいいとは思いますよ。ですが、ファウスト様の心の器はそれほど小さい物ですか? 相手は金品を送り、謝罪の手紙も何度も送ってきているのに?」 「うーん」 アスターテ公は正直に非を認めた。 金品も謝罪の手紙も、何度も送って来た。 もはや許すべきなのか? 悩みどころだ。 そういえば。 「……公爵領は馬の産地としても有名だったな」 「というか、何でもありますよ公爵領。フリューゲルの仔の繁殖を依頼しますか?」 マルティナが、打てば響くように言葉を返す。 そこを落とし所とすべきか。 手紙にてアスターテ公にもう許す事を伝え、その代わりにフリューゲルの繁殖を依頼しよう。 そして仔馬が産まれ、3歳までアスターテ領で育ったら、それをタダで譲り受けよう。 もう、これでよいか。 アスターテ公はヴィレンドルフ戦役での、大事な戦友だ。 だからこそ一時は本気で憎んだものだが、その過去を否定するのも、また嫌なものだ。 私は溜息を吐く。 「ヘルガ、予定変更。使者に手紙を受け取るように伝え、今回は返信を書くから屋敷で少し待ってもらえるよう伝えよ。我が領地の恥にならない程度の、供応の準備もな」 「承知しました。それは承知しましたが……今回は別件が」 「別件?」 アスターテ公の手紙の使者ではないのか? 他に用件などあるはずも。 「王都から呼び出しが掛かっています。王族案件です」 「断れ」 ブチ殺すぞ馬鹿。 領地の保護契約の義務も、第二王女相談役としての役目も、今年の分は完全に終えているのだ。 何故一か月もせん内に、王都に呼び出しをかけられねばならぬ。 私は疲れたのだ。 マルティナの騎士教育もあるし、ポリドロ領の統治もあるのだ。 何故にこのような目に遭わねばならぬ。 「使者など来なかった。山賊に途中で襲われたのであろう。そのように取り計らいますか?」 ヘルガが剣呑な視線で、私の顔色を窺う。 使者を殺すか。 そうしたい。 そうしたいが、今回の使者にはアスターテ公への返事を持って帰ってもらわねば困る。 それよりなにより。 「公爵家クラスなら、使者など来なかった。その対応も可能かもしれんがね」 領主騎士とはいえ、私は領民300ぽっちの弱小領主騎士だ。 政治的立場などゴミ屑のようなものである。 ええい、畜生め。 どうしようもあるまい。 殺すわけにはいかん。 「用件は聞いたか?」 「重要案件故、使者にも知らされていないようです。ただ王都へ訪れよ。今回は第二王女初陣以上の兵を引き連れて、と」 「どう考えても、絶対ロクでもない案件だろ、それ」 不安要素しかないじゃないか。 断りたい。 クッソ断りたい。 何で私なんだよ。 私には断る権利が明確に存在するはずだぞ。 使者に断りの手紙を持たせて。 「ファウスト様、断る権利は確かにありますが、この場合は直接会って断らなければ失礼になります。間違いなく王命です」 「……」 マルティナが横で、私の考えを完全に否定する。 判ってるよ此畜生。 結局、王都に出向くしかないのか。 それも、前回以上の兵を引き連れて。 兵数は――30程度でいいか。 「ヘルガ。本当にすまんが。本当にすまんが今回もハードな状況になるのを覚悟してくれ」 「我々従士や領民は、ファウスト様にただ付いて行くのみであります。すぐに招集をかけます」 ヘルガには、幼い一人娘がいる。 今は夫を同じくする姉妹の子と一緒に、養育を頼んでいるが。 今回の軍役――その間に、その愛しい一人娘に、ヘルガは顔を忘れられていた。 ヘルガは膝を地面に崩して泣いていた。 今はなんとか思いだして貰えたが。 あれ、今回も繰り返す事になるのか。 正直キッツイぞ。 主に私の心が。 「ファウスト様、今回、私もついて行きますので」 「マルティナ、お前は領地でゆっくりしていてもいいんだぞ」 「主人に従うそれも、騎士教育の一つでありますので」 まだ9歳児をこんなハードな状況に従わせるのは困るが。 それで、その間のマルティナへの騎士教育が手抜かりになるのも、心苦しい。 連れていくしかない、か。 「ふざけんなよ王家」 私は愚痴を吐きながら、静かに何かを諦めた。